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ココロノート~心の音を調律する少女~   作者: 名雲
第3章 王都での日々

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第69話 殲滅の魔女

 空に向けて手を掲げたエリーが、その冷えた双眸で戦場を見据えていた。

 吹き抜ける風が、彼女の白い服の裾をはためかせる。

 澄み渡る青い空の下で、怒号と悲鳴を撒き散らしながらぶつかりあう兵士たち。

 その先には大きな砦がそびえ立っていて、城壁の上から兵士が矢を射かけている。

 エリーたちは、相手国の最終防衛線を攻略するために、総攻撃を仕掛けていた。

 対する相手国も、ここを抜かれると後がないのだろう、砦を守り切り、押し返すために死力を尽くしていた。


 その光景を眺めていたエリーの目がわずかに細められ、細くしなやかな指を振り下ろした。


((響撃部隊、演奏開始))


 その唇から冷えきった言葉が響くと、響撃部隊の演奏が始まる。

 

 戦場に放たれた音楽は、以前に聴いた美しくて厳かなオーケストラとは、似ても似つかないものだった。

 澄んだ音などひとつとしてなく、ひび割れて掠れた音が重なり合っているだけだった。


"これが……エリーたちの音なの……?"

 

 それは、とてもオーケストラとは呼べない、ただの雑音でしかなかった。

 けれども、そのひどく醜くて耳障りな音は、圧倒的な破壊を戦場に撒き散らした。


 前線に残っている兵士たちが、敵味方の区別なく崩れ落ちていく。

 倒れ伏す者、剣を振り上げたまま固まっている者、頭を抱えて動かない者——

 その光景を見て、後衛に布陣していた部隊が動き出した。

 倒れ伏す兵士たちを刈り取るために、武器を掲げて前進していく。

 

 以前に見た凄惨な光景が繰り返されると、息を呑んだ、その時——空気が軋んだ。

 

"————っ!"


 砦から、音に乗せた破壊の衝撃が、エリーたちに真っ直ぐに襲いかかってきた。

 そのまま、エリーたちが奏でる破壊の音と、砦から飛んでくる暴力的な音楽が、大気を震わせながら正面から激しくぶつかり合う。


((くっ——!))

 

 エリーの口から、苦しげな声が漏れた。

 本来なら波打つ美しい銀髪は、汗でベッタリと額に張り付き、大きく肩で息をしている。


"エリー!"

 

 その痛々しい姿に咄嗟に手を伸ばした。

 けれど、私の手は虚しくエリーの体をすり抜けてしまう。

 届かない手を握りしめて視線を巡らすと、遠くに見える城壁の上に、楽器を構えた集団が見えた。

 ざっと数えても三十人以上が整列している。


"相手側の調律師——!"


 相手側にも調律師がいるなんてことは、考えてみれば当然だった。

 こちらを睨みつけるように立つ彼らから、激しい憎悪の音が聴こえてくる。


"でも、調律師同士の戦いなんて……"

 

 ただでさえ憔悴しているエリー達が、耐えられるのだろうか。

 心臓がキュッと締め付けられるように痛む中、エリーの体がぐらりと揺れた。

 

((エリー隊長! このままじゃ危険だ、敵の調律師から削りましょう!))


 隣にいたカムリンが、咄嗟にエリーの肩を掴んで支えながら訴えた。

 肩に回された手をチラリと見たエリーの瞳が、一瞬だけ揺らいだ。

 その温もりに縋るように、彼女の手が肩に置かれた手に伸びていく————が、触れる寸前で止まってしまった。

 一度、ギュッと固く握り締めると、カムリンの体を押し返す。

 

((言われなくても、わかっているわ))


 長いまつ毛を震わせながら、冷たい声で突き放した。

 

((総員、目標変更! 敵調律師部隊!))

 

 エリーは鋭い声で指示を飛ばすと、城壁に居並ぶ調律師たちに向けて、さらに苛烈な破壊の音を叩きつけた。

 破壊の音同士が正面からぶつかり、その衝撃は周囲を巻き込みながら広がっていく。


 徐々にエリー達が押し返していき、城壁に並ぶ調律師たちが、ひとり、またひとりと崩れ落ちていく。

 やがて敵の前線が崩れ出してきた時、後方からひとりの伝令兵が駆け込んできた。


((ジールクス隊長、本陣からの指令です!))


((……内容は?))


 エリーは舌打ちでもしそうな表情で、伝令の兵士を睨みつけた。

 そのエリーの迫力に、兵士はびくりと震えるけれど、彼は職務を全うするために声を張り上げた。

 

((部隊を二つに分けて、敵を崩す。片方は西へ、もう片方は北の前線へと向かわれたし))

 

((部隊を分ける? この状況で!?))


 その命令を聞いて、ヤナが声を荒げた。

 彼女の掠れたヴァイオリンが怒りで震えている。


((今だってギリギリなのに、それを分けるなんて、正気————))


((了解した。人員配置についての指示は?))


 ヤナの言葉を遮って、エリーが伝令に告げた。


((駄目だ、エリー!))


 カムリンが止めようと彼女の名前を呼ぶが、エリーは振り返らなかった。

 

((ジールクス隊長は西の戦線へ。それ以外は隊長判断に任せるとの事です))


((了解した。すぐに移動すると伝えて))

 

 目的を終えた伝令兵が、敬礼をした後に去っていく。

 その後ろ姿を冷えた瞳で見ていたエリーが、隊員たちに向き直った。

 

((私とヤナ、カムリンは西の戦線に向かう。他の隊員は北へ向かえ))


 エリーは淡々と隊員たちに指示を飛ばす。

 戦場を睨みつけるその瞳には、今にも壊れそうな弱さと、全てを燃やし尽くすような危うさを宿していた。


((隊長……))


 ザリスが何かを言いかけたけれど、エリーが首を振って止めた。


((命令よ、行きなさい))


 もう、誰も何も言えなかった。


◇◇◇


 西の戦線は、さらに酷い状況だった。

 配属されていた他の調律師部隊はすでに壊滅していて、兵士同士が入り乱れての混戦となっていた。


((これは……下手に演奏すると、味方の被害も大きくなるな))


 カムリンが周囲を見ながら苦い顔をする。

 

 倒れた兵士たちと散乱した瓦礫が道を塞ぎ、戦場が細かく分断されていた。

 飛び地のような戦場をいくつも駆け回りながら、エリーたちは音を放ち続けた。


((はぁ、はぁ……。さすがに、限界かも……))


 次の戦場に駆けつける途中で、ヤナがふらついて膝をついてしまう。

 瓦礫に囲まれた道の上で、肩で息をしながら弱音を吐いた。

 彼女のヴァイオリンは、すでに弦が何本か千切れ飛んでいて、弓も折れかけてしまっている。


 それでも、もう一度立ち上がろうとする彼女を、エリーは唇を噛み締めて見つめているが、声をかけるのを躊躇っていた。

 エリーの指先もすでに血だらけで、手にしたハープの弦には、彼女の血がまだら模様のようにこびり付いている。


((……すいません、ちょっと弱気になっちゃいました。私は、まだいけますから!))


 ヤナはそう言うと、片方の口元だけを歪に吊り上げた。

 ボロボロになった彼女のヴァイオリンと一緒に、心の音も壊れた音しか聴こえてこない。

 けれども、そうやって彼女が強がってみせた時、積み重なった瓦礫の陰から兵士が飛び出してきた。


((ヤナ!!))


 気づいたカムリンが素早くピッコロを構えたが、鋭い刃が振り下ろされる方が早かった。


((あっ……))


 ヤナの目が大きく見開かれた。


 赤い鮮血が舞い散り、断たれた弓が宙を舞った。

 がしゃんと音を立てて、ヴァイオリンが地面に落ちる。


((ヤナァァァァァッ!))


 エリーが叫び声を上げて、崩れ落ちたヤナに駆け寄っていく。


"そんな……ヤナが……"


 目の前で起こった光景が信じられなかった。

 力なく倒れたヤナを、エリーが抱きかかえている。私は、それを呆然と見ていることしかできなかった。


((ヤナ……ヤナ! 駄目よ、いかないでっ!!))


 大粒の涙を流してヤナを抱きしめているエリーの服が、紅く染められていく。

 その横で、カムリンが拳を握りしめながら険しい顔で立っていた。

 しかし、彼は何かに気づいたように、ハッとした顔をエリーの背後に向けた。


((エリー!))


 叫ぶカムリンの視線を追うと、エリーを狙って弓を引き絞る兵士がいた。

 突き飛ばすようにしてエリーの前に躍り出たカムリン。

 風を切り裂く鋭い音が聞こえた、次の瞬間。

 肉を貫く鈍い音が響いた。

 

((…………カムリン?))

 

 彼女の前に出たカムリンに、エリーが震える声で話しかける。


((…………))


 ぐらりと体勢を崩したカムリンが膝をついた。

 咄嗟に伸ばしたエリーの手が止まる。

 彼の胸の中央に、深々と矢が突き立っていたのだ。


((嫌……嫌よ……どうして……))


 涙を流し続けるエリーが、目の前の現実を見たくないというように、唇を震わせながらイヤイヤと首を振っている。


"そんな……カムリンまで……"


 私はもう言葉に出来ず、立ち尽くすことしかできなかった。


 膝をついたカムリンが、胸に突き刺さった矢を見たあと、エリーに顔を向けた。


((……良かった、エリーが無事で))


 掠れた声で、無理やりに笑って見せた。

 戦場を包む怒号の中で、その声はいやにはっきりと届いた。


((もう少しで戦争が終わるのに……あとちょっとなのに……))


 ヤナを抱えながら、エリーが震える声で呟く。


 彼女のハープが狂ったように奏でられ、二人を包むように音が広がった。

 カムリンとヤナから流れていく命の欠片を止めようとしているけれど、それが叶うことはなかった。


((何もかも終わって、昔みたいに戻れるはずだったのに……!))


 涙でぐちゃぐちゃになったエリーの顔に、カムリンの震える手が伸びていく。

 ハッとした彼女は、頬に添えられた手を、今度はしっかりと握りしめた。


((エリー……))


 血で濡れた口元から、消え入りそうな声が溢れる。

 けれど、カムリンから聴こえる音色は、包み込むような深い愛を奏でていた。


((ありがとう、愛してる))


 カムリンの手が、力なく落ちた。

 エリーを守るように奏でていたピッコロも、ぷつりと途切れてしまった。


((………………カムリン?))


 エリーが問いかけても、返事はない。


((あ…………))


 目を見開いたエリーの喉から、掠れた声が漏れた。


((あ……あ、ああああぁぁぁぁぁぁぁっっ!))


 エリーの血を吐くような慟哭が戦場に響き渡った。

 壊れた玩具のように狂おしい不協和音を振り撒きながら、エリーはカムリンの手を必死に握りしめている。


"ああ、どうして……"


 私は涙を流しながら、もう動かない二人の傍へ座り込んだ。

 二人に縋りついて嗚咽をあげているエリーを見る。


 止められなかった。

 これが過去の出来事で、今さら私に何もできないとしても……止めたかった。


"ごめんなさい……"


 そう呟いて、今にも千切れそうな彼女のハープに、自分のハープの音をそっと重ねるようにして、すり抜ける手を背中に添えた。

 意味の無い行為だとしても、愛する人を、大切な仲間を失ったエリーに寄り添いたかった。


 しばらくすると、エリーの嗚咽が小さくなっていき、彼女の周りだけ音が無くなったように不気味な静寂へと変わっていく。

 

 ゆらりとエリーが立ち上がった。

 彼女の白い衣装が、真っ赤に染まっている。

 俯いたままで彼女の表情は窺えないが、ぶつぶつと呟く声は、ゾッとするほど冷たい。

 

((終わらせる………))


 エリーのものとは思えない地を這うような低い声が、周囲の空気を震わせた。


((私が……私が、こんなくだらない戦争を終わらせてやる!))


 そう叫びながら、ゆっくりと顔を上げたエリーの眼には、一筋だけ流れる紅い涙。

 そこにいたのは、泣きそうな音を抱えた、ひとりの女性ではなかった。


 そこには、確かに《殲滅の魔女》が立っていた。

 

 泣いているのか笑っているのか、よくわからない顔で戦場を睥睨するエリーが、血に濡れた手でハープを構える。

 優雅な手つきで弦に指を添えると、一本の弦だけを指で弾いた。


 ————トォン

 

 その音は、静かな水面に一粒の石を投げ込んだように、輪を描くように音が広がっていく。

 

((な、なんだこれは!?))


 砦の上から、混乱した叫び声がいくつも聞こえてきた。

 その声を聞いて口角をわずかに上げたエリーが、もう一本の弦を爪弾くと、砦から悲鳴のような声が響いてくる。


 そして、その悲鳴に重なるように、戦場のあちらこちらから乱雑な楽器の音が湧き上がってきていた。


"何……? 何が起こってるの……?"

 

 突然の事態に驚きながら周りを見渡すと、呆然と立っている兵士達も、倒れ込んでいる者たちからも、それぞれの心の音が立ち昇っていくのが見えた。

 音を纏った粉雪のような光。

 それが、調律師だけでなく、この場の全ての人間たちから溢れ出ていた。

 

 自分の体に起こっている変化に驚いている者、呆然とする者、はっきりと恐怖を浮かべている者、それぞれの心の音が、空へと昇っていく。

 そして戦場の上を流れていき、エリーの頭上へと集まっていた。


"——————綺麗"


 思わず、そんな言葉が溢れた。

 

 それは、キラキラと光輝く、この世のものとは思えないほどに美しい雲だった。

 その美しい雲の下で、血の涙を流しながらエリーが微笑んでいる。


 その光景は、あまりにも美しくて、不気味で、凄惨だった。

 その姿に、誰もが声を失って彼女を見つめていた。

 

 頭上を覆う光の雲からは、何千何万もの心の音が聴こえてくる。

 集まってくる光は途切れることなく連なり、四方八方へと光の帯となって長く伸びていた。

 その連なりは地平線を超えて、さらにその先へ——

 どこまで広がっているのかわからないけれど、鳴り響く音は、気が狂いそうなほどに煩雑で、轟音となって戦場を蹂躙した。

 

((エリー隊長! やめるんだ!!))

 

 その轟音を裂いて、一人の男の声が、かろうじてエリーの元に届いた。

 声の主はザリスだった。

 傷だらけの体で、片足を引きずりながら必死にエリーの元へと向かってくる。

 

 ゆっくりと振り向いたエリーの顔を見て、ザリスは息を呑む。

 けれど、彼はぐっと歯を食いしばると、足を引きずりながらエリーの側へと近づいた。

 

((エリー隊長……もういいんだ、もうこれ以上苦しむ必要はないんです))


 ザリスは、苦しげに息を吐きながらエリーに語りかけた。

 その言葉を聞いたエリーは、不思議そうに首を傾げた。

 

((なぜ……? 早くこの戦争を終わらせないとだめでしょう? でないと……))


 紅い涙を流しながら、いっそ無垢に見える笑みを浮かべたエリーが、視線を下に向けた。


((カムリンも、ヤナも……ギニアス隊長も、何のために闘ってきたというの?))

 

 ザリスが横たわるヤナに気づいて、ぐしゃりと顔を歪めた。


((ヤナ……!))

 

 駆け寄ってヤナを抱き起こしたザリスは、既に事切れていることに打ちひしがれていた。


((あなたも辛いでしょう? 悲しいでしょう? こんなふざけた世界なんて、壊してしまった方がいいのよ))


 エリーはそう言って、あははっと笑った。

 それは、まるで幼い少女のような、真っ白で無垢な笑顔だった。


 エリーの笑い声に呼応したように、光の雲がエリーを中心にして回り始めた。

 重なり合った心の音が、雷鳴のように幾度も鳴り響いている。


 狂ったように笑うエリーは、もう正気ではないように見えた。

 止めにきたザリスも、ヤナの亡骸を抱えて俯いたまま動かない。

 エリーの調律師のチカラが暴走するのを、私は見ていることしかできなかった。

 

((全て————壊れてしまえ!!))


 

 ——————全ての音が消えた。


 そして。

 

 真っ白な光が世界を包んだ————。


——

————

——————


"——————っは!?"


 戦場が光に包まれたと思ったら、いつの間にか無音の世界に戻ってきていた。

 呆然と立ち尽くす私は、エリーが引き起こした光景を思い出す。

 人の体から光の粉が立ち昇って、光の雲に変わっていった。


"なんなの、あれ……"

 

 とても人間が起こせる事とは思えなかった。

 けれど、過去に起こったことなんだろう。


 五百年前に、調律師は絶滅した。

 《純音》が世界から消え去った。


 辺境伯様のお城で読んだ本の一文が、頭の中に浮かぶ。

 それは、あの光が起こしたことなのだろうか……わからない。

 あの後、エリーがどうなったのか、戦争は終わったのか、私にはわからなかった。

 

 不思議と涙は出なかった。

 怖いくらいに心が静かなのは、きっと、あの光景を受け止めきれなかったのかもしれない。

 

 でも——

 私は俯いていた顔を上げて、目の前に浮かぶ光の球を見た。

 

 これが、最後の光の球。


 私はひとつ頷くと、光の球へと手を伸ばした。


 待っててね、エリー。

 私は、どんな結末だろうと見届けてみせるから。


 そう心で語りかけた私の視界が、また光に包まれた——

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