第二十九話 剣客と領土騎士の交換条件①
「恐縮です。ですがわたくしは恩人などと、そんなたいそうな者ではありません」
あらためてお礼を告げたクシャナに、ベアトリクスは静かに首を振っていた。
「ただ、かつての先生と袂を分かつことになっただけです」
──クシャナとナタリーが立ち去った後のエーベンの状況を、彼女は簡潔に話してくれた。
アーノルドは魔獣を相打ちとなり戦死。徒弟関係を解消したベアトリクスは一剣客として出直すと〈七聖〉の使いの者に告げ、アーノルドの弔いを託してその場を去ったのだという。
使いの者から〈七聖〉の実態──魔獣を使って都市を潰滅させようとしていた真実を知った彼女だが、口封じに殺されるといった状況にはならなかった。
真実を知った剣客をひとり野放しにしただけ──ベアトリクスが後に真実を世間に吹聴したところでなんら痛痒もないのだろう。それほどに〈七聖〉は大陸世界で盤石の地位を築いている。
それは過去に〈真髄〉が生まれる条件を知ったクシャナから剣聖を剥奪した後、彼を殺さず「無力な者」として放置していた過去にも通じる。
「無事でよかったよ」
クシャナは内心安堵していた。〈七聖〉が彼女を亡き者にする可能性はないだろうと見てはいたが、何かを契機に判断を変えるなんて可能性もあり得るからだ。
「ほんとだあ! ベアトリクスにまた会えるなんて」
ナタリーは眠気を吹っ飛ばして嬉しそうに駆け寄った。
「元気そう! 武装してる! ベアトリクス、ティグルスの領土騎士になったの?」
「はい」
無事を喜ぶ二人に、ベアトリクスは柔らかく頷いた。
「ここはわたくしが育った土地でもあるので。いわゆる出戻りというところでしょうか」
──ベアトリクスは生まれ故郷を魔獣に潰滅され、剣聖として討伐に現れたアーノルドに命を救われた、ナタリーと共通する境遇の持ち主だ。
故郷亡きあとティグルスで育ち、アーノルドの徒弟を止めたことでこの地に戻って来た、と。
「ティグルスの領土騎士を務めております。この土地の防人として剣の腕を磨いていくつもりです」
「それはすごい」
「ほんとほんと! 騎士の武装も様になっとるー!」
クシャナたちはティグルスを訪れる前に別の領地で討伐をこなしてきた。
一方彼女はこの二十日で育ちの地元に戻るなり領土騎士に就いていたのか──ということは。
「ここ数日、けっこう張り切って討伐に出向いてきたかんじかね?」
「はい。幼魔獣の侵攻脅威となるエリアを一掃すべく、連日討伐を」
「なるほど。ご活躍と察しますな」
「! それであたしらがこなせる依頼がショボい討伐ばっかりだったってことか!」
はっとナタリーも気付く。
ティグルスで高難度ランクの討伐をこなして高額報酬を手にする目論見は、ベアトリクスがわずか数日にして活躍した討伐成果によって崩されてしまったというわけだ。
「むぐ、ぐぬぬ、そんならあんまり文句言えない……のかぁ……っ」
ナタリーはなんとも言えない表情で呻いた。
稼ぎのしょっぱさが恩人の活躍あってこそ、という実情を知って複雑な気分のようだ。
「ところで」
にわかにベアトリクスの声がりんと涼やかになる。
「周辺の幼魔獣は一掃したとはいえ、ここは危険です。第一、ティグルスの治安の面から見過ごせないのですが。お二人はなぜこんなところで野宿をなさっているのですか?」
領地生活圏の境壁外とはいえ、ここもティグルスの領土で治安管轄内だ。勝手に野営をする二人を取り締まるべく出向いてきた真面目な彼女に。
「ああ」「うん」とクシャナとナタリーは口をそろえて、
『お金がなくて』
と情けない声を返すのだった。
いくら金欠でも宿代をケチって野宿など危険だ、という常識的な判断を下したベアトリクスは、そのまま二人を領土騎士の事務局に連行した。
テントを撤収し流れの旅荷物を抱えている二人を応接間に通すと、ベアトリクスは前置きなく切り出した。
「一宿をご提供しますので、ひとつ協力をお願いできませんか」
「協力?」
「うん! する! ソファやわらかーい!」
ソファに腰掛けたナタリーが即答した。野宿続きから一転、快適な座り心地に秒で取り込まれた弟子の有様にさすがのクシャナも諌言する暇がない。
「……弟子はああ言ってるが、一応詳細を伺おうか」
「はい。ぜひ」
ご機嫌にソファで身を沈めるナタリーをそのままに、クシャナは取り繕いベアトリクスも頷く。
「ティグルスの北端にある廃村で一等ランクの幼魔獣の現界を確認したのですが、手こずっています。お二人に討伐のご協力をお願いいたしたく」
「願ってもない話だ。ぜひ」
「ありがとうございます」
ナタリーが柔らかいソファに懐柔されるまでもなく、話はすんなりとまとまった。
もしかしたら、金欠の知り合いを見かねたベアトリクスによる温情なのかもしれない。
クシャナは軽くお金が必要な現状を彼女にも伝えた。
魔獣に対抗しうる武器・銀弾の調達と、原材料を採掘している銀山の所在地情報を求めている。
かつては先生と仰いでいた剣聖・アーノルドを討ったクシャナとその弟子ナタリーが、魔獣討伐直後エーベンで足止めされるべきではないと、現場から離れるように促したのはベアトリクスだ。
クシャナたちがやろうとしていることを理解し、できる範囲で協力したいと前置きすると、彼女はこう提案した。
「討伐の報酬として、情報をお渡しするというのはいかがでしょうか」
ほう、とクシャナがその目を覗き見ると、
「残念ながらティグルスの財政はあまり芳しくありません。領地周辺に幼魔獣が跋扈し、周辺土地との交易が滞っていることが原因です。討伐の依頼を出そうにも割に合う報酬も出せない。地元の領土騎士が総動員で討伐に奮起せざるをえないというのが実情です」
「そうだったのか……。でも、ベアトリクスたちの活躍で幼魔獣もだいぶ掃討できたんだし、物流も経済活動もこれから健全に回っていくんじゃないか」
「そうなるようわたくしも引き続き励んでいく所存です。ですが今はあなたがたに討伐に見合う報酬額をお渡しすることが難しい。なので──銀山の情報をご提供します」
「! 銀山の」
「南西オドアセル山脈の最西端にあるヤルルク岳。そこが大陸世界における銀の生産地です」
「えっ──」
まっすぐに突き出された情報にクシャナは目をしばたたかせてしまう。
「……ベアトリクス、いいのか? 討伐も済んでないのにそこまでの情報を」
「状況によっては、余裕をもってお伝えできない可能性がありますから」
冗談でもはったりでもないことは、その生真面目な顔から明らかだった。
「それにわたくしは、あなた方が手に入れた情報だけ持ち逃げするような御仁だとお見受けしておりません。むしろ領土騎士以上に討伐に臨んでくれると見込んでおりますので」
「これは高く買われたものだね」
クシャナは言外にある彼女からの信頼をありがたく受け取るように頷いた。
「報酬に見合う仕事はさせてもらうよ。お礼を言うべきなのはこっちの方だ」
剣客と領土騎士との交渉は成立した。
「正直、銀山の情報はどこにも糸口がなくて途方に暮れていたんだ。助かるよ。
でもベアトリクスはどうして銀山の情報を──」
「先生──いえ、剣聖のアーノルドが生前にオドアセル山脈へ魔獣討伐におひとりで出向かれたことがあったのです」




