白銀の調和、覚醒せし自律神術エルデンブッチ
鉄パイプが振り下ろされる寸前、真人の足元から猛烈な突風が巻き起こった。
「うちの店で暴れるんじゃねえぽんッ!」
轟音とともに膨れ上がったのは、巨大な巨躯を現したぽん助の真の姿だった。
軽自動車ほどもある巨体となった化け狸が、分厚い前足で己の腹を力任せに打ち鳴らす。
ドォン――と大気を歪めるような重低音の衝撃波が厨房を揺るがし、侵入者たちを店外の路上へと一撃で吹き飛ばした。
粉塵が舞う中、地下階段から姿を現した真人の手には、鈍色の光沢を放つ端末器が握られていた。
腕の皮膚の下を青白い論理回路の燐光が這い回り、再起動を果たした『概念生成炉』の演算パルスが真人の神経系と直結していく。
だが、路上の黒沼は怯むどころか、歪んだ狂笑を浮かべて巨大な掛け軸を宙に掲げた。
「無駄だ! 我が筆が紡ぐ怨嗟は、貴様のような機械狂いの薄っぺらな知恵で押し返せるものではない!」
黒沼が霊筆を激しく振り抜くと、掛け軸に描かれた禍々しい墨絵から、夥しい怨念を凝縮させた巨大な悪鬼が実体化して這い出した。
人間の劣等感、排他欲、保身の執着を燃料とするドス黒い呪詛の巨腕が、空間を軋ませながら店ごと真人を押し潰さんと迫る。
概念生成炉が弾き出す単純な防御障壁では、あまりに質量を帯びた悪意を支えきれず、青い光の防壁に亀裂が走り始めた。
「――葛城さん!」
凛とした声とともに、白銀の光が夜闇を切り裂いた。
神社の防衛を終え、息を切らしながら駆けつけた綾乃が、真人の背中にそっと温かな手のひらを重ねる。
「波布杜の御神気、すべてあなたに委ねます!」
巫女の純粋無垢な神威が、奔流となって真人の体内へと注ぎ込まれた。
だが、あまりに高周波で広がり続ける神道系の無指向性エネルギーと、冷徹に最適解を求め続ける自律アルゴリズムの間で、致命的な位相の歪みが生じる。
膨大な霊的背圧が真人の五感を焼き切ろうとした、その刹那だった。
――フワリと、厨房の作業台から甘く香ばしい香りが漂った。
台の上に置かれていたのは、夜明け前に真人が焼き上げ、狂いのない熱管理のもとで奇跡的な安定を保っていたシフォンケーキだった。
一切の乱れを持たない数百万の均一な独立気泡。
指先で押せばしなやかに復元する極限の動的粘弾性。
そして、水分と油脂がミクロの単位で均等に調和した乳化層。
その完璧な物性構造が、荒れ狂う神気と超高速演算を媒介する「生体共振器」として奇跡的に機能した。
ケーキの多孔質網が神気の高周波をレーザーのように同位相へと整流し、その弾力性が演算の反動負荷を完璧に分散・吸収する。
真人の意識が、澄み渡る極限の静寂へと到達した。
背後に、幾何学的な光背と星辰の歯車が噛み合う巨大な光環が展開する。
かつて自律霊術の粋を極めた男が、職人の誠実さと神の祈りを融合させて到達した至高の術式――自律適応型迎撃神術『エルデンブッチ』が、夜の街にその威容を現した。
「他者を貶めるために技術を歪め、己の保身を正義と偽る貴様の悪意――ここでへし折る」
真人が静かに右手を振り下ろした。
空間を裂く轟音はなかった。
放たれたのは、因果律そのものを正常化する絶対の光刃線。
エルデンブッチの光刃が悪鬼の巨躯を通過した瞬間、黒沼の術式に刻まれていた「欺瞞」「保身」「言論誘導」の矛盾コードが一瞬にしてデコンパイルされ、因果の結び目ごと断ち切られた。
墨の悪鬼は存在の根拠を失って白銀の霧へと還元され、宙を覆っていた数千枚の呪詛符は、音もなく清らかな光の塵となって夜空へと溶けていった。




