第66話 陽だまりの中で
目の前の景色が解けていき、色と形を失いながら光の粒へと還っていく。
舞い散った光が、ふわりと揺れながら暗闇の中に消えていった。
目の前には、もう見慣れた音のない暗闇の世界が広がっている。
私は、見てきた光景に衝撃を受けて、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
カムリンとギニアスさん。
そして、エリー。
……いや、《エコーズ・ジールクス》。
信じられない気持ちと、どこか納得してしまう心が、胸の奥でぐちゃぐちゃに絡まり合っていた。
”まさか、それがエリーだったなんて”
思わず、口が動いていた。
口の中に渇きを感じて、ごくりと唾を飲み込む。
胸の中のひやりとしたものを吐き出そうと、大きく息を吐いた。
エコーズという名前から、勝手に別の誰かを想像していたのに……
胸に手を当てて気持ちを落ち着けようとした時、周囲に浮かぶ光の球がゆっくりと回り始めた。
”……っ”
まだ、心の準備なんて出来ていないけれど、状況は待ってはくれない。
落ち着く間もなく、今度は二つの光の球がふわふわとこちらへ近づいてきた。
”どっちかを選べってことだよね……”
目の前で揺らめく光に問いかける。
すると、どちらの球も「こっちだよ」と言うように、淡く明滅を繰り返す。
”どうしよう……困ったな”
どちらにせよ、この気持ちのまま決めるのは良くない。
まずは気持ちを落ち着かせようと、光の球に声をかけた。
”ちょっと待っててくれるかな?”
そう伝えると、光の球たちは了承したように、少し私から離れてくれた。
”……ありがとう”
そう呟いて、私はゆっくりと息を吐いた。
私は、あごに手を添えて、先ほどの光景を思い浮かべる。
――エリーは、怪物じゃなかった。
そのことが、何より安心できた。
けれど、エリーの本当の名前がまさか……
”《エコーズ・ジールクス》……史上最高の調律師……”
口の中で、その名前を反芻する。
クリスが言っていた、伝説の人。その正体がエリーだったなんて……
正直、比べようもないから、エリーがどれほど凄いのかなんてわからない。
だけど、あの戦場で見たエリーを思い出すと、その評価も頷ける。
”それに……この世界と、エリーの正体が《エコーズ》だったことに、何か関係があるの……?”
これまで見てきた記憶を振り返ってみるけれど、そのどれもがエリーを映した記憶だという事しかわからない。
”結局、ひとつずつ記憶を見ていくしかないか”
そう結論付けた私は、小さく息を吐いてから、さっきの光の球たちに声を掛ける。
”もういいよ、こっちに来てくれるかな?”
伝わるようにと考えながら口を動かすと、ふわふわとさっきの球が近づいてきた。
”どれどれ……”
2つの球に顔を寄せて、映る景色を見てみる。
すると、左の球には、エリーがどこかの室内にいる姿が見えた。
穏やかな顔で本を読むエリーの様子に、どこかホッとする。
小さく笑みを浮かべながら、もう一つの球に目を移してみると――
”――ひっ!?”
息を呑んで、光の球からのけ反るように体を離した。
そこには、エリーともう一人の女性がいた。
あの戦場にいた、《ヤナ》と呼ばれていた女性。
”はぁっ、はぁっ……!”
心臓が痛いくらいに脈打つ。
手の震えを感じながら、あの地獄の中で浮かべていた笑みを思い出す。
喉の奥がひゅっと短く息を吸い込み、背中がゾッと粟立った。
エリーは優しい心を失っていなかった。
罪悪感に呑まれながら、自分を押し殺して、心の中で泣いていた。
けれど、この女性は――
正直、二度と見たくなかった。
”こっちも見なきゃ駄目……かな?”
答えなんて貰えないのはわかっているのに、そう聞かずにはいられなかった。
地獄のような戦場で、笑いながら破滅の音を奏でていた女性。
その笑顔が、脳裏から離れない。
”どうしよう……”
反応が返ってこない球を見ながら、両手で自分を抱きしめる。
この先を見るのは怖い。
また恐ろしい光景を見せられたらと思うと、足が竦んでしまう。
けれども、ここにいる光の球たちに、全てを見届けると誓ったはずだ。
”自分で決めたんだ。逃げちゃ駄目だよね……!”
震える手を握りしめて、もう一度大きく深呼吸をする。
エリーの本心を知るまでは、彼女のことを恐れていた。
なら、あの戦場で笑っていたこの人も、心の中で泣いていたのかもしれない。
”本当は優しい人なのかもしれない。それに……”
アレク達の元に帰るんだ。
逃げずに、前に進まなきゃ……!
そう決意して、まだ少し震える手を光の球へと伸ばした。
――
――――
――――――
((副長~! 待ってくださいよ~))
明るい声が、晴れ渡る空の下で響き渡った。
景色に色が付いた瞬間、ヴァイオリンを持ったヤナが、エリーを追いかけているのが見えた。
彼女たちの周りを、たくさんの人たちが行き交っている。
((今朝届いたばかりの新鮮な野菜だよ!))
((串焼きはいかが? 特製のタレが人気だよ!))
((そこの旦那! いい葉っぱが入ってるよ!))
石畳を囲うように建てられた露天から、賑やかな呼び込みの声が何重にも重なり合っていた。
どうやら、エリーとヤナの2人は、市場に買い物に来ているようだった。
”ここ、500年前の街なんだ……”
石造りの少し無骨な雰囲気を感じる街並みが、目の前に広がっている。
通りを行き交うたくさんの笑い声。
値段を巡って交わさる駆け引きの声。
地面を揺らすような足音に、何処かから聴こえる楽器の音。
"なんだか、不思議な気分……"
目の前に見えてる景色は、500年前の記憶のはずなのに。
活気に満ちた喧騒は、そんな事を忘れさせてくれるくらいに賑やかだった。
"わぁ、素敵なお皿"
露店を覗くと、思わず声が漏れた。
木で組まれた台の上には、陶器のお皿がズラリと並んでいる。
隣のお店を覗いてみると、可愛い木彫りのアクセサリーが売られていた。
"へぇ……変わった形のお皿だ。あ、あっちのネックレスも素敵"
見るたびに目移りして、心が踊るようだった。
弾むような足取りでいくつもの露店を見て回ると、串焼きのお店が目に入った。
"なんだろう、あの食べ物…丸くて柔らかそうで……"
けれど、これほど五感を揺さぶるような喧騒の中にいても、匂いだけがぽっかりと抜け落ちていた。
炭で炙られた肉の香ばしさも、行き交う人々の熱気も、私には届かない。
嫌でもここが、過去の記憶なのだと突き付けられる。
それでも初めて見る物も多くて、エリー達の後を着いていくだけでも楽しかった。
((それでですね……わたし、言ってやったんですよ、アイツに!))
ふと気付くと、ヤナが興奮気味にエリーに話しかけていた。
"あ、ちゃんとコッチも見てなくちゃ……余所見ばかりしてちゃ不味いよね"
私は、誰かに言い訳するように独り言を零して、エリー達を追いかけた。
すると、興奮した様子のヤナが、大袈裟な身振りで捲し立てている。
((「そんなにちょっかいかけてくるなんて、わたしの事が好きなんじゃないの?」って! そしたら、ザリスのやつがなんて言ったと思います?))
((……なにかしら))
少しうんざりした様子で、エリーが聞き返している。
((「そ、そんなわけないだろう、馬鹿野郎!」ですよ!? わたしに馬鹿って言うなんて、ザリスのやつ〜!))
地団駄を踏みながら、悔しげな顔をしているヤナ。
でも、それって……
((聞いているこっちが恥ずかしくなってくるわ……ご馳走様))
ため息を吐きながら、エリーが皮肉げに返した。
……あ、やっぱり?
"ザリスって、あの戦場にいた男性だよね"
確かホルンを演奏していたはず。
少し真面目そうだった男性を思い出す。
改めてヤナを見ると、弾むような足取りで、楽しそうにエリーに話しかけていた。
地獄のような戦場で、笑いながら人を壊していた恐ろしい人。
あの場所では、確かにそうだった。
けれど、今のヤナは、どこにでもいるごく普通の女の子にしか見えなかった。
彼女から聴こえてくる、楽しげに弾むヴァイオリンの音色。
その中に、時折り掠れたような不協和音が混じっている。
"笑ってるのに、なんだか痛そう……"
ヤナの笑顔の奥に、小さな子供が泣いているような音が聴こえた。
切なく響くその音色に、胸の奥がキュッと萎んだ。
心の中の灯りがひとつ、またひとつと消えていくような感覚に、思わず胸を押さえながら彼女を見ていた。
その後も、二人はお喋りをしながら市場を巡っていた。
仕事じゃなくて、休暇で来ていた二人。
買い物をしたり、お店に並ぶ商品に目移りしては悩んでみたり。
そんな時間を過ごしてるうちに、エリーの表情が少しずつ柔らかくなってきてるのに気づいた。
ヤナは、そんなエリーの顔をちらりと見ては、柔らかなヴァイオリンの音色を奏でていた。
"そっか、ヤナは……"
その優しい気遣いを感じて、私の口元も自然と綻んだ。
((いや〜…いっぱい買っちゃいましたね))
両手にたくさんの荷物を抱えながら、満足そうにヤナが笑っている。
そんな彼女を見て、エリーもうっすらと笑みを浮かべていた。
((そうね、こんなに買い物をしたのは久しぶりだわ。ヤナ……ありがとう))
少し照れくさそうに、エリーがお礼を言っている。
"こんな顔もできるんだ……"
肩の力が抜けたその笑顔を見て、わたしも釣られて笑顔になる。
((――なんのことですか? わたしの買い物に付き合ってもらったんですから、お礼を言うのはこっちですよ))
そう言って、ヤナはニカっと笑ってみせた。
二人のやり取りに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
どこか救われたような気持ちのまま、足取りも軽く後をついていく。
いくつかの露店を過ぎたところで、不意にヤナが((あっ……))と声をあげた。
"何かあったのかな……?"
ヤナの視線を追うと、前方から見覚えのある人影が歩いてるのが見えた。
あれは……ザリスと呼ばれてた男性と――カムリンだ。
"え、ど、どうしよう……?"
さっき、エリーがカムリンを拒絶したのを見たばかりだ。
ここでまた気まずい雰囲気になるかもと思って、あわあわと慌ててしまう。
けれど、動揺する私と裏腹に、エリー達は落ち着いた様子で歩いていく。
((あれ? 副長とヤナじゃないか。こんなところで何してるんだ?))
通りの向こうから手を振ってきたのは、あの戦場でホルンを吹いていた真面目そうな青年――ザリスだった。その隣には、カムリンの姿もある。
((デートで〜す! ですよね、副長?))
ヤナが両手の荷物を揺らしながら、元気いっぱいに戯けてみせた。
エリーも困ったように眉根を下げつつ、((そうね、デートかも))と悪戯っぽく話に乗っかっている。
((ザリスこそ何してるの?男2人でお出かけなんて……まさか……))
そう言いながらヤナがエリーの腕にくっついて、わざとらしく後ずさりしている。
((待て待て! 変なこと言うのはやめろ馬鹿!))
((あ〜! またわたしに馬鹿って言った!))
途端に、二人の周りが賑やかになった。
そんな二人を横目で見て、エリーが呆れた様子でため息をつく。
そしてちらりとカムリンを伺うのが見えた。
エリーの様子に気づいたカムリンが、少し緊張した様子でエリーに近づいていく。
((エリー……副長))
少しぎこちない様子で、カムリンがエリーの名前を呼んだ。
彼のピッコロからは、話せる喜びと、少しの切なさが混ざり合った音色が流れてくる。
"エリー……"
この前みたいに拒絶しないかと、ドキドキしながら2人を見守る。
((なにかしら、カムリン?))
ほんの僅かに口元を綻ばせて、エリーが応えた。
その瞬間、カムリンから空へと抜けるようなピッコロの音色が響き渡った。
((お、俺たちも休暇で街をぶらついていたんだ。よかったら、一緒に歩かな……歩きませんか?))
緊張で顔を少し強張らせながら、カムリンがエリーを誘っている。
"これって……デートのお誘い!?"
思わず声がうわずってしまう。
早鐘を打つ心臓を押さえながら、息を潜めて成り行きを見守る。
じっと、カムリンを見つめていたエリーの目が、ふっと緩んだ。
((ええ、いいわよ))
そう言ったエリーから、微かにハープの音色が聴こえてきた。
それは――
切なさと、胸の痛みと――たくさんの愛情。
その音色が胸を締め付けて、また私の目から一筋の涙が溢れ落ちた。
((あー! 副長、カムリンとなんか良い雰囲気じゃない!?))
ザリスとのじゃれ合いをしていたヤナが、目ざとくエリー達の様子に気づいていた。
少し近い距離で並ぶエリーとカムリンを見ると、確かに恋人っぽく見える。
((ばっ……ヤナ! すみません副長、俺からコイツに注意しておきます))
((なんでザリスに注意されなきゃいけないのさ! ホントのことを言っただけでしょ!))
また痴話喧嘩が始まる2人。
そんな光景を呆れたような、見守るような顔で眺めていたエリーが、静かに声をかけた。
((さぁ、そろそろ行きましょうか))
そう言って、少しゆっくりと歩き出すエリー
その横に寄り添うように歩くカムリンと、慌てて追いかけるヤナ達。
"楽しそう……”
目の前の眩しい光景に、目を細める。
”私も、早くアレク達のところへ……"
帰りを待っていてくれるだろう仲間達の顔が、頭の中に浮かぶ。
私は、エリーたちの背中を見ながら、胸の前で手を握りしめた。
この記憶を最後まで見届けたら――
”必ず帰るから、待っててね……”
音にならない呟きが、かすかに耳を打った気がした。




