第四十三話 抜かずして、斬る
外界から守るように、トルケンの村をぐるりと囲っている境壁。
頑丈な石垣の壁は居住エリアや畑からずいぶん距離があるおかげで、村には閉じ込められているという圧迫感がない。
クシャナは人気のない村の淵を、境壁伝いに歩いていた。
百年ほど前の魔獣現界から建設されたとして──相当丈夫に作られている。都市を中心に煉瓦製の壁が多いが、この辺りで採れる資材なのか、石垣とは珍しい。高さは五メートル。二等ランク以上の巨大な幼魔獣なら飛び越えてしまいそうだ。
つまりは、これまでこの辺りにそこまで巨大な幼魔獣の脅威がなかったということか。
やはり銀山の影響か。現界しても付近に定着しないのか、幼魔獣たちは遭遇しても小型のものが多かった。この小さな村は山の中にありながらまさに銀の気配に護られているということになる。
だとしたら……小型とはいえ最近大量にこの辺りに幼魔獣が現界するようになった理由は──
「──村巡りは済んだのか、セオドール」
「ああ。ここは良い村だ」
同じように村の内側で境壁を辿っていたのか、向こうからセオドールの姿が近づいてきた。ふたりはゆったりと距離を縮めていく。
「この高さの境壁で守られているなんて……よほど安全なんだろうな」
「俺も驚いたよ。石垣って耐用年数も長いんだなあ」
「中級都市でよく見る煉瓦壁よりもずっと立派だ」
セオドールはふっと石垣を見上げながら頷く。
「境壁の外側に銀弾が飾られていた。近くの山で銀が採れて、この村で製造もしているらしい。この村全体の御守になっているんだな」
「……」
──クシャナは一瞬考え、それを気取られないようにしつつ考えた。
銀弾の力のことは〈七聖〉にいるセオドールもまだ知らない情報のようだ。
〈七聖〉が告げずにいる限り知らないままだったとしても無理はない。剣客であるクシャナですら銃剣を扱い、たまたま銀弾を御守代わりに所有していたナタリーがいなければ知り得ないことだったのだから。
だとしたらなおさら。
銀弾のことをセオドールに勘付かれるわけにはいかないか。
「話の続きをしてもいいか、クシャナ」
表情は穏やかだが、セオドールの眼差しには強い光が凝っていた。
お互いに立ち止まった距離は、奇しくも同じ刀を持つ剣客の間合いだった。いかようにも動けるが、一手でも誤れば死ぬ──死合いの間。
「あなたがアーノルドを斬った理由を教えてくれ」
「答えたとして──情状酌量の余地はないだろ」
「そうやってまた、世間に誤解させたまま独りになるつもりか」
昨晩の驚愕と戸惑いを残しつつ、セオドールはさらに問い詰める。
「俺はクシャナを知っているからこそ真実を確かめたいんだ。あなたは簡単に人を斬るような人間じゃない。だから答えてくれ。納得のいく理由を」
射るような視線を受け、クシャナもまた目を逸らさなかった。
「いや………………結果は変わらんさ」
無言が長かったのは、どう言うかを考えていたからだ。
理由は、セオドールには明かせない。
セオドールが〈七聖〉の支配の真実を知らずにいるからだ。
クシャナが曖昧に答えた「アーノルドを斬るまでの経緯」を前に困惑していたセオドールは、やはり〈七聖〉の支配形態について思い当たっていない。
これはセオドールの察しが悪いというわけではなく、〈七聖〉が彼に対して情報を意図的に隠匿しているからだろう。アーノルドと違い、セオドールは魔獣を必ず討滅する任務しか携わっていないはずだ。
〈真髄〉でもって魔獣を斃す、最強の剣聖──
セオドールは世界が抱く剣聖像をまさしく体現している存在なのだ。
〈七聖〉は大陸世界統括の一環として、彼の存在を偶像として利用している。
今、セオドールに真実を伝えることは可能だ。卑劣で残忍な〈七聖〉を裏切り、共に戦おうと誘うなんて──出来るか、そんなこと。
彼にほぼ強引に自分の〈真髄〉を託して、剣聖として生きていけと言ったのは他ならぬ自分だ。一方的に〈真髄〉の重圧と剣聖の過酷を押し付けたくせに、事情が変わったから寝返れと?
これ以上、彼の運命を弄ぶことはできない。
セオドールが剣聖としてまっとうであるのならなおさらだ。
その一方でクシャナは自分の生き方と戦い方を決めていた。弟子のナタリーとともに切り拓くべき道を行く。誰にも譲るわけにはいかない。
〈七聖〉の剣聖・セオドールと戦うことになろうとも。
────できれば彼とだけは斬らずに済めばと、〈七聖〉から逃げるように急ピッチで銀山を探し求めたわけだが……ここは逃げ切れないか。
追手にセオドールを差し向けたところに、〈七聖〉の悪意すら覚えてしまう。
結局対峙することになったが、不思議と悲壮感はなかった。自分にはもう選んだ道があるから。
「言っただろ、セオドール。アーノルド殺しをどうするか、沙汰が決まってるのなら迷うな。剣聖として動け」
「なら、あなたを殺すことになる」
「躊躇うなよ」
クシャナは言う。湖面のような静けさで。
風が周囲を通ったはずなのに、音が、消える。
二人は互いの目を見合ったまま、ほぼ同時に刀の鯉口を切っていた。
真っ直ぐに相手を据える。
切られた鯉口から微かに除く刃物の光。しかし刀刃はそれ以上動かなかった。
──両者、研ぎ澄まされた意識でとうに斬り合っている。
霊剣。鎬と刃を持つ「刀」の使い手である剣客が獲得する境地だった。抜けば必ず相手を斬り殺すに至る刀の使い手は、斬る前に想定で互いを測り合う。傍が妄想夢想と片付けるのは容易いが、その想定は現実に迫る。
二人はまさに霊剣により殺し合いを展開していた。思念が象る斬り結び。互いが剣客たる相手を一縷の見誤りもなく読み切るからこそ果たせる精神面での壮絶な剣戟。
それが霊剣の交わりだ。
呼吸すらせず、微動だにせず、互いに見合った時間は一瞬にも満たない間だった。
しかし数刻も斬り合っていたかのようだった。気づくと顳顬に汗があり、顎まで流れて滴り落ちる。
両者、決定的な一手を斬り出せずにいた。
永遠を強引に凝縮した刹那、さらに僅かな虚空の間で──
「……………………っ!」
ついにその場で膝をつき、咽せながら息をしたのはセオドールだった。
整った鼻梁の先から鮮血が滴る。猛烈な集中の産物が、その手を紅く染めていく。
そこでようやくクシャナも呼吸をする。
「…………悪いな、セオドール…………」
対峙していたクシャナもギリギリだった。微動だにしていない全身が、震えだすのを抑えるので精いっぱいになっている。
筋肉と骨がばらばらに分離しそうだった。疲労なんて言葉では生ぬるい困憊だ。
しかしここで倒れこむわけにはいかない。
実体の刀を抜かずとも、霊剣による斬り合いを制したのは自分だと相手に知らしめる必要がある。
「俺は、この勝負を譲れないんだ」
鯉口の縁からすっと刃が消える。
勝負をつけたクシャナは納刀を済ませて、踵を返した。
──あまりゆっくりしていられない。今日のうちに村を抜けて、また雲隠れだ。
欲を言えば銀弾の製造者──ガルダンに狙撃で使われる弾頭について確認したかった。わざわざ作り分けているということは、御守ではなく使用者がいるのでは、と。
問題は……フルガラか。
ただでは逃がしてくれそうにない。
──背後では、引き攣った荒い息を続けるセオドールの気配がある。
無茶をしたのか、その場から動けずにいるのは背中でも感じ取れた。
(あいつの迷いを、体よく利用した)
苦い勝利だ。正直、勝てたのは運でしかない。
「く……っ、ク、シャナ…………っ」
喘鳴のなか振り絞るセオドールの声は耳に届いていた。
しかしクシャナは振り返らず、その場をあとにする。




