第四十四話 突然終わる平和②
セオドールは途轍もない疲労で立ち上がれなかった。
全身が鈍い重みに支配され、手を着く大地に身体が溶けてしまいそうになっている。それでも呼吸を整え、地面に貼りついていた膝を力づくで引きはがす。
時間をかけてセオドールは立ち上がった。滴っていた鼻血も呼吸の回復とともに収まっていた。
指で鼻を拭い、クシャナが立ち去った方角を見つめる。
──追わなければ。
セオドールが足を踏み出そうとしたそのとき。
「畏れながら」
静かな声がかけられた。
「セオドール殿。現時点の状況を受けて、新たな任がございます」
「…………」
振り返ってみるまでもない。〈七聖〉の使いだ。
答える代わりに目を向けると、その姿は通常の黒づくめと異なる風貌だった。
村や都市でも何の違和感もなく市井に紛れる格好だ。正体を偽り、いつの間にかこの村に紛れ込んでいたというのか。
「時間がございません。大変心苦しいのですがセオドール殿にこの世界の脅威の萌芽を摘み取っていただきたく存じます」
至極丁寧な口調で告げられる、一方的な任務の通達だった。
セオドールは相手を見据え、静かに答える。
「──俺に暗殺をしろと?」
「左様にございます」
使いは恭しく頭を垂れる。
「我ら〈七聖〉が護る世界の安寧を脅かす──かの者の所業はその種である、との判断が下されました。萌芽のうちに摘み取るべしと」
──つまりは〈七聖〉に反抗的な思考を持つ者の暗殺。
いつかこういうことがあるのだと、セオドールは覚悟していた。
〈七聖〉は正義の体現でも清廉の象徴でもない。組織とその目的のためには手段を厭わない非道と無情が徹底している。
それは〈真髄〉の成り立ちを知った時点で判り切っていたことだった。それでも魔獣を斃す存在は必要だ。ゆえに〈七聖〉の無情は、組織に居る者として背負わなければいけない一面であると、苦々しくも受け入れているつもりだ。
それにあのとき──剣聖選抜で手にしていた刀を大切な人の血で汚し、無双の力を手に入れたのは自分だ。今さら己が清廉潔白だとは思っていない。
「セオドール殿には長きにわたり聖く強き剣聖たる尊き標として務めていただいておりましたゆえ、この度の任務は大変心苦しいものではございますが──」
「能書きはいい」
セオドールは冷たい声で使いの言葉を遮った。
「俺に誰を斬れと。クシャナではないのか」
「それとは別の任にございます」
使いは顔を上げる。その目はビー玉のようにつるりとしており、まるで任務を告げるためだけにその場に立っている機械人形のようだった。
「この村で鋳物師として鋳造を生業とする者──ガルダンという男にございます。
彼の者の所業が〈七聖〉への敵意に基づいているとの義がございます。関係者・目撃者ともに誅殺を。すべては〈七聖〉が世界を維持する最適解を守るために」




