第二十九話 剣客と領土騎士の交換条件②
一年ほど前の話だという。
「──先生は魔獣討滅の命を受けたのですが、戦うことなく戻ってこられたので記憶しています。限界した魔獣が消滅してしまったため撤収したとおっしゃっていました」
「魔獣が消滅か……」
この世界に現界する幼魔獣や魔獣がその土地から突如姿を消す、という事象は少なくない。
破壊をし尽くした魔物たちが元の世界に還ったとも、この世界で活動できる肉体の限界により消滅したとも言われているが、生態に謎は多く突然の消滅に対する答えは定まっていない。
しかし当時、魔獣の消滅により討伐から戻って来たアーノルドはさしたる動揺もなかったという。
『銀山があるからな』
謎多き事象への答えをすでに知っているかのような口調だったらしい。
『魔獣にとってのいわゆる鬼門だ。銀の気配を感知し異界に舞い戻ったとしてもおかしくはない』
彼はベアトリクスに地図を見せ、オドアセル山脈の最西端ヤルルク岳を指し示した。
幼魔獣や魔獣と戦う剣客として知っておいて損はない、と言い足しながら。
『銀の気配が弱点ということなのですか?』
ベアトリクスにとって初めて耳にする話だった。思わず問い質すとアーノルドは少し間を置いて、
『そうだ。銀は魔物を克滅するという。……だがこれはあまり公にすべき話ではない。お前の胸の裡に留めるか、さもなくば忘れろ』
誰かからの教えを口伝するように語った直後、迂闊に他人に語るなと釘を刺した。
目も合わさず、そう答えたのだという。
生前の剣聖が語っていた内容の真偽を疑う余地はなかった。
アーノルドは本来口にすべきではなかったことを思わず喋ってしまったのだろうか。自分を師と仰ぐ徒弟の剣客のためと、討伐に有効な情報を。
彼亡き今とはっては、答え合わせも叶わないが。
「ありがとう、ベアトリクス。オドアセル山脈のヤルルク岳か」
「お役に立てて良かったです」
ベアトリクスはふっと目を伏せ、声を翳らせた。
「わたくしは先生から離れ、こんな形でしかあなた方に協力できない半端者です。こうして情報を提供するくらいしかできませんが」
「そんなことはないよ。エーベンではベアトリクスの決断のおかげで俺たちは魔獣を斃せたんだ」
彼女は半端者どころではない。〈七聖〉のやり方は間違っていると自らの意志で選択し、クシャナたちを助けてくれた。
「ですが、わたしは剣聖のアーノルドを失望させました。今はこんな生き方しかできていない」
「そうは思わないよ。あいつとは考えが違っただけだ。それにアーノルドなら、ベアトリクスが剣客として地元を守るため生きていくことに失望する人間じゃないはずだ」
「……そうだといいです」
ベアトリクスの翳りが少しずつだが薄れていく。
「それにまあ、あれだ。無理することはないよ。アーノルドはベアトリクスにとって『先生』だったんでしょう? 無理して他人っぽい呼び方しなっくてもいいんじゃないかな。『先生』のままで」
「……はい」
今、彼女の脳裏にあるのは剣客としての導であった先生──アーノルドの面影だろうか。
ゆっくりと顔を上げると、ベアトリクスはいつもの怜悧で整った表情になっている。
「ありがとうございます。色々と──気持ちの整理ができました」
「まあ、あわてずにね」
クシャナはへらっと緩い笑みを返した。
いくら「先生」と袂を分かったとて、無理に過去を否定するような考え方をすることはない。
この先いくらでも考え、向き合って、自分の生き方を見出していけばいいのだから。
「──ていう難しい話をしてるから、うちの弟子は完全に眠りに落ちたとみた」
「……あ」
ベアトリクスがクシャナの横のソファで静かになっているナタリーにようやく気付く。
ふーすかと寝息とたて、ソファに沈んで気持ちよく眠ってしまっている。
「頼もしい方です」
「我が弟子ながら、俺もそう思うよ」
頬を緩めたベアトリクスに、クシャナもおどけて頷いた。




