55 シノロ平原の戦い(1)
翌日。
まだ夜明け前の薄暗い中、わたしはオオカミの魔物デルマと、【庭園の魔女】セーミアとともにシノロ平原へと赴いていた。
王都の南にあるここシノロ平原は、ネビュラスとフロンスのちょうど国境にあたる。近くに川はないので、村も畑もない。本当にただの平原だけが広がっていた。
南端には、おびただしい数のフロンス兵たちが布陣しているのが見える。
わたしはそれらを恐ろしい思いで見つめながら、ネビュラス軍の本営を訪ねた。
「おはようございます。ジェイド様にお目通りをお願いいたします」
戦の準備に忙しい兵士たちの間をくぐって天幕までたどり着くと、入り口にいた兵士はカエル顔のわたしを見てすんなりと中に入れてくれた。
中には昨日の演説台にいた人たちが勢ぞろいしている。
胸元を見ると、碧色のブローチが光っていた。ジェイド様が近くにいるので、人間の顔に変化したのだろう。みなの視線を受けながら、わたしはカテーシーをした。
「【沼の魔女】エルザ、ただいま参りました。横にいるのはオオカミの魔物デルマ、それと……【庭園の魔女】セーミアでございます。共にフロンスと戦うため馳せ参じました」
「よく来てくれた、エルザ、デルマ、そしてセーミアよ」
一番奥にいたジェイド様がやってきて、わたしたちに声をかけてくれる。
デルマはすでに獣人の姿になっていたが、あいかわらずジェイド様をにらみつけていた。
「デルマ、お前のために戦うわけじゃない。エルザのため。そこ、忘れるな」
「ああ。わかった。それでもいい。礼を言う」
「ふん……」
デルマはわたしの後ろに隠れると、すぐに背中に頭をこすりつけてきた。
まわりの兵たちは、失礼な物言いをするデルマと、それを許すジェイド様に呆気に取られている。わたしは思わず苦笑いを浮かべた。
ジェイド様は次にセーミアに視線を向けられた。
セーミアはこほんと咳ばらいをすると、周囲に聞こえるように話す。
「わたくしも、別にあなたがたのために戦うわけではないわ。もともとヒオニの人間だったんだもの……。そこの【沼の魔女】さんに恩義があるから力を貸すだけよ。勘違いなさらないで」
「君のことはエルザからよく聞いている。魔法が使えるものが少しでもいるのは心強い。此度の戦ではよろしく頼む」
「まあ、それなりに力は尽くさせていただくわ。【沼の魔女】さんから聞いた通りに動くつもりよ」
ジェイド様はわたしに目配せをされ、小さくうなづかれると、また背後の配下たちに向き直った。
「すべての兵はそろった。まもなく開戦のラッパが鳴り響くだろう。総員、配置につけ!」
「はっ!!」
姿勢を正し、兵たちが敬礼のポーズをとると、みな一斉に天幕から出て行く。
あとにはジェイド様とリフューズ、そしてジェイド様の御父上と御母上だけが残った。
「父上、母上……。これより出陣して参ります」
「ああ、武運を祈る」
「……」
ジェイド様の御父上である陛下は励ましとも取れる言葉をかけられたが、御母上である王妃殿下は不服そうに見つめているだけだった。
「母上、以前の『フロンスの利益が損なわれないようにする』という言葉を違えてしまったこと、お許しください。しかし、ネビュラスの未来を切り開くためにはこれしかないのです」
「……もし負けたなら、わたくし以外は全員皆殺しにされるでしょうね。せいぜい殺されないようにしなさい」
「はい」
王妃殿下の手はぶるぶると震えていた。
失望と、怒り……または恐れ、だろうか。
しかしその裏には、子への愛情が潜んでいるように感じられた。
もし負けたら。
そんなことは考えたくなかったが、王妃殿下は最悪のことを想定しておられるようだ。王妃殿下はフロンスから政略結婚のために来られた方。ならば、この方だけはたしかに命だけは助けてもらえるかもしれない。
王妃殿下はジェイド様から視線をそらされると、わたしの方へ近づいてこられた。
その目には憎悪の色が浮かんでおり、強い圧を感じる。
「母上!」
ジェイド様が引き留める間もなく、王妃殿下の手が上げられる。
平手打ちだろうか。
そうだとしてもわたしは甘んじて受けるつもりだった。しかし、背後のデルマが、横にいたセーミアがその一撃を阻む。
「エルザに、何する!」
「王妃様ともあろう方が……少しはしたないんじゃなくって?」
デルマは王妃殿下の手を左手の甲で受け、セーミアは地面から大きな葉っぱを生やしてわたしの前に展開していた。
「くっ……魔の者めらが。無礼者!」
「無礼なのはどちらか! すまない、エルザ……」
ひるんだ王妃殿下が一歩下がると、ジェイド様が間に立たれた。
わたしは彼女の気持ちが少しだけわかったため、あえて黙っていた。
「どうして……どうしてあなたなんかが……っ! 我が子をたぶらかした罪……絶対に許しません。この戦を引き起こしたのはあなたですよ、【沼の魔女】! いいえ……かつてのこの国の汚点、エルザ・トードストーン!」
「母上!」
今度こそ、ジェイド様が怒りに満ちた声で王妃殿下を叱責する。
「母上、あなたはフロンスから送り込まれた『監視役』でした。ですが、そのお立場だったとしても、今後そのような侮辱をエルザに対してしつづけるならそれなりの対処をしますよ! ネビュラスの国賊として、罰を……与えねばならないでしょう」
「罰? この私に!?」
「王妃、王妃よ、もうやめるのだ!」
「陛下? は、放して!」
王妃殿下を背後から抱きすくめたのは陛下だった。
なんとかこの場を収めたかったのだろう。戦の前に余計ないざこざを起こしてはならないと、暴れる王妃殿下を必死で押さえている。
「父上、先日申し上げた通りです。お二人がこれ以上フロンスに従属する意思をお持ちになるというなら……」
「わかっておる! 幽閉でも処刑でも好きにしたらいい。だが、王妃だけは……」
「それはお二人次第です。行こう、みんな」
近衛兵たちに後を任せると、ジェイド様はわたしたちを連れて天幕の外へ出た。
リフューズがやれやれと言いながら振り返る。
「いやあ、散々な言われようだったね、【沼の魔女】。大丈夫かい?」
「……」
「ありゃ? いっぱしに傷ついちゃったりしたのかな?」」
「いえ……王妃殿下は、お立場的にああなられても仕方ないと思っていました」
「エルザ、本当にすまない」
リフューズが指摘してきたようなことはまるでなかったが、ただ王妃殿下のことは哀れだと思った。
フロンスから嫁いできて、フロンスのために嫁ぎ先の国を監視する。反乱の芽があったら都度取り除き、母国に報告しなくてはならない。
それは並々ならぬ緊張を強いられてきただろうと思った。
神経をすり減らしてまで、そのお役目を遂行してきたのに、よりにもよって自分の代で、フロンスに牙をむくことになってしまった。
このわたし【沼の魔女】が起点となって。
それは誰しも憎く思ってしまうことだろう。
「ジェイド様、謝らないでください。王妃殿下のことは、フロンスとの戦が終わったら、また改めて考えましょう。わたしはまだ、今世のご両親とはお話しできていませんし……」
「そうだな。七十年前の両親と、今世の両親は違う。また改めて対応を検討しよう。ありがとう、エルザ」
お互い笑みを浮かべ合っていると、背後のセーミアが呆れた声を出した。
「本当に、七面倒くさい関係なのね。聞いていた以上だわ……」




