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ココロノート~心の音を調律する少女~   作者: 名雲
第3章 王都での日々
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第64話 おぼろげな笑顔

 




 ――――ここは、どこだろう。


 霞む視界の中、ぼんやりとそんなことを考える。

 私は、白とも黒ともつかない世界を、ふわふわと浮かんでいた。

 まるで水の中を漂うように、ゆらゆらと流されていると、視界の片隅に見慣れた村が映った。


 ――――あれは、メロディア村?


 遠くからでもわかる。

 村を出てからそれほど月日は経っていないけれど、懐かしさに胸がキュッと締め付けられた。


 ――――お父さんは元気にしてるかな。


 ひとりで過ごしている父の様子が気にかかる。

 いても立ってもいられず、眼下に見える村に向かって空の中を泳いでいく。

 しばらく泳いでいると、村の様子が見えてきた。

 昼下がりの陽気の中、のんびりと午後の支度をしている村人たちが見える。


 ――――ああ……みんな、元気にしてるみたい。よかった……


 村の中へ降り立つと、小柄な老人が微笑んで迎えてくれた。


「おや、アリアじゃないか。お帰り」


 ――――オットーさん、ただいま。元気そうで良かった。


「わしはいつだって元気だ。さあ、お前の父親が待ってるぞ、早く顔を見せてやれ」


 ――――うん、わかった。それじゃあね、オットーさん!


 久しぶりにお父さんに会えると思うと、足取りも弾んでしまう。

 スキップしながら家路に向かっていると、パン屋のマリアンヌおばさんが話しかけてきた。


「あらアリア、帰ってきてたのね。王都はどうだった?」


 ――――王都……? ああ、そうだった。あのね、すごく大きくてびっくりしたよ!


 マリアンヌおばさんに手を振って、家までの道を駆け出した。

 なんだか、体が軽い。

 周りの家も、村人も、こんなに大きかったっけ?

 ふと、自分の手を見てみると、なんだかちいさく感じる。


 ――――まぁ、いいか!


 また駆け出すと、向こうから赤ちゃんを抱っこした女性が歩いてくる。


「あら、アリア。お父さんが探していたわよ。また、森に行ってたの?」


 ――――マーガレットさん、こんにちは! あ、エミールくんだ!


 腕の中で眠る赤ちゃんのほっぺは、ぷにぷにしてて柔らかそう。

 エミールくんたちにさよならして、また走り出す。


 ――――もう少しで《お母さん》に会える!


 嬉しい気持ちでいっぱいになると、体がふわりと浮き上がった。


 ――――わぁ! わたし……飛んでる!


 手をパタパタと動かして、鳥さんみたいに空の上へと羽ばたいていく。

 さっきまで大きく見えてたお家も、ちっちゃくなっちゃった。


 ――――あ! アリアのお家があった!


 空から見つけた自分のお家へ飛んでいく。

 鳥さんよりも早くて、あっという間にお家に着いちゃった。

 大きな扉を開けて、家の中に飛び込む。


 ――――お母さん、ただいま! あのねあのね! わたし、空を飛んだんだよ!


 家の奥で、お母さんが椅子に座って編み物をしているのが見えた。

 いつも優しくて、わたしの大好きなお母さん。

 編み物の手を止めて、こっちに振り向いてくれる。


 ――――お母さん!


 少しぼやけた顔のお母さん。

 だけど、にっこりと笑ったその笑顔がどんな顔なのか、はっきりとわかる。


「おかえり、アリア」


 ――――ただいま、お母さん!
















 "大好きだよ……"


 そう呟いたところで目を覚ました。

 うっすらと開けた視界に映るのは、あの温かい家ではなくて、果てのない暗闇だった。


 "夢……?"


 気を失った後、また色のない世界に戻ったみたいだ。

 音も無く、風も無い、黒く沈んだ世界。

 ぽっかりと胸に穴が開いたような寂しさを感じながら、夢で見た景色を思い出す。


 "……お母さん"


 久しぶりに夢で会えた。

 目から溢れた涙を拭おうとして、ひどく体がだるいことに気づく。

 身体が鉛みたいに重い。

 ぐったりとその場で横たわっていると、暗闇を漂う光の球が目に入った。


 ”――――っは!?”


 あの光景を思い出す。

 血と泥に濡れた戦場を。

 恐怖、絶望、怨嗟、憤怒。

 いくつもの感情が、助けを求めるように渦巻いていた。

 そして、その中心で美しく音を奏でていたエリー達。


 ”あれが……調律師……”


 思い出した瞬間、体がカタカタと震え出す。

 あの戦場に響いた音色。

 あまりにも美しくて……だからこそ、恐ろしかった。

 胸の奥、心の奥まで侵食してくる旋律。

 優しく包み込むような音なのに、心を切り刻まれるような音楽。


 ”あんなものが、調律師のチカラなんて……!”


 このチカラは、人を救うためのチカラだと思っていた。

 心を繋いで、誰かを支えるためのチカラだって……そう思いたかった。

 なのに、エリー達はそのチカラで人を壊していた。

 あれは、美しい音楽の皮を被った、ただの暴力。

 ただの殺戮兵器だった。


 ”…………”


 震える腕で自分を抱きしめる。

 あの音色から自分を守るように。

 でも、あの時。

 意識を失う寸前の光景を思い出す。

 時間が止まった世界で、エリーの瞳に一瞬だけ感情が見えた気がした。


 ”ごめんなさい……って、言ってた”


 重い体をどうにか持ち上げて、地面に座り直した。

 自分の手を見つめながら、あの瞬間を思い出す。


 ”なんで、私に謝っていたんだろう”


 こちらを見たエリーの瞳には、確かに悲しみの色が滲んでいた。

 膝を抱えて彼女のことを思い出していると、不意に視界の端で、小さな光が揺れた。


 ”――――ひっ!”


 びくりと肩が跳ねる。

 淡く光る球が、ふわふわと漂いながら近づいてきていた。


 ”い、いやっ――!”


 反射的に後ずさった。

 ゆっくりと明滅する球から逃げるように、座ったまま必死に地面を蹴る。


 ――また、あんな目に遭うのは嫌だ……!


 あの戦場に渦巻いていた恨みと絶望感。

 魂を引きずられるような怨嗟の音を思い出す。

 ゾッと背中が粟立って、指先から冷たくなっていく。


 嫌だ……

 もう、あの場所へ行きたくない――!


 ずりずりと後ずさった先に、また別の球が浮かんでいた。


 ”い、嫌――!”


 息を呑んで、慌てて体を捻って後ずさる。

 けれども、その先にも光の球が……


 ”なんで……”


 強張った顔で周囲を見回すけれど、どこを見ても光、光、光。

 まるで満天の星空のように、無数の輝きが暗闇に浮かんでいる。


 どうしたらいいのかわからなくて、呆然としてしまう。

 すると、ひとつの光の球が、ゆっくりと近づいてくるのが見えた。


 ”嫌……来ないで……”


 慌てて立ち上がって、一歩、後ずさる。


 ”来ないで!!”


 音にならない声を置き去りにして逃げ出した。

 脇目も振らずに、よろめきながら。

 自分の足音も、荒い呼吸も聴こえない静寂の中を、必死に走る。


 ”あっ――!”


 足がもつれて、次の瞬間には身体が地面に叩きつけられていた。


 ”うぅ……”


 痛む身体を持ち上げて、すぐに立とうとした時。

 ぽろりと、一筋の涙が頬を伝った。


 ――――もう、限界だった。


 ”う……ぁ……”


 涙が次から次へと溢れてくる。


 ”うわぁぁぁぁぁぁあ!!”


 喉が張り裂けるくらい叫んでいるのに、自分の泣き声さえ聴こえない。


 ”やだ……もうやだよ……帰りたい――!!”


 なんでもいいから、声を聴きたかった。

 誰かに「大丈夫」と、そっと撫でて欲しかった。


 ”アレク……”


 ぽつりと、無意識にこぼれ落ちた名前。

 聴こえないはずなのに、不思議と聴こえたような気がした。


 ”……っ!?"


 頭の中に響いた音に、ハッと目を開ける。


 ”アレク……ヴィヴァーチェさん……アルバートさん……”


 一緒に旅をした仲間たちの顔が浮かぶ。


 ”クリス……”


 ちょっと不器用な、可愛い友達の名前を呟く。


 ”みんなのところに……帰りたい”


 空っぽになった私の胸の奥。

 心の真ん中に、ポッと火が灯ったような気がした。

 弱々しいけれど、確かな熱が揺らめいている。


 ”ここから出るんだ……”


 私の意思が焚き木となって、胸に灯った火が大きくなっていく。


 ”諦めちゃ――駄目だ!”


 ギリっと歯を食いしばりながら、震える腕に力を込めて身体を起こした。

 地面に座り込みながら袖で涙を拭うと、歪んだ視界がはっきりして、少し気持ちも落ち着いてくる。

 小さく息を吐いて顔を上げると、見えた光景に息を飲んだ。


 "っ――――!?"


 視界を覆う無数の光の球たち。

 まるで逃がさないとばかりに、私を取り囲んでいた。

 心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。

 逃げ出したくなる胸の内を、ギュッと抱きしめて自分に言い聞かせた。


 "……取り乱したら駄目。落ち着くのよアリア"


 震える手を強く握りながら、身体を固くして出方を伺った。

 けれど、光の球は周囲を漂うばかりで、こちらに近づいてくる気配がない。


 "…………"


 私の周りを囲いながら、淡く明滅を繰り返している。

 その光景は、まるで私を心配しているみたいに感じられた。


 "………………行くしか、ないよね"


 正直、怖い。

 すごく怖いけれど……それ以外の道なんて、きっと無い。


 そう決意した私は、ゆっくりと周りを見回してみた。

 周囲には、数えきれないほどの光の球が浮かんでいるけれど、どれを選べばいいのか……


 だけど、悩んで立ち止まっていたら前に進まない。

 だったら今、自分に出来ることは――


 "エリー……"


 私は震える唇で、その名前を呼んだ。


 "あなたに何があったのか、これからどうなるのか、私は知りたい。見届けたい"


 私の声は、音にならない。

 けれど、届くと信じて。


 "調律師って、いったい何なの? 恐ろしい力を持つ怪物なの?"


 目の前に浮かぶ光の球は、何も応えない。

 まるで、私の言葉を静かに待っているかのよう。


 "私は、知りたいの……"


 自分の胸に手を当てて、まっすぐに前を見る。


 "困っている人を救えるんだって……そのためのチカラなんだって、信じたいから!"


 この想いを届けるには、言葉では足りない。

 そう感じて、自分の中のハープを爪弾く。

 強く。

 強く強く。


 "だから……教えて欲しい"


 どれだけ鳴らしても、ハープの音色は聴こえない。

 けれども、届くと信じて――


 "あなたが伝えたかったことも全部……受け止めてみせるから!!"


 渾身の思いでハープを鳴らした、その瞬間。

 ピィィン――と、澄んだあの音色が暗闇に響き渡った。


 "…………"


 すると、それを合図にしたみたいに、周りに浮かぶ光の球がゆっくりと回り始めた。

 私を中心に、無数の光が煌めきながら回転している。


 "な、何が……?"


 慌てて周りを見回していると、段々と回転の速度が上がっていく。

 無数の光が渦を描き、うねりを上げるように明滅を繰り返している。


 "…………"


 突然の変化に、また心臓の鼓動が早くなる。

 けれど、想いが届くと信じたんだ。

 だから恐れず、堂々としていようと自分に言い聞かせた。

 そう思っていると、光の渦に変化が起きた。


 ひとつの光の球が、渦から離れて近づいてきた。

 ふわりと浮かびながら、私の目の前で止まった。

 まるで、中に映る景色を、私に見せるように揺れ動いている。


 "これ……"


 そこに映っていたのは、見覚えのある銀髪の女性と、どこかで見た覚えのある男性の姿。


 "エリーと……初めに見た男の人……?"


 石造りの建物の中で、エリーが男の人と向かい合っている。

 どうやら戦場ではないとわかって、ホッと胸を撫で下ろした。


 "……あなたに触れて、この記憶を見ろってこと……かな?"


 目の前の光の球に、確認するように問いかけてみる。

 すると、その通りとでもいうように、一度だけ光が明滅した。


 "そう、わかったよ"


 私は、胸に手を当てながら、大きく深呼吸をする。


 "じゃあ……いくね!"


 そして、目の前に浮かぶ光の球へと、手を伸ばした。


 ――

 ――――

 ――――――


((エリー! 今ならまだ間に合う!))


 切羽詰まった声が、石の壁を反響した。

 石造りの薄暗い室内。

 壁に掛かるロウソクのわずかな灯りが、エリーに詰め寄る男性の横顔を照らしていた。


((俺と一緒に逃げよう!))


 その必死の形相に、思わず息を飲んでしまった。


 "やっぱり……この人、エリーの恋人だ"


 最初の記憶で見た男性。

 確か、名前はカムリンだったはず。

 エリーが旅立つ時にも、親密な様子で笑顔で見送っていた……なのに。


((俺も、《真の調律師》になってから知ったんだ……))


 その顔は苦悩で歪んでいて、強く握りしめた拳が震えている。


((こんな……エリー達が人殺しの道具にされていることを!))


 吐き捨てるように叫んだその声には、怒りと絶望が滲んでいた。


((…………))


 その一方で、エリーは静かに立っていた。

 口角を上げて、微笑んでるようにも見える。

 だけど、その目には何の感情も浮かんでいなかった。


((誰よりも優しかったエリーが、人殺しに加担させられていたなんて……))


 苦痛に歪めた顔のカムリンには、エリーの瞳の色が見えていないようだった。


((今からでも遅くない、俺と一緒に逃げよう!))


 必死に訴える彼からは、エリーへの深い愛情と後悔の音が聴こえてくる。

 なのに、エリーからは何の音も聴こえない。


((この国を出て、隣国まで行くんだ!))


 エリーは色のない瞳と、音のない心でカムリンを見つめている。

 その姿は、あの戦場で見た姿のようで――


((さあ、最低限の荷物だけまとめて、すぐに出発しよう!))


 そう言って、カムリンはエリーの手を掴んで、自分の方へと引き寄せようとした、その瞬間。

 初めて、エリーの瞳に感情が宿った。


 "――――!"


 それは、ゾッとするほど暗い――嫌悪。


 エリーは乱暴にカムリンの手を振り払うと、カムリンを睨みつけた。

 その双眸には、凍てつくような光を湛えていた。


((――穢らわしい))


 形の良い唇から、ゾッとするような温度の言葉が響く。


((気安く……私に触れないで))

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