第五十一話 両成敗ってやつ
大地に剣を携えたままの両手を広げて仰臥していたフルガラは、胸元をくつくつと震わせ始めた。
「……ひひっ、えっ……ひひひ……っ」
無邪気とは程遠い、不吉な嗤い声をたてた直後。
長い脚が空に向かって持ち上がるや、ばっと身体がバネ仕掛けのように跳ね上がった。
「ぇひああっはははぁははははああ!」
壊れそうなほどに見開かれた両目が、身構えるナタリーを凝視する。満面の笑顔というにはあまりに凄絶な表情。けたたましく笑い声を上げているのに、見ている者に「笑っている」とは思わせないほどにフルガラの顔面は何かの感情に振り切れていた。
「すぅっごいじゃないナタリー! なんだよキミ見どころあるじゃんか⁉ 言ってよぉ⁉」
「……!」
肩の上で銃剣を掲げて身構えたナタリーは、その異質な気迫と対峙する。
「うっさいな。まだやんのか⁉」
「やろうよ! えひひ、やらないわけなくない⁉ フルガラさぁナタリーのこと構いたくなっちゃう理由なんだか解っちゃったかも! なんだよもぉ……ブッ潰させてよぉ⁉」
昂ったものを放出するように、フルガラは両手をその場で振り下ろした。ぶぉ、と鋭い風が起こる。フルガラが己の得物である刺突剣と短剣を瞬時に携えていた。
鞭うたれた獣のように二振りの刃物の気配が一瞬で尖る。
ぐぬ、とナタリーは喉の奥で呻いた。
「……なんだよもう、様子変わり過ぎとる……」
うんざりするナタリーに対し、フルガラは両目をギラつかせている。ナタリーの反撃をものの見事に喰らった事実が、フルガラの何かのネジを多めに外してしまったのか。
「えひひひ────、ん?」
ゆらゆらと身体を揺らし、一歩ずつナタリーに近付いていたフルガラが。
ぴたりと動きを止める。
その目線の先に在るのは太刀だった。
眩しいほどの、骨を思わせる白の刀身。
「そこまでだ、フルガラ」
クシャナとナタリーに身体を向き合わせながらも、セオドールの太刀はフルガラに刃を向けていた。
〈七聖〉の真実。銀弾の力。それらを知るに至ったセオドールの表情は平静だった。
強張りや冷酷といったものとは一線を画す、冴え冴えとしたものを帯びた顔は、しかしどの感情を含んでいるのか窺い知れない。
いうなれば、何かを決意する表情だった。
ただならぬ気迫を瞬時に感じ取ったフルガラは、昂らせていたものを音もなく鎮めていた。
「──そこまでって、なに? まさかセオドール、ここで撤収するって言うつもり?」
「その通りだ。撤収して〈七聖〉に報告を入れる」
「えええ~。言うとは思ってたけど、このタイミングぅ?」
フルガラは興奮で張りつめていたものをみるみる萎びさせていた。
両腕をぶらぶらと回し、刺突剣と短剣を揺らして駄々をこねだす。
「じゃーケンカはー? フルガラはさっきナタリーにぶっ飛ばされたのにさぁ」
「先にお前がけしかけたからだ。両成敗って言葉を知らないのか?」
「ふぇーん」
「剣を納めろ」
「…………わかったよ。フルガラは大人しく納刀する」
次にさっと腕が横に動いたかと思うと、フルガラの二刀は腰の鞘にしまわれていた。相変わらず刀身の動きはナタリーの目では追えない速度だった。
そうしてフルガラは、この場に何の未練もないとばかりにくるりと踵を返して軽やかな足取りで遠ざかっていく。振り返りもしない。
そこでようやく、ナタリーも構えを解いた。
成り行きを見守っていたクシャナが、一歩ナタリーの前に立った。
間合いの先にいるセオドールと対峙するように。
セオドールは懐かしい者へ向ける目とは違う色をしていた。
その目を見ただけでクシャナは彼の決断を知る。
この場で撤収し〈七聖〉に戻る──そこがセオドールの選んだ場所ということを意味していた。
ついに決別だ。
「……いずれ会うとしても、次は斬り合うことになるだろうな、クシャナ」
「そうはならないよう祈ってるよ」
「無駄だ。祈りなんて」
クシャナの言葉を否定し、それを挨拶代わりにセオドールは立ち去った。
もうその目はかつての恩人を見るものではなかった。
だが、敵に対するものでもない。
敵意や憎悪を抱くことはできない銀の目は、再会のときとは違う翳りを得てクシャナの前から姿を消した。
どてん、とナタリーはその場に尻餅をついていた。
脚を投げ出し、後ろに置いた両手を支えに上半身まで倒れないようにしている。
「ああー……………………………………」
ぐったりと頭を後ろに垂らす。上を向いた喉から力の抜けた声も落ちる。
「よくやった」
クシャナは短くもこれ以上ない賞賛を、力を出し切った弟子に捧げた。
「……へ、へっへーだ。フルガラのやつめ。いい気分だ」
「両成敗ってやつだね。いやしかし相手が剣聖って考えると大金星でもいいんでないかね」
セオドールも使っていた言葉を思い出す。イーブンというよりむしろナタリーの判定勝ちでもいいのでは、なんて思ってしまうのは師匠の欲目だろうか?
「……まあ、次には使えない手だからね。次とかあってもヤだけどさっ」
ふうっ、と後ろに垂らしていた顔をあげて、ナタリーはもう血が止まった右手を見る。
「よかった……師匠に『左右両方で扱えるように』って言われて日頃から鍛えてたから」
エーベンを去ってからは各地で討伐に臨む際、クシャナはナタリーに利き手だけでなく両利きでの銃剣の扱いをさせていた。
ナタリーの銃剣の刀身は諸刃で左右対称だ。時折器用に持ち替えては斬撃を繰り出していたナタリーの動きを見て、クシャナは本格的な両利きを指導していたのだ。
『──銃剣はまめに構え直しを忘れずに』
ベアトリクスの依頼で片付けたティグルスの幼魔獣討伐でもナタリーは左右こまめに構え直しては斬りつけ、両腕を鍛えていた。
まさか討伐ではなく剣聖相手に会心の一撃を繰り出すことになろうとは、さすがにクシャナも思っていなかったが──
相手が誰であろうと、借りは必ず返していく。恐るべき実行力だ。
──まったくナタリーというやつは。弱くもダメでもない。剣聖相手にも怯まない果敢な心を持ち合わせているじゃないか。
そんなナタリーの頼もしさにクシャナは思わず口にしていた。
「さすが俺の弟子だ」
そう言って、手を差し伸べる。
くたくたになっていたナタリーはその言葉に頬を緩め、クシャナの手を取って立ち上がった。
「行こうか、ナタリー。次に向かう目的地ができた」
「了解っ」
ふたりは、揃って歩き出す。




