57 シノロ平原の戦い(3)
うおおおおお……! という群衆の雄たけびが、南と北の両軍からあがる。
わたしは身を震わせながら、頭の中で何度もジェイド様から教えていただいた作戦を復唱していた。
すぐ目の前には墓守の――いや、【墓地の魔法使い】となったネルブスの背中が見える。
彼はシャベルを大きく振りかぶり、地面に突き刺すと、
「お願いです! 死者のみなさん、力を貸してください!」
と叫んだ。すると、あたりの地面からにょきにょきと骸骨たちが生え、それらは意思を持った動きでフロンス軍めがけて走っていった。どうやらあれが、公営墓地に眠る死者たちのようだった。ネルブスは魔法で墓地から死者を召喚できるらしい。
平原の向こうのフロンス軍たちは骸骨の群れにおののき、さすがに足を止めていた。
「な、なんだあれは! 骸骨の魔物か?」
「いや、あの数がいきなり現れるのはおかしい。なにかしらの魔法だ! 魔法使いがいる!」
フロンスの兵たちは戸惑いながらも、骸骨たちと戦闘をはじめた。
「こうしちゃおれないわ! わたくしも暴れてさしあげてよ!」
横にいたセーミアも右手に魔力をまとわせる。平原全体にかざすと、あちらこちらに小さな花々が咲き、太いいばらが一瞬にして生えた。そのいばらたちは向かってくるフロンス兵たちの体にからみつき、物理的に足止めをする。
わたしもぼやぼやしていられなかった。
「【沼の魔法】!」
濃緑色のドレスの裾を大きく伸ばし、いばらを乗り越えて向かってくる兵士たちをまとめて数人包む。布の中では致死性の濃度になった沼の毒が兵士たちの肌を焼いた。
「ぐああああっ!」
「ぎゃあああっ!」
悲鳴が上がる。この国の人たちのせいで、わたしは七十年前にジェイド様との婚約を破棄されてしまったのだ。憎い。その恨みを、ここで晴らしたいと思った。
でも、ふと。
もうあの頃に生きている人々とは違うんじゃないかと思った。
フロンスもネビュラスも、ずっと「支配」と「従属」の関係が続いていて、みんななんのために自分の国がそれを続けているかを、忘れてきている人もいるんじゃないかと思った。
国がそれを続けるから、なんとなく従っているだけの人々。
目の前の彼らは、わたしのことなど知らない。
七十年前のことなど知る由もない。
なのに、わたしは彼らを傷つけようとしている。
――エルザ。戦で助力してくれるのはありがたいが、たとえ敵軍であっても、人を傷つけることに抵抗があるのなら無理はしなくていい。とどめは、俺がする。だから君は……。
作戦を聞かされたとき、ジェイド様はわたしにそう言ってくれていた。
無理はするなと。主力の補佐だけでいいのだと。
ああ、すみませんジェイド様。やはりわたしには覚悟が足りなかったみたいです。痛みなどもう感じない体なのに、心だけはまだ――。
ドレスの裾の中の兵士たちは最後の力を振り絞って、脱出しようとしていた。
しかし、そこに風のように駆けつけた人がいる。
「悪いが、ネビュラスのために死んでくれ」
一瞬で、フロンスの兵士たち三人の首が飛んだ。ジェイド様はすぐに剣についた血を振り払う。
あまりに速くて見えなかった。
わたしは死体となった彼らを、どさりと開放する。
「ジェイド様……」
「きついことをさせている。すまない、エルザ」
「いえ……」
なんと言っていいかわからないままでいると、ジェイド様の顔面にフロンス軍の矢が飛んできた。リフューズの【拒絶の魔法】をかけられているからか、矢はすぐにはじき返される。わたしの方にも飛んできたので、ジェイド様が前に立って壁になってくれた。
「さすがに数が多いな。我が軍の騎士たちも善戦しているが……墓守が魔法使いになってくれなければ、危なかった」
「この戦、勝てますか」
「そうでなければ宣戦布告などしない」
「そうですね。そうでした。勝ちましょう、ジェイド様」
「ああ」
にこりと、いつものように優しい笑みを向けられて、わたしも笑みを返す。
ジェイド様の力になる。ネビュラスの力になる。
それだけを今は考えなくては。
わたしはドレスの裾を大きく広げると、沼の水をシノロ平原に召還した。
ドレスから噴き出した水は一斉にフロンス軍の上に降り注ぐ。
「なんだ、この緑色の液体は……」
「うっ!」
「ぐあっ……!」
最初よくわかっていなかった兵士たちは、しだいに体に付着した液体に苦しめられはじめた。
肌を焼くだけではなく、急激な中毒症状で嘔吐しはじめたのだ。
そうして身動きが遅くなったところを、ネビュラスの騎士団や骸骨たちが襲撃した。この攻撃でフロンス軍の半分近くが機能しなくなった。
「エルザ、あの毒はずっと我々ネビュラスが引き受けつづけてきた毒なのだろう?」
「そうですね。我が国の土地のケガレを集めたものです」
「あのケガレで、ずいぶんと多くの民が亡くなっていった……。だが国の存続のために、鉱山を閉じることはできなかった。民たちもみなそれをよく理解していた。だが、もうそれは続けさせない」
「ええ。このケガレは彼らに引き取ってもらいましょう」
戦場に苦しみの声がこだまする。
そんな中、突如空から大きな影が飛来してきた。
「あれは、飛竜部隊!?」
数体のドラゴンがフロンスの方向から飛んできて、爆弾をシノロ平原に落としていった。
それらはセーミアの太いいばらや骸骨たちを粉砕していく。
リフューズは人間や場所には【拒絶の結界】を施せるのだが、他の魔法を「保護」することはできなかった。
――僕の魔法は【拒絶の魔法】だからね。他の魔法や魔の者と相性が悪いんだ。攻撃されて拒絶することはできるけど、たぶん、守ろうとしたり手助けしようとすると効果がなくなってしまうんだと思う。
そのように説明されたのを思い出す。
つまり、魔女や魔法使いになってしまったわたしたちは、自分で自分の身を守らなくてはならないのだった。
「あああ……ご、ごめんなさい。ごめんなさい……!」
ネルブスは泣く泣くバラバラになった骨たちを元の墓地へと戻していた。
どういう原理で動かしているのか詳しいことはわからなかったが、元の骨がある程度しっかり残っていないとダメになるようだ。
「しかたない。別の死体を使おう……」
しかし、ネルブスはしたたかだった。代わりに戦場で新たに発生した死体を使おうとしていた。【墓地の魔法】が発動し、敵の死体が自らの国の兵を襲っていく。死者が増えれば増えるほどこちらの有利になる……それは本当に恐ろしい魔法だった。
「すごい……ネルブスさん」
じっとその光景を眺めていると、ふと周囲の影が濃くなった。
ハッとして上空を見ると、いつか見た真っ赤なドラゴンがこちらに向かって急降下してきている。
大きな足の爪がもう目前に迫っていた。
「エルザ、危ない!」
わたしとジェイド様が防御態勢を取る直前、すぐそばでデルマの声があがった。




