第67話 彼女が歩んだ軌跡
口元を少し綻ばせながら、ゆっくりと歩くエリー。
その横で、寄り添うように並ぶカムリン。
少し後ろでは、置いて行かれたことに気づいたヤナとザリスが、慌てて追いかけている。
ふと気づくと、晴れ渡っていた空は、青とオレンジ色が混じり始めていた。
私は、夕暮れに染まった空の下を歩く四人の後ろ姿を眺めていた。
西陽に向かって歩いているエリーたちは、黒い影となって表情はわからないけれど、並んで歩くその後ろ姿は、ごく普通の人たちだった。
互いを尊重して、思い遣って、笑い合う。
そんな日常の光景に、いや、そんな光景だからこそ、余計に胸が締め付けられた。
"どうして……"
ポツリと言葉がこぼれ出た。
戦場で兵士を壊していた人たち。
あれほど残酷で、容赦なく、恐ろしい存在だったのに、目の前で笑い合うエリーたちは、私たちと何も変わらなかった。
どうして、戦場ではあれほど残酷になれるのだろうか……?
エリーたちを眺めていると、夕陽が目に染みた。
滲んだ視界のまま目を伏せると、ふと、彼女たちから心の音が流れてきた。
"ああ……やっぱり辛いんだ……"
エリーとヤナだけじゃない。
穏やかに話すカムリンも、ヤナとじゃれ合っているザリスからも、不協和音が聴こえてきていた。
彼らの心の奥の奥。
自分の意思で蓋をしているその先に、悲鳴のような音色が隠れているのが見えた。
その抱えきれない痛みの音が、助けてと言っているようで……
"……ごめんなさい"
見ているだけしかできない私の口から、そんな言葉がすべり落ちた。
私には、何も出来ない。
この人達の苦しみに手を伸ばすことも、声をかけることもできない。
この先に、悲劇が待っていたとしても——
私は、ただ見ていることしかできない。
その事実が、ずしりと私の中に重たく響いた。
茜色の光を浴びて、四人の影が私の足元まで伸びている。
逆光に包まれたその後ろ姿は、今にも溶けて消えてしまいそうで、ひどく遠くに感じられた。
その場に立ち尽くして見送る私は、夕陽の眩しさに目を眇めた。
滲む視界の中で、また世界の色が解けていく。
前を歩く四人の姿が、淡く滲む光の粒となって空へと昇っていく。
市場の喧騒も笑い声も。
全てが色を失い、光となって溶けて消えていった。
——
————
——————
"…………"
立ち尽くす私の周りを、光の球が漂っている。
けれども、私はエリーたちが居た場所をしばらく眺め続けていた。
視線の先には四人の姿はなくて、どこまでも続く暗闇だけがある。
そんな中でも、耳をすませば、さっきまでいた四人の笑い声が聴こえてくるような気がした。
まだ私の胸の奥に、響きとなって残っているような、そんな気持ちにさせられる。
幸せになって欲しい。
気づけば、そんな願いが私の中に灯っていた。
けれども、そう願う私の頭の中にもたげてくる、ある言葉。
——《大静寂》の後に、調律師は絶滅した。
辺境伯様の城で読んだ本に書かれていた言葉。
その言葉に、ゾワリと冷たい何かが背中を這い上がってくる。
”絶滅って……あの人たちがいなくなる……?”
浮かんだ考えを、頭を振って追い出そうとした。
いや、まだそう決まったわけじゃない。
でも……あの光景は遥か昔の記憶。
変えようのない過去の出来事だ。
私がどんなに願っても、手を伸ばしても、過去に起こったことは変わらない。
それでも。
せめて、あの人たちには笑っていて欲しい。
そう思わずにはいられなかった。
それから――
私は、いくつもの光の球に触れて、エリーの記憶を辿っていった。
その中には、いくつもの喜びがあった。
何度も悲しんでいる姿があった。
愛も友情も。
エリーという一人の女性が生きた軌跡が詰め込まれていた。
少しずつカムリンとの関係が戻っていく様子を、ハラハラしながら見守ったりもした。
エリーがカムリンにだけ柔らかい笑みを向けた時は、嬉しくて私まで笑顔になった。
ヤナとの友情も深まっていって、二人で買い物に出掛ける姿を何度も見た。
英雄と持て囃されて苦悩している記憶もあった。
大勢の人がエリーを讃える言葉を贈っているのに、エリーの心の音は、ひどく苦しそうに震えていた。
そんなエリーを、そっと横で支えるカムリンとの逢瀬は……途中で、記憶が途切れてしまった。
"……もう少し見たかったな"
見つめ合う二人の距離に、思わず息を止めて見守ってたのに。
————残念。
そうそう、ヤナとザリスが付き合いだしたのは、見ていて楽しかった。
二人で喧嘩した後に、こっそりと手を繋いだりして……。
しっかり、エリーに気付かれていたけれど。
戦場の記憶はあの一度だけで、もう見ることはなかった。
ただ、戦場から戻ってきたエリーが人知れず一人で涙を流す姿は、この目に焼き付いている。
彼女の千切れそうなハープの音が、耳にこびり付いて離れない。
そんな記憶を詰めた光の球も、段々と数を減らしていった。
そして————
あと、残り十個。
あれだけあった光の球も、数えるほどに減ってしまった。
ふわふわと私の周りを回りながら、淡く明滅を繰り返している。
"……これから、どうなっちゃうんだろう"
エリーたちが笑っていられる未来が待っている――とは、どうしても思えなかった。
途中までは笑い合っていたエリーたちも、徐々に疲弊していって、笑顔を見る回数も減っていった。
特にエリーは、涙を流す回数が増えていって、彼女から聴こえる不協和音も、だんだんと大きくなっていた。
"大丈夫かな……エリー"
知らず知らずのうちに俯いていた私の視界に、ひとつの光の球が入ってきた。
淡く光りながら静かに漂っている。
それを見つめながら、今まで見てきた記憶を振り返る。
あの記憶の中で、エリーは確かに生きていた。
必死に足掻いて、傷ついて、泣いて、笑って……
どこまでも人間だった。
《殲滅の魔女》なんて怪物はいない。
エコーズ・ジールクスという、一人の女性がいるだけ。
だから……
"最後は笑顔で……"
そう望みながら、光の球に手を伸ばした。
――
――――
――――――
光が舞い散り、世界が色づき始める。
私は、どこか期待するような気持ちで、ゆっくりと出来上がっていく景色を眺めていた。
エリーがヤナと笑い合っている記憶かもしれない。
それとも、ヤナとザリスがじゃれ合いながら、楽しそうに笑っている記憶かもしれない。
もしかしたら、カムリンとのデートの記憶なんてことも……
自分の心にこびり付いた不安を振り払うように、淡い期待を抱いていた。
やがて、景色が出来上がる。
目の前には、生い繁る草木と濡れた土。
薄暗い林の中、まるで膜がかかったように煙る景色が広がっている。
"雨だ……"
見上げると、空を覆う灰色の雲。
そこから、冷たそうな雨が降り注いでいる。
どこか寒々しい光景に、胸の奥がひやりと冷えた。
"なんだか、嫌な予感がする……"
そう口を動かした時、林の奥に人影が見えた。
エリーかもしれない。
そう思って、その人影へと近付いていく。
立ち並ぶ樹と雨のせいで、状況がよく見えない。
そう思いながら足を進めていると、不意に重苦しい不協和音が聴こえてきた。
"え……この音は……?"
間違いない、エリーのハープの音色だ。
けれど、いつもの澄んだ音じゃない。
重く、ひび割れて、苦しそうな音を響かせている。
まるで、何かが壊れていくような――
そして、薄暗い林に響いていた不協和音が、突然、ぷつりと途切れた。
次の瞬間――
((隊長! ギニアス隊長!))
悲痛な叫び声が林の中に響き渡った。
それは、身を引き裂かれるような、エリーの叫び声だった。




