異世界のハズレ勇者とダークエルフの第二の人生5
女神様。わたし大事なことを忘れてました。
これからお世話になるっていうのに、ちゃんと名乗ってなかったんです。
挨拶するタイミングがおかしくなって、ホントわたしって何なんだろうって思っちゃいます。
追伸:ダークエルフのおねえさんはサレーニア・フリティラリアという名前なんだそうです。
道中、とくに大事は起こらなかったといえよう。
「さ、サレナさん!血がーっ!」
「苦手なら目をそらせ。なんなら調理が済むまで離れていればいい」
ダークエルフのサレーニアが鹿を捕まえて調理しだすというのは、この世界では大事とはいえないだろうから。
葵が逃げて、二時間。鹿鍋ができあがって、たいらげるのに一時間。足のついた毛皮にビクビクしながら横になって一時間。
眠っていたのはどれほどの時間だったか。
葵が気がつけば空は青かった。雲もなく快晴といった様子。
「起きたか。湯を沸かしたから飲め。体が起きたら出発する」
サレーニアが木の器に湯を注いで葵に手渡した。
むにゃむにゃしながら器に口をつけると、舌がしびれるように熱かった。冷ましながら少しずつ喉を通していく。ただのお湯で、味はないが、そこに文句をつけるわけにもいかない。
「今日中、日が沈む前には影の村に着くだろう」
湯のせいか、ホッとした。
「そういえばサレナさんは影の村に住んでるんですか?」
「いや、数年前にしばらく泊まったことがあるくらいだ。だが、教会につとめている知り合いならば貴様のことを頼めそうだと思ってな」
「教会?」
「すべての神を祀る!などと言って建てたそうだ。正式なものではない」
日本で七福神を祀るのと同じような物だろうか。
「詳しくは影の村の神官に聞くがいい。そのテの事は私よりも詳しい、その上話したがり屋だからきっと喜ぶだろう」
そっか、と葵。
(影の村、着いたらお別れなんだった)
名前をやっと訊いて、少し話せるようになって。葵は、自分なりに彼女の機嫌を損ねないようにとやってきたのだが、緊張の連続だったが、それでもどこか、寂しく感じた。
(でも、わたし、影の村で頑張ろうって言ったから)
あちらで一生懸命村に溶けこまなければならない。そこで上手く行かなかったら、サレーニアだって困るはずだ。
元の世界でも、勇者としても、村の一員としても、最後まで上手く出来なかったならば。
(今考えたらダメだ)
縮こまりたくなるのを耐えて、葵は足を進めた。
一歩二歩とトコトコ歩いていると、顔に風があたってゆくのを感じる。
「西からの風だな」
サレーニアは風上の方を見た。金属のような冷ややかな色の髪がさらさらと動いて、何度目だろう、葵は深い溜息をついた。
「雨雲の心配はなさそうだ……もし雨雲を運んできたとしても、私たちのゆく道には関係がないだろう」
足が棒になると言う。
地球でこんなに歩いたのはいつの事だったか。
定期券をなくして家まで歩いて帰った日だったろうか。
サレーニアと出会って毎日歩いてばかりだったので、昔よりは足が丈夫になったのかもしれない。
けれどまだ、体が世界に慣れておらず、足の付根、膝、踵が重くて歩みが遅くなってしまう。
「村は山の上だ」
なかなか険しい斜面ではあるが、サレーニアはなんの苦労の色も見せずに登って行ってしまう。
みっともないんじゃないかというくらいにゼエゼエハアハア息を乱しながら、葵は二本の棒で道を上がっていった。砂利がボロボロ転がっており、その上砂が簡単に舞い上がって目に入るような道だ。
「上まで行けば冷たい湧き水が飲めるぞ。もう少しだ」
「は、はい…」
カバンを持たせて申し訳なかった。
あの日買ったブーツは、葵の家にあるものよりは動きやすい創りだったが、それでも険しい(葵にとっては)道を登るのには辛く、踵が圧迫されるのを感じた。靴ずれも何箇所か出来てしまった。応急処置のなけなしの絆創膏を貼った上からまたギューっと押されると生理的な涙が出てしまう。もしかしてブーツのソールにはトゲが生えてるんじゃないかとすら思った。
「そら、上にとんがったのが見えただろう。あれが教会だ」
彼女の指し示す方向を見上げたらひっくりかえってしまいそうだ。
「教会には旅の信者を泊めるスペースがあるんだ。一番上の階だと、これがなかなか景色がいい。海の向こうの大陸が見えるぞ」
相槌をうとうにも、余裕が無い。
葵はホラー映画のゾンビのような身のこなしで坂を進んだ。
生きているような死んでいるような身の上ではあったが、周りの変化を目に映すことが出来た。
登り始めよりは、大きな石が端っこによせられている。木々もなにかの実がなっているものが多く、背丈が揃っている。
(この臭い、動物?牧場があるのかな)
「羊を飼っている家があったな。まだ続けているのなら安心だ」
なにが安心なんだろうかと疑問を浮かべながら、また一歩、二歩、痛いが歩く。
一時間、かかっただろうか。
ようやく村の全体が見えてきた。
(ほんとに小さな村だ)
人が少ないほうが暮らしやすいだろうか。それとも、その少数とすら暮らせなかったら、わたしは……
「……?」
ピタリと、足が止まる。
「サレナさん?」
「様子がおかしい」
何事もないように、村は静かだ。
「様子が、っていったいどこが?」
「まだ明るい。なのに誰も出歩いていないのはおかしいだろう」
「?」
そういうものだ、ということを葵は知らないのだ。
「私が様子を見てこよう。歩けるなら、そこの小屋の影までゆけ」
「えっ、あの、それって」
「何事もないならいい。様子を見るだけだ、休んでいろ」
よたよたと小屋の影まで歩く。座り込むというよりは尻もちをつくような形で倒れこむ。いっきに闇の中に入り込んだような冷たい空気。沈みかけの夕日が、どこか不吉なように感じて、背筋がひやりとした。
いっぽう、サレーニアは早足で進んでいく。
(誰か、いないの)
僅かな足音以外に音はしない。
(そうだ、たしかに音がしない。おかしい)
夕食を準備する音もない、動物の鳴き声もしない。
(わたしも、何かしないといけないのに)
けれど葵はするべきことを知らない。疲れて動くことも出来ない。この世界に来てから、何度自分の情けなさを呪ったことか。クセになっていて、条件反射のように葵は嘆いた。
(もし何かあったのなら、サレナさんだって危ないのに)
葵は先ほど見たばかりの彼女の姿を脳に描いた。
(ここまで連れてきてくれた人なのに、わたしずっとお世話になりっぱなしで、やっぱりダメだ)
うっかり噛んでしまった頬の肉からまずいものが出た。
(何事も、ありませんように…!)
刹那。
重機が起動したような、不自然な音がした。
「!」
何人分かの、混ざった悲鳴まで聞こえる。
(やっぱり、やっぱり何かあったんだ!)
疲れで身動きができないまま、葵は目をつぶった。
「何か」はブルドーザーか何かなのか。地面をこする音、土が崩れる音が何度もして、その度に誰かの声が上がる。
「ああ、なんてことだ!」
「あぶない、外にでるな!」
「羊は、羊たちはどうしたら…!」
破壊する音も、悲鳴も、まるでイヤホンから流れる音楽のようなクリアさで脳みそに流し込まれていく。
(サレナさんは、あの人今なにをして…!)
「クキ!何事だ!」
やっと、聞こえた。サレーニアの声だ。轟音の向こうに、何故か懐かしく思えてしまう女の声がした。
「サレーニア!どうしてここに!?」
「後でゆっくり話す!あれは何だ!?」
「分からないか?”モンスター”だよ!」
モンスター、というワードを久しぶりに耳にした。
モンスター。バグによって生まれた怪物。恐るべき異形のモノ。
(モンスターは、たしか…)
勇者にしか倒せない。
その事実を思い出して、葵は脱力した。
(じゃあ、だれも倒せないよ…)
結城葵。勇者として呼ばれたのにも関わらず、何も出来ないちっぽけな子ども。
葵は何よりも、自分の無力さを信用していた。




