32 ジェイド殿下の胸の痛み
「――とにかく、ジェイド一世や王家への恨みごとがあるなら俺がいつでも受け止める。だから言いたいことがあるなら言ってほしい」
翡翠色の瞳を揺らして、ジェイド殿下がわたしを見つめている。
わたしはお礼を言った。
「ありがとうございます。そのお気持ちだけで、十分にありがたく……。ただ本当に、あのときは誰も悪くなかったのです」
わたしは、自分の胸の内に点った熱をひそかに感じていた。
このお方はジェイド様ではない。
なのにまるで、ジェイド様がおっしゃられたようなあたたかさを感じた。どうしてこう、この方は勘違いをさせてくるのだろう。
「では、君が俺をどう思っているのかは……つまり、こういうことか? とくに憎くは思っていないと?」
「はい。当時の方々も、誰も憎く思ったり、恨んだりはしておりません。今の王家の方々も同様です」
「そうか……」
本音を言えば、悲しみだけはある。
ジェイド様はもうこの世のどこにもいない。そう知ったからだ。できるなら、もう一度お会いしたかった。
目の前の……ジェイド殿下がにじむ。
「エルザ? 泣いて――」
「わたしが殿下をどう思っているかですが……もうひとつございます。殿下を見ていますと、あの方に会いたくなるのです」
「……それは」
「殿下は、あまりにもあの方に似ていらっしゃる。そして、似ていらっしゃるからこそ、違うと感じる。殿下を見ていますと、悲しくなってしまいます。もうあの方がどこにもいないのだと、痛切に感じてしまいます……」
殿下は、わたしが言葉を紡ぐたび、その端正なお顔を曇らせていった。
申し訳ないなと思いながらも、わたしはさらに本心を語る。
「できるなら、もうお会いしたくはありませんでした。会えば、もっとあのお方に会いたくなるからです。ですので、王城でお会いしたとき、別れ際にまた会いたいと言われたとき、良い返事はできませんでした。恐れ多いお言葉でしたのに、わたしは……」
「いや、あのとき俺は君の気持ちも考えず、自分の好奇心だけで……あのようなことを言ってしまった。辛い思いをさせてしまったようだ、すまない」
「殿下。いえ……」
なんと、寛大なお方だろう。
失礼すぎることを言ったのに、そんなわたしの気持ちの方を優先してくださった。どうしよう。やはり勘違いをしてしまう。
わたしが会いたくない、と思ったのは、きっとこういうせいもあったかもしれない。
そうだ。
会えば、ジェイド殿下とジェイド様を混同してしまう。
ジェイド様ではないのに、ジェイド様かと思ってしまう。そんなことになれば、それは――ジェイド様への裏切りではないのか。
忘れたくない。ジェイド様への恋心を。違う方への印象で上書きしたくない。
「まだ、痛む……」
ジェイド殿下はわたしをまっすぐ見つめたままそう言った。
頭痛。胸の痛み。どちらだろうか。
「頭痛はずっとしている。ここで、君の姿を認めたときから。同時に、何か忘れてることを思い出しそうな、そんな感覚がずっとある。だが、今は――ここが痛んでいる。しめつけられるように」
ジェイド殿下は、ご自分の胸にまた手を当てられた。
「君がジェイド一世のことを語ると、ここが痛んだ。俺が君を悲しませていたのだとわかると、ここが痛んだ。もう会いたくないと言われて、ここが痛んだ。頭痛の方の理由はまだ判明しないが、ここの痛みの理由は……もうわかった」
「……」
わたしは、なんと言っていいかわからなかった。
「君にこれ以上辛い思いはさせたくない。なら本当は、もう君に会わない方がいいのだろう。君に会わなければ、頭痛もしなくなる。だが……」
沼の上を風が吹き抜けていく。その風は、わたしとジェイド殿下、そして後方のリフューズたちの横を通り過ぎていった。
「俺は、君と離れたくない。もっと話をしていたい。なぜなら……こうしてまた生きて会えたのだから。ずっと、会えずにいたのだから。このまま、君を離してはいけない気がする。俺のここが……そう言っている」
翡翠色の瞳。風になびく漆黒の御髪。わたしだけに向けられる、優しい微笑み。
ジェイド殿下は胸に手を置かれたまま、真摯な言葉でそうおっしゃられた。まるで誓いの宣誓のように。
「もったいなきお言葉です。ただ、わたしはもう【沼の魔女】。殿下と親しくなるにふさわしい者ではございません。七十年前ですら、身分不相応であったのに。今はそれ以下でございます。ですので――」
「グアアアウ!」
あ。
と、思う間もなく、オオカミの魔物がこちらめがけて木の陰から飛び出してきた。
あれだけ言っておいたのに。
お目付け役のカエルの魔物たちはというと、オオカミの毛につかまりはしていたがいまにも振り落とされようとしていた。
「ま、待つケロ~~~!」
「出て行っちゃだめケロ!」
「いい子だから言うこと聞くケロ~~!」
しかしオオカミの魔物は止まらない。
「危ない!」
彼らがどういう者たちか知らないジェイド殿下は、とっさに腰の剣を抜いてわたしの前に出た。
いやいや。その魔物たちはわたしの関係者で――。
と思う間に、リフューズの拒絶の魔法が周囲に展開される。
バシッとなにかにはじかれる音がして、オオカミの魔物は後方に大きく吹き飛んだ。
「うわああああ~~~!!」
カエルたちも吹き飛ばされ、沼の方へと落ちていく。
オオカミは空中でくるりと一回転すると、華麗に地面に着地した。さすがに身体能力が高い。
「この大きさ……魔物か」
ジェイド殿下がつぶやく。
オオカミの魔物はしばらく殿下をにらみつけていたが、やがてシュウシュウと全体から白い煙を出しはじめた。




