第四十五話 仕込みとエサで、できあがり②
もはや自分の出番はない。ナタリーが銃剣を持った手を力なく下げると背後から、
「おーい! 大丈夫かっ? 今の音幼魔獣の声だよな?」
少し高い地点にある馬車道の方から、声がかけられた。
見上げると、馬車を止め御者台から心配そうに声をかけてきた行商と思しき男がいる。今日、広場でやりとりしていた者だろうか。荷台には護衛と思しき剣客が一人同乗している。
「! 危ないっ! すぐ離れて! 幼魔獣がまだ──」
「やあ、待ってたよぉ」
ナタリーを遮るように、フルガラが馬車道の方へとすたすた進み出た。けっこうな勾配のある山道を軽々と登り切って馬車に近付く。
ナタリーも慌ててその後を追った。
「キミら、村からの帰り道だよね? 行商の人と、護衛の剣客かな?」
「そ、そうだが──」
どう見ても年下から気安く語り掛けられてたじろぐ行商の男。護衛の男が剣を手に荷台から降り立った。
「幼魔獣の討伐だったら協力させてくれ。これから山道に入るから安全を確保して──」
「本当に? フルガラに協力してくれるの? やったあ」
そう言って、フルガラはまず短剣を掲げて横っ飛びした。
「え」
突然刃を向けて飛び込んできたものを御者台にいた行商の男はどこまで認識できただろうか。
次には行商の男の首が斬り断たれていた。
フルガラの斬撃の威力を受け、首から上が弾けるように宙を舞い、重たい音をたてて落ちる。
「────!」
斬った。なんで。殺した。人を。どうして。
混乱が頭のなかを反響するなか、ナタリーは動いていた。突然、何の前触れもなく人を殺したフルガラが、次に狙うのは馬車から降りた護衛の剣客だ。どうしてそう思ったのかはわからない。目的はおろかその動きすらも追えないフルガラが狙っていると感知しナタリーは銃剣を振る、と。
右手の甲に鮮血が咲き散った。
「……っ……」
細く鋭い衝撃に呻く。骨は避けた、が銃剣は手から零れ落ちる。
追撃を避けるべくその場に転がり、同時に落ちた銃剣を左手で拾い上げる。身を起こし、身構える。
「──っ、が!」
鈍い悲鳴があがる。
そこにあったのは、フルガラの刺突剣で胸板を貫かれた護衛の剣客の姿だった。
「な…………っ! なん、なんだよ……っ、これ……っ⁉」
怒りより驚愕が先走る。言葉を続けようと、フルガラの刺突剣に手を伸ばそうとする剣客だったが、次に彼を襲ったのは全身の痙攣だった。ごぼり、と口から鮮血が噴きこぼれていく。
ナタリーの喉から悲鳴が迸る。討伐で人の死に遭遇してきた経験も少なくない。それでもこの異様な状況には動揺と混乱を抑えられなかった。なにしてるんだ、やめろ、なんで──
震える男を刺突剣一本で支えながら、フルガラはびくともしない。話しかけられた当初と同じ朗らかな口調で、
「言ってたでしょ? フルガラに協力してくれるって。言ったことウソじゃないよね?」
「…………っ?」
何のことか解らない剣客は目を見開くしかない。フルガラの刺突は彼の心臓を貫いており、それはどう間違えようもなく致命傷だった。
「仕込みを利かせて、エサが来るの待ってたんだ」
そう言って、ちらりと先程まで立っていた岩場周辺に目をやる。二体の幼魔獣の骸が転がる地点。そこに新たな幼魔獣の気配が迫っていた。
「んふふー、来た来た」
喜色を含む声が、聴く者に不吉を齎す。すると──
すぐ近くの眼下で、突進の勢いで現れたのはまたしても二等ランクの幼魔獣だった。三体目にして最大サイズ。巨体とは思えないスピードで周囲の木々を蹴散らし、あまつさえ振り薙いだ尻尾で地中に半分は埋もれているはずの岩を薙ぎ飛ばしていた。
足元に、地震じみた振動が伝わってくる。
「えひ、三度目の正直で上等なやつが来たね」
眼下で繰り広げられた暴虐に、フルガラだけが満足そうにしている。
「……なんで……」
ナタリーは訳が解らず混乱をこぼしてしまった。フルガラが目的地点にしていたあの岩場。さっきからどうして幼魔獣はあの場所に次々と現れ襲い掛かってきたんだ。どうして。だってまるで──
そこに幼魔獣が来るよう、誰かが仕向けたみたいではないか。
フルガラは刺突で捕らえた剣客の男に、視線を戻していた。
「いいタイミングだったよ、キミたちがたまたま帰り道にここを通ってくれたおかげで、フルガラはあの幼魔獣にエサを提供できる。フルガラは運がいいね」
「が……っ、な、なん……」
「だからね、今からキミにはあの幼魔獣のエサになってもらうんだよって」
なぜなのかは未だに解らずとも、フルガラの台詞が何を意味しているのかは、解る。
胸を貫かれた剣客は血を吐きながらガタガタと震えだした。
「なあ……やめ……っ、なんで……ぃやだ、ゃめ──」
「そうだよね。そう言われたら人ってそうなるよね?」
涙と血にまみれた剣客の顔面に、フルガラは静かに頷いた。
恐怖と絶望に陥る者を、鮮やかな碧眼でじいっと見つめている。その目には恐怖するものを嘲る色味はなく、絶望を堪能する素振りもない。ただ、観察している。必要事項を満たしているかを確かめているかのように、無機質で無感情だった。
次にはフルガラがその身を大きく翻した。全身を使って重量物を動かすべく、脚を踏み込み、遠心力を使って刺突剣で貫いた者を放り投げる。
「──……っ!」
剣客の悲鳴があったかもしれない。だがナタリーの耳には届かなかった。
胸板から血を撒き散らした剣客の身体が宙に投げ出され落下する。
そこを幼魔獣の顎が呑み込んだ。
餌付けされた獣のような手際だった。人がひとり視界から消える。
バキリ、と骨ごと砕いた音。生々しい咀嚼の音のなかで幼魔獣の口元と喉が蠢いている。
「────フルガラあああああ!」
堪らずナタリーは叫んでいた。そうしなければ正気でいられなかった。
こいつ、人を殺した。生きたまま、幼魔獣に喰わせた……!
刺された右手が震えながら拳になる。噴き出す怒りに呼応し、ばたばたと大量の血が滴った。
フルガラは思い出したように視線をやった。
「ほんとはナタリーをエサにする予定だったんだけど、クシャナと『斬らない』って約束しちゃったからさぁ」
よかったね、たまたま行商の人が通りかかって、と他人事のように付け足す。
「……っっ!」
血塗れになった拳で殴りかかろうとも、左手にした銃剣を向けようとも、した。
だが身体が追いつかない。あまりの混乱で、身体を動かす神経が千切れ飛んだかのように。
どうして殺した。何のために幼魔獣のエサにした。なぜ、何をしようとしている──?
動けずにいるナタリーを故障品と見なしたようにフルガラは視線を眼下に移した。
「せっかくだからナタリーも見る? 珍しい瞬間だからね」
視線の先には人を食べたばかりの幼魔獣がいる。咀嚼と嚥下の直後だった。四肢を地面に突いたまま巨体が一瞬硬直すると──
電流を浴びたようにその身がどぉっと仰け反る。
巨体から唐突な突風が拡散し、ナタリーは腕で襲い来る衝撃波に耐えた。
腕越しに目を瞠っていると、幼魔獣は全身から瘴気を噴出し始めていた。体内にあるものを全部出し切ろうとするかのような勢いで。強烈な黒は音もなく膨れ上がり、ナタリーとフルガラが立つ馬車道まで覆い尽くしてしまった。
「……ぅぐ……っ」
咄嗟に銃剣を構える。迫る気配はない。近くにいたフルガラも動いた気配はなかった。
ただ全身を包み込む黒い靄が、異様な冷気を持っていた。皮膚を撫でられただけでぞわりと粟立つ不吉な温度。
「………………うそ…………!」
零れた声が引き攣る。
「なんで……こんなの…………っ、あのときと、魔獣と同じ……!」
「あっれー? ナタリー、知ってたの?」
戦慄に身を凍えさせるナタリーの傍から、フルガラの場違いに暢気な声が挟まってきた。
「はっはーん、そっか。キミも魔獣に故郷を襲われたクチなのかな? それなら懐かしいよねぇ……このカンジ」
──視界は靄から濃い黒の霧を越え、さらに深い闇と化していた。その奥で何かが蠢き、くぐもった重低音が響き渡る。
心臓の音、に似ていて非なるもの。
巨大なものが確実に闇の奥で蠢動し、耳を弄するまでの音量に至ったそのとき。
凍り付くナタリーの意識を容赦なく叩き割るように、雷が轟いた。
足元を大きく震わせる落雷。
数瞬遅れて衝撃波が音の源から波状に拡散した。
逃げ場はない。その場で踏ん張っていることしかできなかった。眼下にあったはずの蠢きの元が頭上に移動したのを感じて、ナタリーが顔を庇っていた腕から覗くように見上げると。
信じられないものが眼に映る。
頭上で、魔獣が現界していた。
闇の色をした雲を雷で割り捌き、闇の奥から身をせり出した魔獣が世界に現れ、二本の脚で踏み立っている。
衝撃波で空気が一掃され、晴れた視界にはフルガラが変わらず佇んでいた。
戦慄し驚愕すべき光景を前に、異常を覚えるほどの余裕の表情で。
「と、まあこんなカンジでね。〈七聖〉の剣聖は幼魔獣を仕込んでエサを使えば、この世界に魔獣を現界させることが出来るんだよ。フルガラの手際はなかなかのものでしょ?」
仕事の一つのように、簡単に言ってのける。
ナタリーはこの瞬間まで起こったことと、目の前で起きていることをその身で受け止め切ることができない。
言葉も、感情も動かせず、現界したばかりの魔獣を見上げるだけだった。




