深夜の包囲網と、再起動する炉の記憶
錆びついた蝶番が軋む音とともに、地下へと続く重厚な防護扉が開かれた。
降り注ぐ埃の奥、コンクリート打ち放しの冷え切った空間に佇んでいたのは、無数の配線と半透明の結晶管に覆われた大型霊力演算機――『概念生成炉』だった。
真人が霊術工学の世界を去ってから数年、一度として火を灯されることのなかった機械である。
天板に積もった分厚い埃を、真人は静かに指先で拭った。
かつて、自律霊術が急速な発展を遂げた頃、学会と産業界は利権の奪い合いによって泥沼の抗争に陥っていた。
技術の本質や使い手の幸福など置き去りにされ、誰もが自らの縄張りを守るため、あるいは他者を蹴落とすために、研ぎ澄まされたアルゴリズムを暴力の道具へと仕立て上げた。
人間の浅ましい欲望によって歪められていく自律術式に耐えかね、真人はすべてを捨てて下町の片隅へと逃れ、粉と卵に向き合う道を選んだのだった。
「……結局、あの頃と何も変わっていないな」
真人は自嘲気味に呟いた。
道具を排斥し、手作業の尊厳を標榜する黒沼たちも、その実態は恐怖と暴力で他者を支配しようとする利権の亡者に過ぎない。
道具を憎む者も、道具を掲げて驕る者も、本質において同じ穴の狢だった。
足元で、茶トラ猫の姿を解いたぽん助が、ふさふさとした尾を真人の長靴に巻きつけた。
「真人、道具に罪なんかないぽん。あいつらが勝手に歪めてるだけだぽん」
ぽん助は丸く黒い瞳を真っ直ぐに真人へ向ける。
「真人がこの街で焼いてきたケーキは、一口食べたら誰もが笑うぽん。
機械が泡立てたメレンゲだろうが、真人が丹精込めて混ぜ合わせた生地だろうが、美味しいものは美味しいんだぽん。
真人が技術を諦めなかったから、みんなが幸せになったぽん。
それは、あの絵師の奴らには絶対に壊せない真実だぽん」
ぽん助の迷いのない言葉が、真人の胸の奥底に燻っていた鉛のような澱を払い落としていく。
道具から逃げるのではなく、誠実に使いこなす責任を全うする――その覚悟が定まった瞬間だった。
ガシャアン、と。
地上の夜気を切り裂いて、鋭利な破砕音が店内に響き渡った。
深夜の静寂は一瞬にして消え去り、硝煙と墨の焦げた悪臭が地下へと流れ込んでくる。
ぽん助が耳を伏せて低く唸り、真人は即座に身を翻して階段を駆け上がった。
店舗のガラス窓は無残に叩き割られ、舗道には黒い外套を纏った十数名の集団が立ち並んでいた。
『反AI浄化連盟』の実行部隊である。
集団の先頭で、特異な形状の霊筆を携えた黒沼蓮也が、狂気に満ちた哄笑を夜空に響かせていた。
「見ろ、この脆弱な店構えを! 人の手の尊厳を売り払い、機械の走狗となり果てた卑劣漢の巣窟だ!」
黒沼が腕を一閃させると、彼が自らの血と悪意で書き殴った数百枚の呪詛符が、夜風に乗って群青の空へと舞い上がった。
符はどす黒い火炎へと姿を変え、店舗のみならず、隣接する波布杜神社の木造社殿へと降り注いでいく。
「伝統を汚す寄生虫どもを灰にしてやる! 我ら選ばれし職人の優位を、貴様らの骨の上に刻みつけてくれるわ!」
神社の境内からは、凛とした鈴の音が悲痛に響いていた。
綾乃が純白の千早を夜風にはためかせ、大鳥居の前に仁王立ちとなって大結界を展開している。
だが、無数に降り注ぐ悪意の火炎を受け止め続ける巫女の全身からは、過剰な神気の消耗によって激しい燐光が散っていた。
彼女の膝が、負荷の重さに耐えかねてわずかに折れる。
「……葛城さんには……この街の平穏には、指一本触れさせません……!」
綾乃の必死の防戦を嘲笑うかのように、連盟の構成員数名が割れた窓から店舗内へと雪崩れ込んできた。
彼らの手には鉄パイプとバールが握られている。
「手始めに、あの生意気なオーブンを叩き割れ! 二度と偽物の菓子を焼けねえようにしてやる!」
暴徒の一人が鉄パイプを高く振り上げ、真人が日夜手入れを怠らなかった厨房の心臓部へ向けて渾身の力で振り下ろした。
その凶刃が届く寸前――。
地下へと続く階段の隙間から、空間そのものを震わせるような重低音が轟いた。
純白と青碧が混ざり合う眩い燐光が噴出し、厨房全体を満たしていく。
再起動を果たした炉の鼓動が、破壊の切っ先を寸前で凍りつかせた。




