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その日はなぜかいつもの検査室ではなく、研究棟五階の端っこにある玲子ちゃんの研究室に連れてこられた。
この一ヶ月の入院生活の中で研究棟には何度か出入りしていたが、四階と五階は基本的に研究員以外は進入禁止区域だと聞かされていたので、足を踏み入れること自体が初めてだった。
エレベーターを下りたところで強面の警備員が待ち構えており、玲子ちゃんの姿を確認すると敬礼の姿勢をとった。俺一人だったらこの時点でつまみ出されていただろう。
薄々わかっていたことだが、玲子ちゃんは研究所内でそれなりの地位に就く人物らしく、研究室も最上階で一番大きな部屋を与えられているらしかった。研究室の扉は生体認証システムで、彼女が扉の横の機械に顔を近づけて光彩スキャンを行うと自動で扉が開いた。俺はじゃっかん戸惑いながら彼女に続いて入室した。
薄暗い部屋の中は足の踏み場もないほどに散らかっていた。広さ自体は大学の白鷺先生の研究室に比べて二倍以上あるのに、散らかり具合は十倍以上だからえらく狭苦しい空間になっている。
正面奥にパソコンのディスプレイが幾つも並んだ大きな執務机があって、そこまでの床を埋め尽くすように大量の書物やファイル、書類の束が積み上げられ無数の塔を築いていた。横の壁一面を覆う書架はすでに満杯で、入りきらない資料の類が床をどんどん浸食していくうちにこの魔境が形成されるに至ったと容易に推測された。
玲子ちゃんは慣れた様子でひょいひょいと移動して奥に移動すると、パソコンのキーボードを操作しながら困った声をあげた。
「ごめんね散らかってて。ちょっと掃除しとけばよかったなあ。一郎くんも頑張ってこっちまで来て。あ、そこの書類は踏まないでね。後で警視総監に送るやつだから。ってそっちもダメ! それ防衛省から届いたばっかりでまだ読んでないの」
そんなたいそうなものが無造作に床に置いてあるなんて普通思わないって……。
恐る恐るといった足取りでようやく奥まで辿り着くと、ディスプレイから顔をあげた玲子ちゃんが待ちかねたというように笑いかけてきて、何を思ったのか急に抱きついてきた。
「ようこそボクのお城へ。さ、イイコトしよっか?」
一瞬何を言われたのかわからずに硬直する俺。
「え……イイコトって、検査の続きじゃなくって?」
「検査の方が好き? 一郎くんが退院しちゃう前にしたかったんだけどな、この前の続き」
「こ、この前って?」
困惑する俺の問いには答えず、玲子ちゃんはすっと瞼を伏せた。
つま先立ちになった彼女の口唇が、俺の口に触れた。
やわらかい濡れた感触がして甘い香りが鼻腔をくすぐる――先ほどのエナジードレインとは違う、正真正銘のキスだった。
玲子ちゃんは顔を離すと、照れたように微笑んだ。
「……眼鏡、邪魔だったね。はずすの忘れてた」
ぺろっと舌を出した仕草の可愛らしさにやられて、理性が吹っ飛びかけた。
えっと……今日の俺はあれか? モテ期到来な感じか?
「一郎くんの退院が決まっちゃったからかな。もう逢えなくなるわけじゃないけど、なんだか本当に寂しくなっちゃって。それにさっきのは自分が仕組んだことだけど、ちょっと本気で妬けちゃったかも?」
紗羅さんとのあれは一方的なエナジードレインだったのだが、端から見る分にはそんなにイチャラブな感じだったのだろうか。玲子ちゃんは冗談ぽく言っているが、わりとまじで嫉妬してたのかもしれない。
俺は散らかった部屋の方に目を向ける。一応ソファも置いてあるのだが、その上は大量の書類やらファイルに占領されて人間様が腰掛けたり横になったりくんずほぐれつしたりすることはとてもできそうにない。
「この部屋くらいしかなかったんだもん。他はみんな監視カメラで見られちゃうから」
こちらの心を読んだように口にして、玲子ちゃんはスペースを少しでも広げようと机の上の物を奥に押しこみ始めた。うん、やっぱりここでいたすつもりらしい。
歳上のおねーさんらしからぬ可愛らしい容姿で小柄な玲子ちゃんだが、スタイルもけして悪くない。特にタイトミニからすらりと伸びた黒ストッキングに包まれた脚は垂涎ものだった。
振り向いた玲子ちゃんがこちらの視線に気づい、て羞恥んだように微笑んだ。
「またふとももばっかり見てる。ボクが脚組んだ時とか、いつも見てたでしょ?」
「俺、脚フェチなんです」
「あはは。それじゃ、こうゆーのはどお?」
玲子ちゃんは白衣を脱ぎ捨てると、よっと机の上に腰を下ろし、おもむろにスカートの中に手を入れてストッキングを脱ぎ始めた。パンプスが床に落ちて、ディスプレイの光に照らし出された真っ白な太ももが目を奪う。ごくりと俺の喉が鳴った。
「ふふ。目が怖くなったよ? ね、こっちおいで」
誘われるまま彼女に覆い被さり、ぎゅっと抱きしめた。お互いの体全体が熱をもったように熱くなっていた。
ほんとに玲子ちゃんとこんなことしていいんだろうか……と迷うきもちはすでにどこか遠くの彼方に消え去っていた。こうなったらいくとこまでいくしかないだろう。
手をむき出しの太ももに這わせ、弾力のあるなめらかな肌に指をくいこませる。しっとりと汗で濡れた瑞々しい感触を味わうように撫でると、玲子ちゃんの口吻から甘い吐息が洩れた。
「んっ。優しくして……ね?」
耳元で囁かれる悩ましげな声は、しかし男をさらに昂奮させるだけなので逆効果だと思う。昂まった感情と欲求を抑えつけることなんて、すでに不可能だった。
俺はさらに彼女を求めようとしたが、玲子ちゃんが「ボクも、触りたいな」とボタンの隙間から上着の中に手を侵入させてきた。
妖しく動く指の先が俺の胸に触れ、もう片方の手が下半身にも伸びてきて、すでに元気いっぱいになっていたモノに軽く触れた。脊髄に電流のような快感が疾り抜け、久しく感じていなかった快楽の波が押し寄せた。
が、そこまでだった。
不意に、ぞくり――と。
体の内側に奇妙な感覚が生じた。
それは体の中で何かが身じろぎをし、胎動するようなおぞましさといったらいいのか……今までに感じたことのない不気味な感触に身震いし、俺は思わず困惑した。
徐々に腰の辺りを中心にじんわりと冷たい波のようなものが広がっていき、それがはっきりとした感覚に変わった時、下半身全体にずしんとした異様な重さを感じた。血流が勢いよく巡っていたのが急速に冷えこみ、局部から力が失われて――それっきり何も感じなくなった。
「あ、れ……?」
エナジードレインの時と似た、けれどあれとはまた違う、何かを奪われてしまったような喪失感があった。頭の中は冷めることなく昂奮したままなのに、体は熱を失ったように完全に沈黙していた。




