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ガラス細工を、あなたに  作者: こうだ悠
第二話 紺青色の音
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紺青色の音 1

第二話 紺青色の音



 開け放った窓から吹いてくる風は、からりとした暑さをともなっていた。午前六時を過ぎた時分に、フィオは目を覚ました。かすむ視界をぱちぱちとまばたいて取り払うと、両のうでを宙に投げやって、大きく背伸びをした。ぼさぼさと自由にはね回った髪を手でとかす。

 数瞬ぼぅっと目を細めて、フィオは思った。

 暑い、ですね――と。

 七月初旬、この街「ピージュ」は夏に入ろうとしていた。早くもセミが声を張り上げて鳴いている。雲を押しのけるように太陽が浮かんでいる。住宅の白壁が陽光をまぶしく照り返している。

 美しい海のあるこの街は、観光地としてのにぎわいを、すでに見せていた。

 と、急にひんやりとした感触がフィオのうでに襲った。さっとその方を見ると、そこには猫がうでにすりよるようにしていた。フィオが抱え上げて膝の上に乗せると、くるんと丸まって眠ってしまった。背を撫でるとつるりと指がすべる。その猫には毛がなく、その体はガラスでできている。全体的に淡い青みを帯びた透明な体。右の腰あたりには花に見える模様が浮かんでいる。

 そう、その猫はグラシィだった。ピンと立った耳の後ろから首すじをなぞると、くすぐったそうに顔をふるふると振った。そんな仕草を、フィオは目を細めて見ていた。

 彼女がこの猫、フィリーと名付けられた猫を飼いはじめたのは、およそ一ヶ月前だ。少し不思議なことがあって、彼女がある女性から託された。と言うよりは「少しあずかってくれないか?」と頼まれた。

 フィオの性格から断るはずはなく、結果として今に至ると言うわけだ。

 そっとベッドの上にフィリーを下ろして、フィオは支度を済ませた。肩のほどまで伸びた髪を後ろで束ねて、

「あれ?」

 ベッドを見やると、そこにいたはずのフィリーがいなくなっていた。きょろきょろと部屋を見回すも、姿は見当たらない。首を傾げ、腰に手を当てて、ふぅ、と息をついた。

「まあ、きっと帰ってくる……よね」

 自分自身を落ち着かせるように言った。一抹の不安を残しながら。


 フィオの家があるのは、工房の真裏だ。そのため、フィオは鍵の管理を任されている。フィリーのことを気にかけながら、いつも通りの時間、午前七時に工房のドアを開けた。

 かしゅん、とベルが鳴った。白熱灯のスイッチを押すと、ぼんやりとした明かりが灯った。お店の窓と言う窓を開けると、暑い風が部屋の空気をかき混ぜた。とたんに汗が吹き出す。

「暑いです」

 誰にともなく言うと、背側から聞き慣れた声がした。優しげな調子のやわらかな声色だった。

「本当にねぇ。これだけ暑いと参ってしまうわね」

 フィオはくるりと振り向く。

 ふふっ、と困ったように笑いながら、耳にかかった長髪をかきあげた女性は、フィオの師であるサフィーだった。高い位置で髪をまとめ、団子のように丸めていた。いつ、どんな時でも優雅に振る舞うその姿に、フィオはあこがれを抱いていた。

「サフィーさん、おはようございます」

 ぺこりとフィオが頭を下げると、

「おはよう、フィオちゃん」

とサフィーは微笑んだのち、手早く準備をして、また外へ出ようとしていた。

「それじゃ、お店の番をよろしくね、フィオちゃん」

 ドアノブに手を掛ける。

「サフィーさん、あの、そろそろ何を作っているのか教えていただけませんか?」

「あら」

 いたずらっぽく笑うと、あいまいにうなずいて応えた。

「もうすぐわかると思うわ」

 かしゅん、とベルの音が響く。

「それじゃ、ね」

「行ってらっしゃいです、サフィーさん」

 小さく手を振ると、サフィーはすっと出て行ってしまった。

 何を作っているんだろう――と、サフィーの姿が見えなくなったあと、数分にわたってフィオは考えた。

 サフィーが出かけたのは、この工房からいくらか離れた、少し山がちな場所にあるこのお店のもう一つの工房だった。と言ってもそこではガラス細工の販売を行っていない。作品を作るためだけの場所だ。

 ふだんならここで作るので済む。テーブルの上でバーナーを用いて作る。いわゆるバーナーワークと言うもので、お店の中からガラス越しに見られるようになっている。一心に目の前のガラスに集中するサフィーさんの表情は、日頃の柔和なそれとは打って変わって、凛としている。その様子を見るためにここを訪れる人がいるほどだ。

 やっぱりサフィーさんはすごいなあ――と見るたびにフィオは思っている。

 一方で、山の方の工房には大きな炉がある。ガラスを溶かすためのものだ。花瓶やバーナーだと扱えないようなものを作っている。

 ああ、これから夏に向けてたくさん作品を仕上げているのだろうか? ――とフィオは考え至った。夏は観光客が多くなる。必然としてお店を訪れるお客さんも多くなるわけだ。お店にとって一番の書き入れ時である。

 合点がいき、フィオはお店の掃除をはじめた。どうせすることがないのなら、これからのためにお客さんを迎える準備でもしようか、と言う考えがあってのことだった。

 棚にぶつかって作品を割ってしまわないように、ゆっくりと雑巾をかけた。

 と、屈んでみると今まで気づかなかったものを見つける。今まで気にしていなかったものが気になるようになる。

「『営業中』の看板?」

 そっと持ち上げる。これはサフィーの先代から使っているものらしい。朝来た時にドアのそばに置くのが日課となっているが、どうやら忘れていたらしい。

「外に置いておかなくちゃね」

 胸元まで持って抱えると、はらりと一枚の紙片が落ちた。

 何だろう――と思い、それを拾い上げる。そこには来週末の日付と、その下に、

「お店は開きません。ですが、お楽しみください」

と達筆な字で流れるように書かれている。

「来週って、何かあったっけ?」

 考えながら外に出る。じりじりと暑い日差しが石畳を照りつけていた。よく見える位置に看板を設置して、ぐっ、と背伸びをした。

 その時だった。

 りん、と耳に心地よい涼やかな音が聞こえた。同時に、道の端で一人の子供のような影が、たっと走って行ったのが見えた。

 この音って、風鈴? ――。

 その瞬間、波が寄せたように、一つフィオは思い出した。

「来週は、『風鈴市』があるじゃない!」

 今までの自分に呆れた。こんな大切な行事を忘れていたなんて。

 そうすると、サフィーさんが作っているものって――。

 思わず顔がほころんだ。サフィーが帰ってくるのが楽しみだった。

 もう一度、風鈴の音が響いた。その音は夏のはじまりながら、終わってしまったような切なさをたたえていた。

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