第四十八話 決意①
クシャナは金物店を出ると、開口一番こう言った。
「──礼を言うよ。セオドール」
通りの先に目を向ける。そこに佇んでいるのはセオドールだった。
「礼を言われるようなことはしていない」
「さっき店を出たガルダンたちを見逃してくれただろ。本当は〈七聖〉から暗殺しろって言われていたんじゃないか」
察するに、ここに来るまでにセオドールは村人の避難を優先させていたのだろう。だが魔獣が迫る非常事態に乗じてガルダンを暗殺したかった〈七聖〉の使いが、業を煮やして自ら手を出そうとした──
セオドールは自嘲気味に息を吐いた。
「……お見通しなんだな、クシャナ。俺は何も解らないまま殺しの指令を受けただけなのに」
「俺がセオドールに教えてやれることもあるが、今は時間がない」
「ああ」
セオドールは一度目を閉じ、渦巻く諸々の思いを払拭するように瞼を上げる。静かな銀の目は、従来の平静を取り戻していた。
「魔獣を斃す。クシャナ、力を貸してくれないか」
「もちろん」
二人は村の北部へ一気に駆け出した。
今さら勿体ぶる話ではない。クシャナは疾走のなかでセオドールに自分たちが銀弾のことを調べるためこの村に来たこと、鋳物師のガルダンは銀弾を製造していることで〈七聖〉に命を狙われたのだと明かした。
銀弾への関心、〈七聖〉との攻防が引き起こされた理由は。
「──銀弾には魔獣を斃せる力がある。あの弾丸は〈真髄〉と同等の効果を奴らに喰らわせることができるんだ」
「それでクシャナたちはエーベンの魔獣討伐を果たせたのか」
「この先俺は銀弾を使って魔獣と戦っていくつもりだ。弟子と一緒に、〈七聖〉には頼らない力で」
「つまり銀弾は──〈七聖〉にとって都合の悪い存在ということか」
セオドールは疾駆で風を切りつつ、断片の欠けていた話を接ぎ合わせたようだった。
だが、納得とは言い難い複雑な表情になっている。
──アーノルドとの決闘も、あの場では避けられないものだった。クシャナは銀弾を使う戦い方を見出すため前に進む必要があった。だがアーノルドは〈七聖〉の剣聖としてクシャナを必ず葬らんとしていた。あれはどちらかが絶対に死ぬ斬り合いだったのだ。
クシャナに後悔はない。
自分は剣聖剥奪という形で〈七聖〉から放逐され、己の無力を噛みしめつつも剣を手放すことができなかった半端者だった。
だがナタリーが現れ、運命を切り拓いてくれた。銀弾という実用的な武器だけではない。ナタリーは〈七聖〉を、世界を敵に回してでも戦うという道を見出し、師弟として共に突き進んでくれる存在になってくれた。
そして今は。
真実を知ったセオドールも決断しなければならない局面を迎えている。
〈七聖〉を脅かす存在・クシャナを剣聖として斬るか。
剣客・クシャナの戦う道を支持し、自らも〈七聖〉に背くか。
剣聖として生きるか、〈真髄〉を捨てるか。
──クシャナは何かを思うセオドールの横顔を窺うことしかできない。彼の決断に立ち入ることはできないし、するつもりもない。無言で疾走に集中することにした。
こんな時に思うべきではないが、セオドールと並走して魔獣に向かう状況が十年ぶりであることに気付く。あのときとは何もかもが違う。魔獣を斃すという目的は変わらないのに。
戦いの後には、決定的な決別が待っている────
不吉な黒を空に撒き散らしている魔獣の気配が徐々に迫っていた。
少し前の轟音で、境壁が壊されていた。魔獣の長大な二本の腕が頑丈な石垣を紙くずのように握りつぶし、千切って周囲に投げ始めている。
流星のように遠くまで飛来して散らばる石垣の瓦礫が、村のあちこちに激突し各地で轟音を勃発させた。礫と呼ぶには巨大すぎる石垣の断片が、村の建物や路上、畑や広場に次々と襲い掛かる。
このまま直進すればまずは自分たちが投擲の餌食になるだろう。そこに、
──ドン、と銃声が吼えた。
「! ナタリーか」
クシャナは目を凝らす。破った境壁の石垣から身を乗り出そうとしていた魔獣が背後からの衝撃に身体をぐるりと巡らせていた。銃声は一発だったが、かなり効いたらしい。
「銀弾を使ってるのか……一人で無茶してないだろうな」
独り言ちる脳裏に過るのは、同行しているはずのフルガラの存在だった。
なぜフルガラは魔獣に村の境壁の破壊を許している? 遠目にも剣聖としての攻勢は気配すらも窺えない。あいつは今何を──
「──クシャナ、二手に分かれよう」
セオドールが移動速度を維持したまま提案した。
「俺は正面から魔獣を引き付け村への侵攻を食い止める。背後からナタリーと攻撃に回ってくれ」
「わかった」
──視線を交わしたのは一瞬だった。
魔獣との死闘に際し、互いの命を懸け合うことを共有する。言葉は不要だった。
二人は次の踏み込みで別々の方角へと駆け離れた。
左手で構えた一発目の銃撃は、見事に命中した。ナタリーは快哉を叫ぶ。
「──! っしゃ、当たったぁ……!」
銀弾を使った攻撃だ。一発も無駄にはできない。
肩で息をつく。どくどくと拍動がやけに全身を震わせているのは、右手の出血のせいだろうか。
こんなところでへばっている場合ではないのに。
「……っと、くっそぉ、足場が悪いっ」
山中を駆け抜け村に乗り込もうとしている魔獣に追いついたものの、山の低地から高地の境壁にいる標的を狙ったため地の利がかなり悪い。高低差が通常よりも銃の狙いを難しくするからだ。
ナタリーはこちらに身体を向けてきた魔獣へ、距離を縮めるべく山を駆け上った。
「! こっち来る!」
魔獣が石垣にかけていた手を放し、方向を変えていた。ずしり、と一歩ずつこちらへ向かってくる。
村への侵攻はこちらに逸らせた。ナタリーは強く地を蹴る。
「相手になってやる。こっちには銀弾があるんだぞ!」
勇ましく吼えると、安定した足場で仁王立ちし銃を構える。
狙い──撃つ。
次には漆黒の巨体の脇腹で轟音が炸裂し、内側から食い破るような爆発の膨張が咲き乱れる。
真っ直ぐにこちらへと向かってくる巨体。とにかくどこでも当たれば自分の勝ちだとナタリーは勝手なルールのもと、にやりとする。
「やってやる……! まだまだ!」
再びナタリーは吼える。このまま独りで戦っていくつもりだった。
フルガラが現界させた魔獣。〈七聖〉の企みなら同じ剣聖であるセオドールもあてにはなるまい。
師匠は──この状況を目の当たりにすれば必ず駆け付けてくるだろうが、それでもナタリーはクシャナが来るのを待つのではなく、なんなら自分独りで魔獣を斃してやろうとすら意気込んでいた。
あたしだって、やってやるんだ。強くなくても。剣聖ほどは戦えないとしても、銀弾で──
ぶお──と、頭上で風が重い音を立てて一気に迫った。
「…………!」
魔獣に迫るべく山を駆け上がっていたナタリーは脚を止める。見ると、その場で右腕を振りかぶっていた魔獣が手にしたものをこちらに向かって投げつけていた。
握りしめた手には、破壊した境壁の石垣があった。手から離れる砕けた石。その一粒ずつが人ひとり以上の質量をもって迫る。隕石のような衝撃と圧力が降り注ぐ。
とても逃げ切れるような距離ではない。
それでも真横にナタリーは疾った。散らばる投石の雨が山のあちこちで爆発じみた音をたてて土に激突。地面を揺るがす衝撃に足を取られ、ナタリーはついにその場に転げてしまう。
そのまま斜面に身を投げ出される。なにもできない。
──また。
今度こそ頭か身体をどこかにぶつけて粉々になってもおかしくなかった。
浮いた身体が、妙に長く宙をふわつく。
────これは、死ぬか、あたし────
血の気が引き、奥底に引き込まれるような不吉な浮遊感。
直後、別のものがあらぬ方向から身体に激突する。
それは浮き上がっていたナタリーを捕らえ、強引に地上へと戻し一緒に土の上を転がった。
回転が止まり、自分を包むもののなかでナタリーは息を吐いた。
──死ん────でない。
「あー……間に合った」
目の前にある胸板の主が、ほっと安堵の息を吐いている。
「まだ下山には早いぞ、ナタリー」
「…………師匠……」
顔を上げると、山を転げて土と草葉にまみれたクシャナが緩い顔を見せていた。




