淡黄色の蝶 5
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「わたし、ぜったいにこの子を大切にしますからー」
帰りしなに、くるりと振りかえってアイリは言った。サフィーからもらったケースに蝶をしまい、胸元でそれを抱きしめていた。まぶしいほどの笑顔を彼女は浮かべている。
「アイリちゃんが思ったから、その子も、あなたのもとに戻ってきたの。だから――」
サフィーは耳元の髪をかきあげて言った。彼女の慈しみに満ちた笑みに、アイリは照れたように下を向いた。
「――あなたも、その思いに応えてあげてね」
「はい!」
曲がり角までかけていって、元気よく頭をさげて感謝を表した。それに返事をするように、サフィーたちも手を振る。時刻はすでに午後八時。ミドルスクールに通いはじめたばかりの子どもが出歩くには、少し遅い時間だった。
街灯の光を受けながら、やがて彼女の姿は見えなくなっていった。
「一件落着ですかね」
と、お店に戻るやいなや、フィオは言った。サフィーの淹れた紅茶をすすって、はあぁ、と気の抜けた声を出す。うっかりするとテーブルに伏してしまいそうだった。
「アイリちゃんもあれほど笑っていたから、きっと、そうでしょうね」
ふふっ、とサフィーは微笑んだ。応えてフィオも笑った。和やかな時間がゆったりと過ぎていく。
「それじゃ、私たちも帰りましょうか」
彼女のお気に入りなカップをさげながら言った。
「そうですねー。……でも、アイリちゃんのおばあさまが昔あったと言う女性は、いったい誰だったんですか? サフィーさん、知ってるんですよね」
「それが、私もよくわからないのよ」
困ったようにサフィーは眉をハの字にした。
「私は先代から聞いたのだけど、その先代もその先代から聞いたらしいの」
そう言って語りはじめたのは、彼女が聞いたその話だった。
サフィーの先代の先代、すなわちこのこの工房を開いた女性、アルレットがお店にいたときのこと。突然ドアをたたく音がひびいた。そろりとドアをあけると、その前には一人の少女が立っていた。髪にガラスの蝶をつけている。淡い黄のグラシィであることは一目でわかった。
「どうかしたの?」
と尋ねると、女の子は腕をいっぱいに伸ばして、あるレットに写真を見せつけた。きれいな女性とその少女が並んで写っている。女性を指さして、
「この女性探しているんです!」
「あら、美人な方ね。……残念だけど、私は知らないわ」
ごめんね、と申し訳なさそうに言った。しゅんとしている少女を見兼ねて、
「でも、その方はいったいどなたなの?」
「たぶん、ガラス細工の職人さんだと思います。だって――」
と、アルレットの胸元を指しながら、
「それと同じのを持っていたから」
「これを?」
こくりと少女は首を大きく縦に振った。ガラスでできた笛。精緻なカットグラスがなされたものだった。
「これを持っているの人は本当に少ないのよ。私の知っている限りだと、四人。でも、その誰もこの方ではないわね」
「そうなんですか」
残念そうに少女はうつむいた。
「どうして、探しているの?」
「この子の、お礼をしたかったんです」
言いながら、頭のてっぺんにとまっている蝶をなでた。頬がほんのりと赤らんでいる。
「その蝶々は、どうしたの?」
「ケガしていたのを、その人に治してもらったんです」
「グラシィを治した……」
ふぅん、とあごに指を添えて、数秒のあいだ、アルレットは考え、一つの考えに至った。
「もしかしたらその方は、この街の守り神のような方かもしれないわね」
「守り神?」
少女は首をかしげた。その仕草がかわいらしく、アルレットは思わず笑ってしまった。
「そう。ガラスで栄えたこの街を見守ってくれている、ガラスの神様」
「へえぇ」
少女の瞳はきらきらと、ビーズのように透きとおった光をたたえていた。わくわくとした気持ちに満ち満ちた表情を浮かべた。
「いつか、またあえるかなぁ」
「ええ、きっとあえると思うわ」
顔をほころばせて言った。少女は照れたようにはにかんだ。
「ガラスの神様、ですか」
サフィーの語った話を聞き終えて、フィオは感心するように言った。
「まあ、先先代の考えだけどね」
紅茶の香りを楽しむように、カップに口をつけた。真似てフィオも紅茶を味わう。
「私もあってみたいなぁ」
「フィオちゃんなら、あえるでしょうね」
と言って、サフィーはいたずらっぽく微笑んだ。
「サフィーさんはおあいしたことがあるんですか?」
「んー」
もう一度紅茶をのどに通した。無邪気な笑顔でサフィーは答えた。
「さあ、どうでしょう」
ふふっ、と笑みを浮かべた。
その翌日、のどかな春の陽が、さわやかな朝を迎え入れた時分、かしゅん、と言う音が唐突に鳴りひびいた。
ドアの方に顔を向けると、アイリがそこに立っていた。白いワンピースを身にまとって、恥ずかしそうに顔を赤くしていた。髪には黄色い蝶が、居心地のよさそうにとまっている。
「アイリちゃん!」
いきおいよく立ち上がって、フィオがかけよると、ぺこりとアイリはお辞儀をした。
「昨日はお世話に鳴りました」
応じて、フィオも頭を下げる。さらさらとアイリの髪が肩を流れた。
「とても似合っているよ」
と、フィオが笑いかけると、さらに赤く頬を染めて、小さな声で
「ありがとうございます」
その姿が小動物のようで、フィオのこころはひかれていった。
「そうです!」
思い出したように、ぱちんと手を打ってアイリは言った。
「わたしは、お願いがあって来たんです」
「お願い?」
「はい!」
とん、と胸をたたき、アイリは言った。
「わたしは今日、わたしの街に帰りますが、その……お手紙を書いてもいいですか?」
「お手紙?」
「そうです、いわゆる文通と言うものです!」
数秒も考えずフィオは答えた。この申し出を断る理由などなく、むしろ嬉しいほどだった。
「いいよ、しようよ文通」
「わぁー、ありがとうございます」
今にも跳びはねんばかりのアイリに、フィオはにっこりと微笑みかけた。
「わたし、この街のこととか、フィオさんのこととか、いろいろなことをもっとよく知りたいんです!」
そこまで言って、自分の行動がはずかしくなったのか、小さく姿勢をただして、
「これからよろしくお願いします」
「ええ、もちろん」
蝶が羽をゆったりと揺らしていた。春のまったりとした時間に、笑い声が溶けていった。
第一話 淡黄色の蝶 了
第二話に続きます。




