インク
何かが襲ってくる。
何か分からない。それでも、本能が逃げろと、捕まったらだめだと訴え掛けている。
だが、身体は固まったまま、金縛りにでもあったかのような、強い磁石に縛り付けられているような感じがして、動くことは不可能だ。
『それ」は影のような実体がないものだった。悲しそうに、苦しそうに、憎しみをぶつけてくる。
なぜ、どうしてお前は泣いている?どうして苦しい?
僕はどうやら死ぬのか。
漠然とそんな風に思った。
だが、そんなことよりも、僕を襲おうとしている『それ」の方がよっぽど辛そうで、僕は問いかけた。
なぜ泣いているのかと。
それでも『それ』は黒い悲しみの奔流に呑み込まれ、飲み込まれた。
「おい、おい!お前!」
楓の声で目が覚めた。
辺りは薄暗い、どうやら倉庫のようだ。
「お前、随分うなされていたぞ?大丈夫か?」
「ええ。何とか。それよりも、ここどこですか?こんな所で、鳩尾強打されて気持ちよく寝られる方が変ですよ!」
多少の非難。だが楓は笑ながら「悪い、悪い」と全く謝っていなかった。
まあ、いいですか。それよりも、あの黒いのは?
寝汗が冷えて来たのか、悪寒がした。
「ここ、冷えませんか?」
そして楓を見ると、薄いYシャツ一枚だった。足下を見ると、楓のものらしいパーカーが掛けられていた。
なんだ。それにしても逆だよな。
楓も流石に冷えて来たのか、少し身震いをしていた。
「これ、返します。もう春とはいえ、まだ夜は冷えますよ。何か温かいもの買って来ます。こっこで
待っていてください」
そして倉庫らしき所を出ようとした時、「待て」と呼び止められた。
「あの、なんでしょう?」
「私も行く」
どうやら寒さが結構堪えたらしい。
「それじゃあ、行きますか。それと、少女の紙、見せてくれませんか?」
楓はおとなしく紙を渡すと、小さく「ありがとう」と呟いた。
「楓さんが例を言うとは!」
ゴッ!
茶かしたら脛を蹴られた。
紙を見ると、筆記が少し震えている。そして、左に傾いている。インクの臭いからすると、おそらく3〜4日前か。これは急いだ方がいいな。
紙の裏を見ると株式会社丸枝と何とか解読可能に薄く印刷されていた。
株式会社丸枝か。丸枝は確か、県内に会社があった筈だが、去年倒産したはずだ。でも紙自体は古くない。少なくとも3ヶ月以内だ。そういえば、丸枝社長には二人子供がいた筈だが、それでも社員という線もあるし、でもインクが結構いいものだ。インクから調べるか。
「楓さん。車の免許持っていますか?」
突如話を振ると、少し目を丸くしながら「ああ」と答えた。
おそらくこれは万年筆だ。この辺りで万年筆、しかも結構値段が張るやつは、香淳か。
「車、何処にありますか?」
「いや、それが、車で来たんじゃないんだ」
・・・! ハア…。
「しょうが無いですね。車いただきますよ」
近くの軽の白い車を見つけると、ガチャン!
車の窓ガラスを破壊。中に潜り込むと、赤と緑の線を切った。
ブオン…とエンジンがかかる。
「私はやっていない。私は関係ない」
楓をみると、そんなことをブツブツ言っていた。
「僕だってこんな犯罪まがいなことしたくないですよ。でも今は、この子早くしないと死にますよ?
」
すると、楓は観念したのか、車に乗り込んだ。
「僕、免許持ってないんで、お願いしますね」
「解ったよ。とにかく、ここに行けばいいんだろ!」
本当に楓さんは甘い。とろけちゃいそうだよ。いつかその甘さで消えるかもしれない。万屋なんて、本当に彼女にはあっていない。
「で、どこに向かえばいいんだ?」
「香淳に。場所はわかりますね?」
楓はキッと睨むと、車を出した。




