35 村の図書館へ
ひととおり話が終わったので、わたしはデルマたちを沼に残し、ジェイド殿下らと村の方へ向かった。
ジェイド殿下らは乗ってきた馬で。
わたしは空中を浮遊して。
目的地はかつてのわたしの実家だった。
今は村の図書館に改築されている、トードストーン家の屋敷。そこに用ができたのだ。
ジェイド殿下は二つ返事で了承してくれた。
「突然押し掛けたのに、君はきちんと応対してくれた。その恩には報いねばな」
「大袈裟ですよ。でも、一緒に来ていただけると嬉しいです」
昨日ベラとここを訪れたときは、外から眺めただけだった。今日はその敷地内に入る。七十年前とは、植わっている花も木々も変わっていた。その庭を抜けて、建物の玄関に到着する。扉は開け放たれており、自由に入っていいようになっていた。
「君たちはそこで待ってて」
リフューズが憲兵たちにまた馬の番を命じる。
敷地の外の道沿いには、雑草が山のように生えていた。馬たちはそれをもさもさと食べはじめる。沼ではいっさい食していなかったが、やはりあの辺りの植物も毒性が強まっていたのだろうか。
わたしはリフューズがやってくるのを待って、玄関の奥の受付に顔を出した。
カウンターにはおさげ髪の若い女性が座っている。
「おはようございます。館内を少し見回りたいのですが、よろしいですか」
「えっと……村の方ではないようですが、どちらからいらした方ですか? よろしければここの台帳にお名前と住所を……」
「ええと……」
わたしは書いてもかまわなかったが、うしろの二人を見てどうしようかと悩んだ。きっとお忍びで来たのだろう。さっきまで顔を出していたのに、今は二人とも深くフードを被っている。素性が知れるのは困るのかもしれない。
「だ、代表者の名前だけでいいですかね? これでよろしいでしょうか?」
さらさらと、人間だったころの名前「エルザ・トードストーン」と書く。住所はこの図書館のある場所。というか、わたしの戸籍は現状それしかないはずだ。魔女になってからのものなど当然ない。これで、どういう反応になるか。
「トードストーン……? もしかしてトードストーン家の御親戚の方ですか?」
「えっと……まあ、そうですね」
「住所はここ……? あはは! 冗談はやめてください」
「それが冗談じゃないんですよ……実はかくかくしかじかで」
わたしは、人間から魔女になったいきさつをおおまかに説明した。
「えっ、あなたが【沼の魔女】様なんですか? あの?」
「あのって、ご存じなんですか」
「ご存じもなにも……今、村ではあなたの話題で持ちきりですよ! 畑や川を再生してくれて、となりの村のオオカミの魔物すら追い払ってくれたって、救世主様だなんだとお祭り騒ぎです」
「ええ……」
そこまで大事にされるとは思っていなかったので、戸惑った。背後のリフューズが小声でつぶやく。
「なるほど。今朝、村の中心部を通ったときに妙にざわついていたのはそういうことだったのか……」
「えっ、何。何を見たんですか?」
「何って、村の広場? みたいなところをみんなが飾り付けしてたんだよ。それにみんな集中してたから、僕たちが通っても誰も気付かなかった。でも、帰りはさすがに別の道を行った方がいいかもね」
「なっ……」
飾り付け? お祭り騒ぎ?
なんだろう、なにかめちゃくちゃ嫌な予感がする。
あとでベラがわたしを呼びに来たりしないだろうか。みんなでエルザの歓迎の宴をすることになったんだ、とかなんとか……。
わずかに身震いしていると、受付の女性が小首をかしげていた。
「ど、どうしました?」
「【沼の魔女】様は……カエルの顔をされていると聞いてましたが、今のあなたはなぜか人間の顔をされていますね。どうしてなんでしょう?」
「まあ、いろいろありまして……。とにかく、かつての自分の部屋がどうなってるか一度見てみたくてですね。中に入れますでしょうか?」
「ご本人様のお宅ですし、断る理由はありませんね。そもそも誰でも自由に見ていただけるようにしているんですよ。あ、でも展示用にいくつか固定してあるものもございますので、そこは動かさないようにお願いします」
「はい、わかりました」
わたしは受付の女性にお礼を言うと、屋敷の奥へと足を踏み入れた。
壁にある館内地図をみると、一階の食堂は喫茶店になっており、各部屋はそれぞれ資料室になっていたり、伝統工芸品などの展示室に変えられているようだった。ちなみに、小説や図録の収められている部屋は二階のようだ。
わたしは階段を使って二階に上った。
ジェイド殿下とリフューズはものめずらしそうにあたりを見回している。
「ここが君の生家なのか……」
「男爵家にしては立派な屋敷だねえ」
「父は死後、ここを村に寄付したそうです。いつかわたしが戻ってきたときのために……遺しておきたかったのでしょう」
各部屋のドアは開け放されており、父の書斎や夫婦の寝室などはそのままに保存されていた。わたしが集めていた本のある部屋は、そのまま書庫のひとつとなっている。このさらに奥がわたしの部屋だ。
ジェイド殿下とリフューズに見られるかと思うと少し恥ずかしかった。
どうか変な改築がされていませんように、と祈りながら部屋に入る。
「あ……」
そこは、七十年前と全く変わらぬ景色が広がっていた。




