第65話 罪を背負う者たち
石造りの部屋の中に、冷え切った声が響き渡った。
((穢らわしい……気安く私に触れないで))
エリーが掴まれた手を、乱暴に振り払う。
その瞳の中には、暗く沈んだ嫌悪が滲んでいた。
((エ、エリー? どうしたんだ……?))
その剣幕に驚いたカムリンの声が、静まり返った室内に響いた。
”エリー……”
カムリンは振り払われた手を見つめて、呆然と立ち尽くしている。
信じられないと目を見開いたその表情を見て、胸が苦しくなる。
((……以前、恋仲だったとはいえ、もはや立場が違うのよ))
険しい顔で掴まれた手首をさするエリーが、冷然と言い放った。
((なっ――))
カムリンが、衝撃を受けたようによろめく。
((そ、そんな……あの優しかったエリーが……?))
信じられないという表情で、一歩後ずさる。
しかし、彼は何かに気づいたようにハッと表情を変えた。
((もしかして、誰かに無理やり……?))
口元に手を当てて何かを呟いた後、キッと鋭い目をエリーに向けた。
((エリー。君は上官のギニアスに、何か弱味でも握られているのか? なぁ、そうなんだろう!?))
必死な様子でエリーに詰め寄るカムリン。
今度は両手で包み込むようにエリーの手を握りしめた、その時――
”今、エリーの目が……?”
一瞬。
ほんの一瞬だけ、エリーの顔に嫌悪以外の表情が浮かんだ気がした。
でも、幻とでもいうように、すぐに元の冷たい表情に戻ってしまう。
エリーが至近距離で彼を睨みつけると、その迫力にカムリンの動きが止まった。
((言ったはずよ、触らないでって))
握られた手を振り払ったエリーが、深くため息を吐く。
その顔が、ひどく疲れているように見えた。
((そうね……貴方には、まだわからないわ))
握られた手に視線を向けながら、静かな声で呟くエリー。
私は、息を潜めて成り行きを見守るしかなかった。
((わからないって……人殺しに、わかるもわからないも無いだろう!))
詰め寄るカムリンから逃れるように、エリーが一歩下がった。
((……綺麗ごとだけでは、国は守れない。私たちは、知らなかっただけなのよ))
少しだけ、悲しげに目を伏せながら呟いた。
その声には、明確な拒絶の色が宿っている。
((……っ!))
エリーの言葉に、カムリンが言葉を失った。
彼から響いてくるピッコロの音色にも、迷うような揺らぎが混ざり出す。
((嫌でも、理解するときがくるわ))
伏せていた目を上げたエリーが、冷たい笑みを浮かべる。
((それに……))
だらりと下げていた手を胸に当てて、妖しげに口元を歪めた。
((人殺しの兵器としての私は、とても価値があるのよ))
傲慢そうな表情を見せつけるエリー。だけど……
”…………っ”
その姿を見て、息が詰まるような思いがした。
どうして、苦しそうに見えるんだろう。
私には、その言葉がエリー自身に言い聞かせているように聴こえた。
((……それが、君の本心なのか?))
カムリンの目が揺れて、一瞬、泣きそうな表情になった。
でも、迷いを振り切るように頭を振って、強い瞳でエリーを見据えている。
((俺は……信じない))
呟いた声が、やけに響いた。
((君の筋金入りの優しさは、一年やそこらで変わるもんじゃないはずだ……!))
強い意志を乗せた言葉が、石の壁に反響する。
めげずにエリーを信じると豪語するカムリン。
その目は、真っ直ぐにエリーを見ていた。
エリーはため息をひとつ吐くと、一歩後ろに下がった。
((――貴方がどう思おうと勝手だけれど――))
その瞳には、怒りも嫌悪も、全ての感情が消えていた。
((2度と私の邪魔はしないで。迷惑だわ))
そう冷たく言い放つと、拒絶するように背を向けた。
((それでも俺は、君を連れて帰る! 必ずだ!))
拒絶するその背中に向けて、カムリンが宣言した。
((私は――))
背を向けた彼女の表情は伺えない。
けれど、強い覚悟だけはその背中から感じられた。
((《殲滅の魔女》は、貴方に構っているほど暇じゃないの))
”《殲滅の魔女》……”
その二つ名を聞いた瞬間、あの戦場の光景を思い出して背筋がゾッとする。
確かに、あの戦場のエリーは恐ろしかった。でも……
”そんな名前をつけるなんて……”
まるで、化け物の烙印のよう。
エリーは、どんな気持ちで受け止めたんだろうか。
((かつて恋仲だった誼みよ。今日のことは見逃してあげるわ……でも、2度目は無いと心得なさい))
そう言い残して去っていくエリー。
残されたカムリンは、何かを決意したように、瞳に大きな火を灯している。
強く拳を握りしめながら、去り行くエリーの背中を見つめていた。
◇◇◇
コツコツと、石壁に靴音が響く。
私は、廊下を歩くエリーを追いかけていた。
俯けた顔の表情は見えないけれど、口元が僅かに震えているのに気づいた。
”エリー……もしかして……”
エリーの様子を伺いながら、薄暗い廊下を進んでいく。
すると、廊下の向こうに年配の男性が立っているのが見えた。
”あの人は……”
見覚えがある。
”前にエリーに詰め寄っていた、ホルンの男性……”
人助けより戦場へ行けと強要していた人だ。
あの光景を思い出して、胸がざわついた。
”また、エリーに何かを言うつもりじゃ……”
思わず、体が強張る。
その男性が立ち去る様子はない。
明らかにエリーを待っていた。
コツコツとリズム良く響いていたエリーの足音が、少しずつ乱れていく。
コツ……コッ……
その足音が、男性の目の前で止まった。
((……あれで、良かったのか?))
目の前に立つ男性が、静かに声をかけた。
その声色は、意外にも気遣わしげだった。
”え……?”
彼から聴こえてくるホルンの音色も、心配するような音色を奏でている。
”この人……この前とは違う……?”
((ギニアス隊長……))
俯いたままのエリーから、疲労を滲ませた声が聴こえた。
((いいんです、あれで……))
そう言って、顔を上げたエリーが唇を噛みしめた。その瞬間――
”――――っ!”
さっきまで何も聴こえなかったエリーのハープから、勢いよく音が溢れ出した。
廊下に響き渡る剥き出しの感情。
それは、悲しみと後悔と――愛情。
"エリー……?"
さっきまでの冷たい態度が嘘のようで、その落差に驚いてしまう。
彼女から聴こえる音色は、間違いなくカムリンに向けられたものだった。
((私の手は、もう血だらけです……))
俯いた彼女の肩が震えている。
((真っ白な彼に、私の汚れた身体に触れて欲しくなかった……))
両手で顔を覆う彼女から、切なくなるような音が響いてくる。
((……彼が、汚れてしまいそうで))
唇を震わせながら、ポツリと呟いた。
彼女のハープが叫んでいた。
怖くて、悲しくて。
誰かに……愛する人に助けて欲しいと。
"ずっと苦しんでいたんだ……"
悲しみに暮れるエリーの姿を見て、胸が締め付けられる。
"エリーは、怪物なんかじゃなかった……”
彼女の本心に触れて、少しだけ安心する自分に気付く。
あんな音を出せる人が、怪物なわけがない、と。
その震える肩を、そっと抱きしめてあげたいけれど、私には触れることすらできなくて……
悲しみに暮れるエリーを見ていると、ずっと黙っていたギニアスさんが、ため息を吐いた。
((罪悪感で潰れそうな君の支えになってくれるかと期待したが……))
低い声でそう言うと、エリーの背後――カムリンがいた方をちらりと見た。
((余計なお世話だったようだな))
苦笑いしながら、エリーに声をかけた。
エリーは((いいえ……))と口にしながら頭を振ると、目元を袖で拭いながらギニアスさんを見た。
((違う戦地へ行かされるくらいなら、私の近くにいてくれたほうが安心出来ます))
顔を上げたエリーの瞳は、初めて見た時のように澄んでいた。
((……心遣いありがとうございました))
そう言って深く頭を下げるエリー。
冷徹な仮面を脱ぎ捨てた彼女に、ギニアスさんが静かに頷いて応えた。
((君には、無理をさせている自覚はあるからな))
エリーを見る瞳の奥には、重く沈むような色が見える。
((《殲滅の魔女》か……本来の君から程遠い業を背負わせて、申し訳ないとは思っている))
苦い顔で呟いた彼から、エリーに向けて後悔と自責のホルンが聴こえてくる。
”この人も、エリーと同じ……?”
エリーに対する気遣いや優しさは本物だ。
でも、どこか冷たくて硬い音も混ざっていた。
頭を上げたエリーは、少し落ち着いた様子でギニアスさんを見た。
((いえ、いいんです。私の存在がこの泥沼の戦争を終わらせる一助になるなら……))
軽く頭を振りながら、口元に薄っすらと笑みを浮かべている。
((いくらでも《殲滅の魔女》を演じますよ))
そう言って、ふわりと微笑むエリー。
けれど……
((私達で、必ずこの戦争を終わらせましょう。それが、平和への一番の近道だと信じてますから))
その瞳には隠しきれない悲しみが滲んでいた。
痛々しい姿に、胸の奥がずきりと痛んだ。
((…………))
深呼吸ほどの間、沈黙が二人を包んだ。
小さく息を吐いて、静かにギニアスさんが口を開く。
((……戦争が終わったとしても、君に自由は無いだろう))
眉間にシワを寄せて、ため息混じりに口にした。
((戦争が終わった後には、英雄が必要だ。失ったものから目を逸らすためにな))
顔を皮肉気に歪ませて、吐き捨てるように言うギニアスさん。
((上層部は、君を《英雄》に担ぎあげるだろう。戦争を終結させた立役者として))
その言葉を聞いて、思わず息を呑む。
戦争でこんなに辛い思いをしているのに……
その上《英雄》の役割まで負わせるなんて。
”そんなの……ひどいよ……”
私は、手の平に食い込むほど、強く手を握りしめる。
顔も知らない上層部の人たちに怒りが込み上げた。
((それも、民衆の不満が軍に向かないように……それだけのために))
長く息を吐いたギニアスさんが、ここから見えない誰かを睨みつける。
そして、真剣な目でエリーを見ると、鋭い声をあげた。
((正直、業腹だ……!))
彼のホルンが重々しく響いてくる。
怒りを孕んだその音に、体が強張ってしまう。
((君は、もっと報われるべきだと――今は、そう思う))
重々しい音に、一瞬だけ凍えるような冷たさが混ざった。
その圧力に冷や汗が流れたけれど、その音色もすぐに鳴りを潜めた。
ゆっくりと、重く深い音に変わっていく。
((……全てが終わったら、私を殺してくれていい。君を地獄へと突き落としたのは、私だからな))
懺悔するような呟きに、自嘲の響きが混じっていた。
((――とは言っても、君の怒りや悲しみには到底足りないだろうが))
そう言って、少しお道化たように肩を竦めてみせた。
重い空気を変えたかったのかもしれない。
((ギニアス隊長には感謝してますから、そんな事はしませんよ))
エリーは、そんなギニアスに向けて小さく息を吐いた。
((私よりずっと苦しんで、戦争を終わらせるために奔走し続けているじゃないですか))
胸に手を当てながら、困ったように眉尻を下げている。
((もし英雄が必要というのなら……ギニアス隊長こそ、その栄誉に与るべきです))
エリーからは、ギニアスに対する信頼の音色がずっと聴こえている。
”2人の間に、なにがあったんだろう……”
親子や友人同士とは違う。
けれど、二人の間には確かな信頼の音が流れていた。
そんな風に考えていると、ギニアスさんが少しぎこちなく口元を吊り上げた。
((はは、こんな爺さんが英雄だと言われても、民衆は喜ばんさ。もっと華がある人物でないとな))
そう言って、頭を左右に振る。
((なに、戦争が終われば、私もお役御免だ。田舎にでも篭って、余生を楽しませてもらうとするよ))
軽い感じに肩をすくめてみせた。
でも、その戯けた態度とは裏腹に、彼の心からは何かを覚悟する音が聴こえている。
エリーもその音を聴いたのだろう。
((隊長……))と、心配そうに眉根を寄せている。
ギニアスさんは、そんなエリーに軽く笑いかけると、くるりと背を向けてしまう。
((散々、敵も味方も殺して、殺させてきたのだ。今更、自分の命を惜しむなど……))
大きく息を吐いた後、吐き捨てるように言葉を吐いている。
その背中は、ひどく重いものを背負っているように見えた。
((私は、民衆にも手を掛けた。そんな私が……戦争が終わったからと、赦されるべきではない))
彼の震える手が、爪が食い込むほどに握りしめていた。
ふう、と小さく息を吐いて、肩が沈み込む。
((いつからだったか。守るべき民を下民と呼んだのは……人の命を、数で考えるようになったのは))
彼の心から、後悔とも懺悔ともつかない重苦しい音が流れてくる。
”この人も、戦争で苦しんでいたんだ……”
その疲れ切った背中を見て、胸が苦しくなる。
エリーが、堪えきれないように声をあげた。
((それを言うなら私も同じです! たくさんの命に手を掛けて……その命を終わらせてきました……!))
俯いて目に涙を浮かべている。
彼女の心の内が、その険しい表情に見えていた。
ギニアスさんは、背を向けたまま静かに声を落とす。
((君はまだ、民衆に手を掛けていない。だからまだ……元に戻れる))
しっかりと伸びた背中は、全てを背負うような覚悟を見せていた。
((カムリンだったか……少し頼りないが、君の救いになってくれることを願うよ))
そう言うと、靴音を響かせながら歩み去っていく。
((ギニアス隊長! 彼を……カムリンを呼んでくれて、ありがとうございました))
歩み去るその背中に向けて、深く頭を下げたエリー。
エリーの心が伝わってくる。
恋人に会えて、嬉しい気持ち。
近くにいてくれるだけで、安心する気持ち。
けれど、血で汚れた姿を見られたくない。
そんな汚れた自分に対する、絶望に似た嫌悪感……
”だから彼を遠ざけたんだ……”
その不器用で切実な想いに触れて、私の目からぽろぽろと涙が溢れてくる。
”エリー……辛いよね、切ないよね……”
泣けないエリーの代わりに、私が涙を流しているようだった。
ギニアスさんは、エリーの言葉を受けて立ち止まると、ゆっくりと振り返った。
((礼には及ばないさ。これからも頼りにしているよ、エリー……))
その顔は、優しげに微笑んでいた。
けれど、スッと息を吸い込むと、雰囲気が変わった。
((いや――))
背筋を伸ばして、真剣な目をエリーに向けた。
((これからも期待している――《エコーズ・ジールクス》副長))
”――――っ!?”
その名前に、心臓が跳ねた。
”エコーズ……!?”
信じられない……
クリスが言っていた、伝説の調律師。
”エリーが、そうなの……?”
戦場で見た、恐ろしい《殲滅の魔女》。
でも、いま目の前にいるのは、泣きそうな音を抱えたひとりの女性だった。
歩み去るギニアスさんを、静かに見送るエリー。
私は混乱する頭でエリーの横顔を見つめていた――




