第三十七話 ナタリーのつたない護衛①
陽が登ったばかりの清澄な空気に満ちた朝。
クシャナとナタリーは村の出入口である木造の門の前にいた。銀山に向かう採掘工たちが馬車を二台整備して、出発に向けて動き出している。
「一台ごとに十人か。ナタリー、後続の護衛をよろしく」
「了解っ」
クシャナの指示にナタリーは威勢よく応えた。昨晩きっちり整備した銃剣はナタリーの背中で綺麗な艶を放っている。
銀山までの道中、幼魔獣に遭遇次第、非戦闘員を護りながらの討伐となる。
これまでの旅で護衛の仕事がなかったわけではない。対象が馬車一台で、ナタリーが攻撃・クシャナが防御を担うことでこなしてきた実績はあった。
今回のように攻防をひとりでこなす馬車の護衛は初めてのケースだ。護衛対象も人数が多い。
「簡単に言うと、護る範囲が格段に広がる。気を回すべきことも多いし、即断が求められる状況も増える。幼魔獣が複数襲い掛かってくればなおさらだ。手に負えなくなったらすぐ言うように」
手短に心得を告げると、ナタリーはぐっと拳を握って見せる。
「大丈夫だよ師匠っ。昨日ちゃんとシミュレーションしたけど全戦全勝だったから!」
「意気込みは買うが。ちゃんと寝た?」
「うんっ。怪我人一人も出さずに、往復ルートを護り切ろうよ。そんでガルダンの銀弾づくりを拝むんだっ」
「よし。じゃあ、後続の馬車は頼んだ」
一見幼く危なっかしくも見えるが、これまでの討伐経験で培ってきた頼もしさがある。
クシャナはナタリーの肩をぽんと叩くと、準備が整った馬車の荷台に飛び乗った。
荷台は護衛一人が追加で乗ってもスペースには余裕がある。復路では採掘した銀も積み込むことを見越しているわけだ。
ふとクシャナは昨日のガルダンの言葉を思い出した。
『あのバケモン、銀には近寄らねえから採掘後の復路は安全なんだが──』
さらっと言及していたのは、幼魔獣に対する銀の効能ではないか。
銀があれば幼魔獣には襲われないと、ガルダンはとうに理解しているってことか?
「ガルダンが言ってた護衛さんだっけ? よろしくなー」
同乗する採掘工の屈託のない挨拶にクシャナは愛想よく応じつつ──
銀の効力。それを知る者についてもあらためて考える。
気配は、じわりと感知できた。
周囲に余計な緊張を及ばさぬよう、クシャナは荷台でひっそりと視線を巡らせていた。
──近づいている。
まず耳が、音を拾った。瘴気がやつらの呼気や背中の骨板から噴き出す際に出る、特有の濁った風音。それを裏付けるように、鼻腔が不吉な臭気を嗅ぎ取る。
瘴気で視界を遮断させる幼魔獣を相手に、クシャナは視覚に次いで聴覚を恃みにすることが多い。研ぎ澄まされたもろもろの器官でいち早く迫る脅威を把握する。
接近している幼魔獣は五体。後続の馬車も狙われるだろう。
クシャナは走行中の荷台ですっと立ち上がった。
「この先、銀山までまっすぐですかね?」
訝し気な採掘工らの視線を浴びつつ御者に訊ねると、
「ああ。もう二キロもないけど──どうした? 立ってると危ないんで、」
「止まらず山までそのまま向かってください」
何事かと暢気に答える御者を遮って、クシャナは太刀の柄に手を添えた。
たちまち、荷台が緊張に強張る。
すると音もなく、視界の色が変わった。何の前触れもなく、にわか雨より唐突だった。
目の前が霞んだ──と思ったら墨を散らしたように黒く濁っていく。
ギャリッ────と頭上で鋭い音が空気を劈いて火花が閃く。抜刀していたクシャナの刃が、頭上からの襲撃とぶつかり、横に流したのだ。
激突したものの正体は馬車目がけて飛び掛かって来た幼魔獣の爪だった。
「襲撃! 幼魔獣五体だ! 討伐する!」
初撃をいなしたクシャナは、茫然とする採掘工たちと、後続の馬車に向けて怒鳴った。
瞬時に視界を奪った黒い靄の向こうで、二台目の馬車から「了解!」とナタリーが応じる。
採掘工たちは素早く荷台に伏せてじっと身体を丸めていた。
事前にクシャナからの忠告を受けていた御者は、すぐさま馬に鞭を打って馬車のスピードを上げた。
音もなく現れた死の脅威、その具象体である幼魔獣を前に人々はただ身を守るか逃げることしかできない。
戦い抗しうるのは、刃を討伐にかける者──剣客しかいない。
ナタリーは靄の向こうからのクシャナの声に応じつつ身構えていた。
幼魔獣の襲撃。瘴気の匂いを嗅ぎ取り、背中の銃剣を手に戦闘態勢をとった矢先。クシャナのいる馬車の方が狙われた。
──くっそお、もっと早く気付くべきなのに。師匠に比べて感知が遅すぎる……っ。
内心を険しくしつつも、ナタリーは銃剣を正面に据え周囲の気配に神経を尖らせる。
道中の襲撃における非戦闘員の対処として、御者以外の採掘工たちは荷台で身体を丸くしている。迫りくる脅威に対し、少しでも生存確率を上げるためだ。
──悲鳴を堪えて、みんなで、丸くなって──
突如ナタリーの脳裏に、古い光景が閃光のように瞬いた。
十年前。故郷に魔獣が現れたとき。
「──っ!」
ぶわりと全身が粟立つ、と同時にナタリーは銃剣の黒い刀身を翻していた。
バヂン──ッ! と硬い音。強烈な痺れ。
荷台めがけて飛び込んで来た幼魔獣の前脚、その爪をパーリングで弾き飛ばした音だった。
体勢を崩した幼魔獣が、靄の奥でどさりと地面に落ちた音が響く。
こんなもので退けられる相手ではない。体調は三メートルほど──幼魔獣のなかでは比較的小さいサイズだが、野生のクマより巨大で素早い。
すぐに追いついてくる。
後方の気配に警戒しつつ、素早く周囲に視線を走らせる。
幼魔獣は五体と師匠は言っていた。師匠は全部撃退できるとして、自分はどうだ。
複数の幼魔獣相手の戦闘ならばわけはない。視界を覆う靄、走行中、足場の悪さは不利であっても致命的な状況ではない。
ナタリーにとって問題なのは。
荷台にいる人を、いかに守り通すか──
「……っ」
焦燥が思考を熱した。あんなに想定を踏まえて実戦でいかようにも動けるよう備えていたのに。
「誰も傷つかないよう守る」と心得ていた──以上のプレッシャーがナタリーを襲った。集中を改めるべく銃剣を構え直す。右から左に。
幼魔獣を前に、じっと身を丸くしている人たちのことを。
あたしが守らなきゃいけない。
──あのときは。
──なんにも出来なかったんだから。
ぐわん、と荷台が大きく揺れた。
悲鳴とともに丸くなっていた数名の大人の身体が宙に浮く。
衝撃は荷台の後ろだった。幼魔獣が荷台の後ろにへばりついている。異様に長い前脚を縁にかけ、さらに身を乗り出そうとしている。
「──させっか!」
ナタリーは床を蹴って後部へ突進。銃剣を薙ぐが斬りが浅かった。
刃は鱗を掻き、裂傷から幼魔獣の瘴気が噴霧となって正面のナタリーに直撃する。
「っうぶ、」
視界が塞ぐ。だが相手の位置は捉えている。銃撃で荷台の縁を破壊すればそこにぶら下がっている幼魔獣ごと落とせる。
あっ、でも荷台もちゃんと守ってかないと。破壊したら、ガルダンさんとの交換条件が──
引き金を引く指に躊躇いが過った瞬間、背後で空気が唸った。
巨大な質量が、風を切って迫る。
「っ────!」
ナタリーは衝撃を受け止めると同時にバネのように跳び上がり、身体を捻りながら後方に旋転した。
振り上げた銃剣が悲鳴じみた激突音と火花を散らす。
横から荷台に襲い掛かって来たのは、新手の幼魔獣だった。いや、初撃で吹っ飛ばしたやつが追いついてきたのか。突き伸ばしてきた爪と刀身でぶつかり合い、ナタリーが重量で競り負ける。
ナタリーと幼魔獣一体は馬車から吹っ飛んだ。




