41 「来るべき日」
「来るべき日……?」
さきほどから何度も飛び出す、その言葉。
わたしは復唱しながらどこか不安な気持ちになっていた。
詳しく聞きたいような、聞きたくないような……そんな複雑な気持ちにさせる言葉だ。
「『来るべき日』については、まだ詳しいことは言えない。だがもう俺は……二度と誰にも不義を働きたくない。そのために、俺は『生まれ変わり』をしたのだ」
「ジェイド様……」
よくわからないが、ジェイド様は並々ならぬ覚悟を持って、この『生まれ変わり』に臨まれたようだ。理論上は可能なのだろうが、本当に成し遂げられる保証などどこにもない。それなのにジェイド様はやってのけた。これはすごいことだ。
「ジェイド様が『生まれ変わり』を成功されたのも……奇跡だと思います。ああ、神様、この方に再び出会えたことに感謝いたします……」
わたしはもともと信心深いほうではなかったが、このときばかりは唯一神サイラスに深く感謝をした。
胸の前で正三角形の印を切り、目を閉じる。
そしてまた目を開ける。と、そこには愛しい人がいた。
「ああ、ジェイド様。お会い、しとうございました……」
「エルザ。俺もだ。君に再び会うことは、生前でも密かな願いだった。だが、今世では完全に想定外だった。こんな予期せぬことがあるなんて……裏切り者の俺には過ぎた褒美だ」
ジェイド様の手が、わたしの頬へと伸ばされる。
二度と触れられないと思っていたその感触が、わたしの胸を強く締めつけた。
そして、ジェイド様の翡翠色の瞳が近づいて――。
「ちょーっと待った!!」
声がしたかと思うと、急にわたしとジェイド様の間にリフューズの白い膜が現れた。
わたしとジェイド様は口元に軽い衝撃を受け、それぞれ離れる。
見るとリフューズが木の杖の先端をこちらに向けていた。【拒絶の結界】が張られたようだ。
「リフューズ、空気を読め……」
ジェイド様は少しだけ怒っているようだった。
「殿下? お言葉ですがね、彼女は魔女ですよ。もうかつての恋人、人間ではないのです。それにお忘れですか? ジェイド殿下は将来――」
「言うな」
「えっ?」
一言だけ、とても低い声でジェイド様は言った。
リフューズはあきらかに動揺している。
「で、殿下? なぜ――?」
「もう二度と、あんなことがあってはならない……。七十年前、この国は選択を間違えた。俺も選択を間違えた。結果、生涯俺は後悔をした。死んでからも、生まれ変わった今も……。だから、もう二度と間違えたくないんだ」
「殿下……?」
「たとえ彼女がこの世にいないままだったとしても、俺はこの『計画』を実行していただろう。だが……彼女もまた、俺と同じこの時代に生まれ変わってしまっていた。ならば、この俺の『計画』への思いは消えるどころか、さらに強くなろうというもの」
「まさか、殿下……」
リフューズがハッとした表情でジェイド様を見る。
「殿下、僕はこの国の初代国王に、この国を永久に守ってくれないかと頼まれてるんです。だから、本当の意味で守ろうとする人がいるなら、協力しないわけにはいかない。ジェイド殿下。あなた様がそのおつもりなら、僕はどこまでもついていきます」
「ああ、リフューズ。助かる」
二人はそう言ってお互いに笑みを向けた。
さっぱりわからない。
何のことを話しているのだろう。
わたしはというと、魔法の衝撃を受けた唇をずっと両手で押さえていた。
久しぶりにジェイド様と口づけができると思ったのに。リフューズに妨害されてしまった。あの、甘いジェイド様の口づけ。七十年前のことではあるが、今もありありと思い出せる。
そんな思い出にひたりながら見つめていると、ジェイド様が照れたように視線をそらされた。
「エルザ……。すまない、期待させてしまったか」
「えっ。そ、そんな!」
「リフューズがいることをすっかり忘れていた。俺にこうする資格はまだないのかもしれないが……できるなら、もう一度やり直させてほしい」
「ジェイド様……」
そう言ってジェイド様がまた近づいてくる。
わたしは顔から火が噴き出そうだった。
もう人間ではないのに、胸が痛く、耳も頬も首も、ものすごく熱くなっている。
「リフューズ、しばし後ろを向いていろ」
「ええ……」
「それと、妨害はもうするな。俺は、彼女を選ぶ」
ジェイド様の手が、またわたしの頬に触れた。
「はいはい。これからまた王城に戻らなきゃですからねー、ほどほどにしといてくださいよ。あと……例の『来るべき日』のこともですが、殿下の御意思はここだけの話にしておきますね」
「ああ、まだそうしていてくれ」
リフューズはやれやれと肩をすくめ、足早に屋根から降りていった。
その姿が見えなくなるまで見ていると、くいと顎を引かれて視線をジェイド様に向けさせられる。
「エルザ。そろそろ……続きをいいか?」
「……っ」
わたしは本気で迷ったが、ついに、こくりと頷いてしまった。
そして、七十年ぶりの口づけを味わうことになったのだった。
「……はあ、ジェイド様……」
「……エルザ……」
何度も何度も唇を合わせ、お互いの吐息を交換する。するとだんだんわたしは夢見心地になってきた。頭も体も、なんだかずっとふわふわする。
こんなことを、こんな場所でしている場合ではないのに。
幸せすぎてこのまま眠ってしまいたくなる。
屋根の上はとても静かだった。ゆるやかな風がわたしたちの髪を揺らす。
「ジェイド、様……」
「ああ。そろそろ行かねばならないな。エルザ……君を、愛している。昔も、今も」
「わたしもです、ジェイド様。ジェイド殿下の中にジェイド様の魂がおられたなんて、今でも信じられませんが……嬉しいです。こうしてまたお会いできて」
「また近いうちに会いに行く。君も、いつでも俺の元へ来てくれ」
「……はい。その機会がございましたら」
名残惜しかったが、わたしはジェイド様を見送った。
王太子として、此度の被害を処理する責務があるのだろう。ジェイド様は建物の屋根からおもむろに跳ぶと、他の建物の壁などを利用して地上に下りた。
やはり、すごい身体能力だ。
「ジェイド様……」
少し前までは、同じ名前であるけれど、違う人だった。
今は同じ名前で、同じ記憶を持つ、同じ人になった。
不思議な気分だった。
わたしは人ごみをかきわけて進んでいく、愛しい人の背中を見送った。




