第三十三話 剣聖たちの思うところは
セオドールとフルガラは、ティグルス領をあとにする。
「んふー、思ったとおり。やっぱり魔獣討伐現場から姿をくらましたアーノルドの徒弟とクシャナは接触してたんだ。フルガラの読みが冴え渡るねっ」
巨大な門扉の閉ざされた音を背後に、フルガラは機嫌良さそうに嘯いた。
その手には領内の出店で買った串焼きがある。焼けた肉を頬張ってごきげんなフルガラの傍らでセオドールは複雑な面持ちだった。
「どうして彼はヤルルク岳を目指すことになったんだろう。討伐とは別の目的が──」
「知っらなーい」
早くも串焼きを平らげたフルガラは指先でくるくると竹串を回しながら、
「元・剣聖が何考えてるかなんて興味ないしどーでもいいよ。フルガラたちはアーノルドを殺したかもしれない奴の調査をするだけ、でしょ?」
「ああ」
「そっか、セオドールは元・剣聖と同期だったんだよね。会うの気まずい? いいじゃん見せつけてやろうよ。十年前にクシャナが降りた舞台で大活躍してる自分の姿をさぁ」
「……」
無造作にクシャナの名前を放り込まれ、セオドールは無言で視線を遠くにやっていた。
境壁を出ると各領地を結ぶ馬車道のほかは平原や森が広がるのどかな風景だ。しかし人による治安維持が行き届かず、先行く道は一気に物騒になる。間違っても武器無しでは長居できない世界だ。
領地間の交易も、移動には領土騎士や自警団の護衛は必須で、無防備な者はたちまち餌食になる。
現界した幼魔獣だけでなく、金品を狙う野盗もいる。
遠目に軽装の旅人二人に目を付けたのは──後者の脅威だった。
開けた平原で丘を成す岩場から、黒い影が動き出す。抜き身の山刀や斧を手にした男たちが三人。
フルガラは暢気なおしゃべりを続ける。
「案外クシャナも喜んでくれるんじゃない? かつて剣聖選抜で生き死にを共にした同期の晴れ姿なんだから。彼、もう四十過ぎの中年でしょ? セオドールの成長ぶりに泣いちゃうかも。ほらおじさんって涙もろいって言うしさぁ」
「随分詳しいんだな」
「知ってるよ! 調査対象の情報はちゃんと押さえたんだ。デキるでしょ、フルガラって」
得意げなウインクをひとつ、
「選抜では異例の三十二歳。大器晩成型ってやつかな? セオドールと剣聖に認定されたけど、当時空席が一つしかなかったから掟破りの『八人目』になった。んで、直後の魔獣討伐でミスって前代未聞の剣聖剥奪、『三日剣聖』として〈七聖〉の汚点に──まさに空前絶後尽くしの略歴だよ」
謳うように情報を並べていく。
歩き進める二人の先に野盗がはっきりと姿を現しているのにもかまわず。
「いいなー、セオドールは。こんなに魅力的な同期がいたなんて。フルガラの同期なんて選抜でみんな死んだから羨ましいよ」
「俺も選抜でほとんど喪った。クシャナと生き残れたのは偶然だ。汚名まで着て剣聖を退いたのが事実でも、クシャナは──恩人なんだ。俺が剣聖でいられるのは、彼のおかげだから」
再びセオドールの目元が翳った。喪った者を思うと今も苦しい。だが亡き者の血を吸った剣を手に戦わなければ生きていけない。セオドールの苦悩は剣聖である限り存在し続ける。
それでも生きて戦うべきだと、己の〈真髄〉を譲り渡してくれたのがクシャナだ。
「恩人かぁ……。挫けそうだったセオドールに〈真髄〉譲ってまで剣聖に留めたんだから、そういうことなのかな?」
「!」
セオドールは目元をぴくりとさせた。傍らのフルガラが何かを見透かすように碧眼を細めて見つめ返してくる。
「恩人に会うの、楽しみ?」
「フルガラ、どうしてそのことを」
まさか、クシャナが『三日剣聖』となった本当のいきさつまで知っているのか──
「言ったじゃん、調査対象の情報はちゃーんと押さえたって。聞いたよ、ノウマンから」
「……!」
ノウマン。剣聖の『一人目』にして〈七聖〉の創始者。〈真髄〉を生み出す残忍な方法を確立させた──最古の剣聖。
「だからフルガラには隠しごとも嘘も必要ないからね」
淡く笑うフルガラの言葉に、セオドールは思わず立ち止まった。
数十メートル先で野盗が横並びになって道を塞いでいるが、それには構わずフルガラを凝視する。
「フルガラ。あなたは何をどこまで知っているんだ? ベアトリクスにクシャナの行き先しか訊ねなかったのは、実はすべてを知っていたからじゃないのか」
他に訊ねるべきことはあったのだ。なぜクシャナがヤルルク岳に向かっているのか。それにクシャナがアーノルドを斬った──可能性がある以上は、動機も探るべく生前の確執なども聴取しないといけなかった。
そのすべてをフルガラは放棄した。
もう知っているから、と言わんばかりに。
「そんなのいいじゃん。早くクシャナに会いに行こうよ」
フルガラは淡い微笑のまま、そっと答えた。
「剣聖を斬れるほどの人だよ? どんだけ強いんだって話だよ。剣聖剥奪されて十年も経つのに、すごいことじゃない? ──そんな人、斬ってみたいよ。フルガラの〈真髄〉で」
にわかに純度の高い欲望がフルガラの声音から溢れた。
明朗で愛らしい人の皮から突如剥きだされた野蛮。時折垣間見せるフルガラの──
「──いつまで突っ立ってんだぁ? カカシども」
だみ声が、相対する二人に割り込んで来た。
視線をやると、三人の野盗たちが数メートルまで近づいていた。立ち止まっていたセオドールたちに痺れを切らし、威嚇がてら刃物を擦り合わせて音を鳴らしながら。
「ずいぶん暢気にピクニックしてんじゃねぇか、オイ優男にクソガキ──金出して消えな」
セオドールが視線だけを野盗に向ける。
手慣れているのか、刃物を見せつけ人数も優位な野盗たちはニヤついていた。
──二人が剣聖であることは知らないらしい。不定期に顔ぶれが変わるし、存在を喧伝してもいないので致し方ないことではある。
だが今ここで剣聖と知ったところで彼らは領土騎士たちのように平伏するだろうか。
セオドールに目を据えたまま、フルガラはおどけるように小首をかしげて見せた。
「おい聞いてんのかァ⁉」
完全に無視された状況に、真ん中に立っていた野盗が声を荒らげた。
「いいから金出せタココラ! んだったらまずクソガキから裸に剥いて売りトバッ」
突然声が千切れる。
顎下に木串が突き刺さっていた。
「──あぇ」
「痛い?」
喉元の衝撃に固まる野盗が目を下に向けると、懐にフルガラがいた。
串焼きの木串を引き抜くと、横に飛ぶ。突然のことに反応できずにいる斧持ちの野盗の首にフルガラは手を突き出し、首の後ろで指先を動かした。
逆手に持ち直された木串が、頭蓋の大後頭孔に刺し込まれ脳を刺す。
「……ッ」
「びっくりした?」
返答も叶わず、斧持ちは木串を首に生やしたままその場に崩れ落ちた。そこでやっと三人目が反応し身構えるのだが、長い脚を大車輪のごとく旋回させたフルガラの爪先がすでに顳顬を突いていた。
「ならこれは?」
突く、という一点集中の衝撃が、次には三人目の野盗の頭蓋に凄まじい回転をもたらした。
ぎゅるっ、と一回転半した首が雑巾のように絞られる。首の骨が捩れ砕ける音とともに。歪んだ回転を経て、野盗最後の一人は動かなくなる。
倒れ伏す三人の真ん中に着地したフルガラは無邪気に両手を広げた。
「ざーんねん。フルガラを剥いて売り飛ばすことはできなかったね」
最初に喉を突かれた男の痙攣も止まり、セオドールは諦めたように口を開く。
「殺す必要はなかった」
「そんなこと言ってー、〈真髄〉を野盗に使うつもりだったでしょ? ダメだよセオドール。峰打ちだろうと〈真髄〉をこんなことに使ったら」
フルガラはセオドールが手をかけていた腰の太刀を目聡く指差した。
「上等な得物はそれに見合う獲物に使わないと。〈真髄〉が泣いちゃうよ」
死体にした野盗に囲まれながら、腰に手をやり「めっ」と叱りつける。
〈真髄〉を使って野盗を制圧するくらいなら、殺す。その思考はどこまでも単純で明白だった。
セオドールは溜息を吐くしかない。
剣聖は魔獣と戦い、人を守る剣客だ。しかしそれはそれ、と無礼で無法な者の命をいとも容易く奪う──フルガラの独自制裁ともいえる殺しは今に始まった話ではなかった。
「……ティグルスに戻って、報告しなければ」
「そんな暇ないって。フルガラたちは先を急がなきゃ」
ぐいとセオドールの腕を引き、フルガラは歩き出す。有無を言わさず引く力は、華奢な身体とは思えない。後ろを振り返ることすら許さない勢いで先へと引っ張られる。
「あんな野盗がどこで野垂れ死のうと大したことじゃないよ。領土騎士が片付けるか、幼魔獣のエサになったとしても──どうせ大した栄養にはなんないから問題ないって」
フルガラはずんずんと歩調を上げる。
「それよりヤルルク岳行こ! フルガラ、早くクシャナに会いたい。セオドールもそうでしょ?」
その問いに、セオドールは無言になる。
何度も形を変えて訊ねられた。
──クシャナに会いたいか──
自分でもわからなかった。剣聖としての生き方を含めて〈真髄〉を託された自分が、クシャナの思いに足る剣聖になれたのか──
それに何より。
クシャナがアーノルドを討った、剣聖を斬ったのだとしたら。
その理由と真相を自分は知るべきだと思っている。
それと同時に知ることを恐れている自分もいた。




