第四十五話 仕込みとエサで、できあがり①
セオドールが〈七聖〉の使いから暗殺の任務を言い渡された直後のことだった。
村の境壁外北部で魔獣が現界した。
靄を雷で破り現界した最強凶暴の権化を、セオドールは高さのない境壁越しにはっきりと見とめる。
「──! 魔獣が⁉ なぜこんな場所に……⁉」
声の震えは戦慄などではなく驚愕によるものだった。
ありえない。なんの前触れもなく、こんな突然に。
この村は三等ランクの幼魔獣が現界しても定住せず、脅威から遠い土地柄だったのでは。いくら魔獣の現界が未だ人間の与り知らないところの多い事象だとしても、あまりにも唐突だ。
セオドールは太刀を手に駆け付けるべく地を踏み、
「お待ちくださいませ」
鋭利な声に制止される。セオドールは背後の〈七聖〉の使いに険しい目をよこす。
「任務の件は後にしろ。今はあの魔獣の討伐が最優先だ」
「それには及びません」
「──?」
鷹揚な断言にセオドールは思わず振り返った。
使いは剣聖からの怪訝な目を受け止めながらも余裕だった。魔獣の現界を含めて、予めこうなることは決まっていたのだと言わんばかりに。
「魔獣の対処はフルガラ殿に一任されております。セオドール殿には対象の誅殺を優先していただきたく」
「何を悠長な! 自分が何を言っているか解っているのか⁉」
何より最優先すべきは魔獣の討伐だ。先に暗殺を済ませろだなんて正気とは思えない。
しかし〈七聖〉の使いは平静なままだった。
「対象の場所は北部境壁外の通り道にございます。まずはそちらへお急ぎを──元・剣聖に先を越されますと厄介です」
「──クシャナが……? そのガルダンという鋳物師と関わりあるのか」
「〈七聖〉にはセオドール殿へすべてを詳らかにお伝えする用意がございます」
問いかけを遮り、すっと誘うように右掌を差し出してくる。
「ですがまずは誅殺を。お話はそれからです」
「…………」
もはやセオドールは〈七聖〉の使いに色濃い疑念の眼差しを向けるばかりだった。
──今さら「すべてを詳らかに」だと? これまで都合よく情報を隠し、体よく利用してきたことの証ではないか。
クシャナとガルダンとの関係も引っかかる。クシャナがこの村に来た理由も例の鋳物師ということになる。
『──彼の者の所業が〈七聖〉への敵意に繋がる要素──』
〈七聖〉の使いが口にした、対象の暗殺理由。
〈七聖〉に背く戦い方、譲るわけにはいかない、とセオドールに告げたクシャナの言葉とが重なる。
セオドールは村の北部へと向かった。鋳造業や商業も兼ねた店が並ぶ村の商店街へ。村人の避難もさせなければならない。
鋳物師を〈七聖〉の指令通り殺すか否かは後回しだ。
自分は知らなければ。クシャナが何を以て、〈七聖〉と戦おうとしているのかを。
──疾走する先には、天に咆哮を衝く魔獣の巨体がある。フルガラがあれと戦うとして、村に犠牲が及ばないよう侵攻を食い止めつつ境壁外で斃せるかどうか。
フルガラの剣聖としての力は微塵の疑いもない。
ただ、疑念はある。「〈七聖〉の使いの追加任務で外の討伐をすることになった」と今朝言って出て行ってしまったフルガラの行動はあまりにもタイミングが良すぎる。
まるで仕組まれたかのようではないか。
時はさほど遡らず、ナタリーがフルガラとともに境壁外に出て幼魔獣の討伐に出た
頃になる。
さくさくと、決められた地点に向かうようにフルガラが先を歩いている。
軽やかに弾む足取り。後に続くナタリーはその背を追うので精いっぱいだった。
(はっっっや────!)
荒く乱れる呼吸を押し殺しながら、ナタリーはその背中を凝視する。
脚力はその辺の剣客には負けていないつもりだったのに、フルガラについて行くだけで一気に体力を奪われている。なんだこれ……師匠の脚にはついてこれていたのに。
……いや違う。この村までの道中、師匠はあたしの脚に合わせてくれていたんだ。師匠を目指して励んで来られたのは、師匠があたしの追いつけそうな手前の位置を絶妙に保ってくれていたからだったんだ。
だってこんな格の違いを見せつけられたら、即行で心が折れておかしくない。
師匠みたいにとか、実力で追いつくとか口にしていたときの自分をブン殴りたくなる。
剣聖は、自分みたいな存在とは次元が違う──
呼吸を呑んだ喉から血の味がしてきた。息も絶え絶えだ。
木々の隙間を縫い、起伏に富んだ山道を抜けた先で──
「到着ぅー!」
すたんっ、とフルガラが土中からせり出した岩場の上に着地した。
「……っ、つ、つい、たの……っ? ここ──?」
岩に立つフルガラを見上げる地点で、ナタリーはぜいぜいと呼吸する。ふらつく足で辺りを見回すが、幼魔獣の気配も靄ですら感知できなかった。瘴気の臭いも。
「あれぇナタリー、追いついたの?」
フルガラが意外そうに目を丸くしてナタリーを見下ろした。
「撒いたつもりだったのに」
「撒くなあ!」
我ながら驚異の速度で抗議する。
討伐の協力してよ、なんて言い出したのはフルガラのくせに。じゃああの信じられないスピード移動は撒くためのものだったのか……!
ナタリーは息が乱れるのも構わず地団駄を踏んだ。
「もうっ! なんなん⁉ あたしを利用するつもりなんか始末するつもりなんか知らんけど、いつまでおちょくる気だっ!」
「あっはっはっは」
「なに笑っとるんだあ!」
「だぁーって、フルガラもついつい構いたくなっちゃってさぁ。ナタリーってばわかりやすく必死なんだもん」
「必死だからなんなん⁉」
「ナタリー、キミは面白いって話だよ」
フルガラは岩の上で器用にしゃがみ、足元を覗き込むようにナタリーを見下ろしながら、
「身の程知らず」
戯れるような声音で、言う。
「剣聖に感銘して剣客を志すのはいいよ。でも──わきまえないと。クシャナと一緒に何やら考えがあって動いているみたいだけど、キミみたいなのにクシャナと同等の行動力と価値があるわけないでしょ? 所詮どうあがいても『剣聖みたい』止まりなんだから」
碧眼が憐れみを帯びて細められる。宥める口調は見下ろすものを明白に刺す。
それらを浴びせられたナタリーは、整えた呼吸のもと静かに頭上を睨み上げていた。
「…………たしかに、あんたには到底及ばないことは判ってる。次元が違うもん」
「うんうん。物分かりはいいね」
「でもあたし、『剣聖みたい』になるつもりは毛頭ない。
あたしが目指しているのは、師匠であるクシャナなんだから」
たしかに剣をとったばかりの頃は剣聖を目指していた側面もあったが、ナタリーの導として在るのはクシャナだ。昔から、今まで、これからも。
だから剣聖に及ばないなんて憐れみは痛くもかゆくもない。
「そーなんだー」
フルガラはナタリーの言葉に大した関心もないように呟いた。
「でもどうしてかな。なーんでフルガラはこんなにナタリーのこと構いたくなってるんだろね?」
「知らんし! ただの迷惑だっ」
じゃあよく判らないけど初対面で蹴っ飛ばしたりおちょくってきたり山中で撒こうとしてきたのか。
なんてやつだ。今さらだけど──とことんふざけている。
憤慨するナタリー、それを見下ろすにんまり顔のフルガラが──
同時に、変わる。
じわりと、くゆる気配を嗅覚で、肌で知覚する。
瘴気だ。
ナタリーは感知と同時に手を背中の銃剣にかけていた。
次にあったのは音だった。鋭いものがぶつかり堪らず轟く絶叫。
ナタリーは瘴気に目を凝らす。
次に視界に露わになったのは見上げる巨体を有する幼魔獣と、その頭に刺突剣を深々と突き立てたフルガラの姿だった。頭頂部の激痛に叫ぶ幼魔獣の口蓋が晒され、剣山のごとき牙がむき出しになる。
瘴気の奥から幼魔獣が姿を見せた瞬間、フルガラが頭部を狙い刺したのだ。予知でもしていなければ辻褄が合わないほどのスピードで。
銃剣に手をかけていたナタリーが地獄の門のような口蓋と向き合ったそのとき。
ずるっ、と幼魔獣の頭がまるごと視界からずれた。胴体と繋がっていた首から先が空間の歪みのようにずれ出したかと思った次には重力で真下に落ちていた。
「…………!」
ナタリーが次に目にしたのは。
首を落とされた幼魔獣の斬断面だった。
斬られたことをやっと自覚したように、幼魔獣の斬断面から瘴気が噴き散る。
ナタリーは慌ててその場から後退した。身体を反応させつつも、一瞬にして斬馘された幼魔獣を凝視する。
──斬った。フルガラが。幼魔獣の頭頂部に立っていた、そう思っていたら次にはフルガラが巨大な幼魔獣の首を斬り斃していたのだ。フルガラがいつの瞬間、どう動いてどのように斬ったのかまったく追うことができなかった。いや、そもそも頭を突いた初撃を見ることすら追いつけなかった。
幼魔獣の気配を感知し、最も緊張感を高めていたにも拘わらず。
茫然とするナタリーの目の前で、靄の向こうからフルガラが現れた。
右手には刺突剣、左手には──短剣がいつの間にか携えられている。
ナタリーは目を瞠った。二本とも刀身が紅い。剣聖の〈真髄〉は骨を思わせる白い刀身が象徴的なはず。フルガラの得物は染め抜いたような紅一色だ。まさかあれらは〈真髄〉ではない?
だとしても、いずれかの刃でフルガラは巨大な幼魔獣の首を斬ったということになるが──
「おっしまーい──一匹目ね」
軽薄な口調でフルガラは嘯いていた。刺突剣と短剣──非対称の二刀がケープを翻した小柄な姿を異質な形に象っている。
次に長い脚が地面を蹴ると、音もなくフルガラが居た地点に鋼色の塊が突っ込んできた。身体から噴く瘴気が、その身に遅れて辺りに撒き散らされる。
新手だ。大きさも先程と変わらない二等ランク。剣客が数人がかりで斃すべき幼魔獣を前にフルガラは小さく鼻を鳴らした。散歩中の犬でも見かけたような反応に近い。
「この辺の幼魔獣にしてはそこそこ大型の方か。でももう一回りはほしいんだよなぁ」
だれにともない独り言を、ナタリーは耳にする。今のは──?
台詞を咀嚼している暇はなかった。次には滑るように地面すれすれを疾走していたフルガラが、振り下ろされた幼魔獣の前脚と駆け違えるように跳躍。幼魔獣の顔面に迫る。
左手の短剣が幼魔獣の左口角を刺す。刃は硬質の鱗に覆われた皮膚を、布でも破るように目元まで一気に切り裂いた。
ただの斬撃ではない。ひと蹴りで跳躍した勢いの強さを抑制している。
でなければフルガラは脚力だけで幼魔獣を飛び越えて森の奥まで吹っ飛んでいただろう。それほどの速度だった。
フルガラはその身をまさに弾丸の速度で行使する。幼魔獣の首元に迫り右手の刺突剣をくるりと翻し、すとん、と剣先を幼魔獣の首に落とす。
一点集中の破壊力による突きが、強硬な幼魔獣の鱗を継ぎ目など構わず貫く。
だが、斬馘となれば刺突を繰り返す必要がある。ましてやこれだけ巨大な首──
ずる、と再び幼魔獣の胴体と首の狭間が歪む。
まさかとナタリーが思った次の瞬間には、幼魔獣の首が真下に落ちていた。
フルガラは刺突で幼魔獣の斬馘を果たした。
そうとしか考えられない。目の前にあった斬撃はそれしか存在しなかったのだから。
もしくはナタリーの目では捉えられなかった連続の斬撃でもあったのか。
あるいはそれ以外の攻撃があり得たのだとしても。
フルガラの一連の攻撃は、どれもナタリーには到底及びうることのできない領域にあった。
「──二匹目ね」
刺突剣をくるりと一回転、フルガラは無感慨にそれだけ言う。




