第60話 何処かの光景
目の前にある光の球へ、躊躇いながら手をそっと伸ばす。
震える指先の向こうには、またどこかの光景と男女の姿。
"さっきとは違う……?"
近づけた手を止めて、光の球に映る光景に目を凝らす。
"どこだろう、ここ?"
小さな球の中に閉じ込められた景色は、先ほどのよう室内ではなくて、外の景色に見える。
その中で動いている人物の様子を見てみると――
"――えっ! これ、さっきの女性だよね? どうしてこっちにもいるの……"
そこには、さっき見た光の球にいたエリーと呼ばれていた女性の姿。
わからない……
光の球も、音の消えたこの世界も……
一歩、また一歩と後ずさっていると、別の光の球が横目に映った。
びくりと肩が震えて顔を向けると、別の光の球がふわふわと浮かんでいる。
"――っ、こっちにも!"
また別の場所で誰かと話している《エリー》の姿。
"もしかして、他の球の中も――?"
私は震える指先を握りしめながら、辺りを見回すと、周囲には数え切れないほどの光の球がふわふわと浮かんでいる。
もしかしたら、この光の球ひとつひとつに《エリー》が入っているんじゃ――
"なに……何なの、これ。私、どうしたらいいの……"
理解出来ない光景に、喉の奥がひりつく。
触れればさっきみたいに知らない場所が出てきそうで、光の球から身を引いた。
無数に浮かぶ球は暗闇の中で光を放ち、幻想的な光景を見せている。
相変わらず聴こえてくる《ピィィン》という澄んだ音も重なって、その光景は、いっそ畏れを感じるほどに美しい。
"――はぁ"
吐いたため息は、相変わらず聞こえない。
この幻想的で、不気味な世界で、私は立ち尽くしてしまった。
――ピィィン!
また、聴こえた。
あっちの奥の方から聴こえてくる。
"立ってるだけじゃ駄目だ、何かしないと。でも――"
進むべきか、光の球に触れるべきか。
すぐ横ある球に手を伸ばしては、触れる手前で手が止まる。
"さっきは大丈夫だったけど、今度は私がこの球の中に閉じ込められるかもしれない……"
わからないことへの恐怖が、触れることを躊躇わせる。
――怖い、けど。
"私は戻りたい。アレク達のもとに――!"
大きく息を吸い込んで、ギュッと目を瞑った。
"――っ!"
目の前にあった光の球に向けて、勢いよく手を突き出した。
ピィィン。と、澄んだ音色が遠くから聴こえてくる。
――
――――
――――――
((エリー、おめでとう!))
((凄いわ!さすがエリーね!))
突然、湧き上がる歓声が頭の中に響いた。
手を突き出した姿勢のまま、恐る恐る目を開くと、周囲は暗闇から別の景色へと、ガラリと変わっていた。
――ああ、音がある。
さっきの場所では何も聴こえなかったのに。
ここでは、こんなにもはっきりと聴こえてくる。
((ありがとう、頑張れたのはみんなのおかげだよ!))
聞き覚えのある声に振り向くと、そこにはドレス姿のエリーがいた。
小型のハープを抱えながら、満面の笑みで周囲の人たちに手を振り返している。
"やっぱり、エリーだ。さっき男の人と話してたエリーそのままだ……"
エリーが大きく手を振ると、また歓声が湧き上がった。周囲の熱気に汗を滲ませながら声を張り上げる人達を、涼しげな顔で眺めている。
どうやらここは、豪華な装飾が施された大きなホールの中のようだ。
辺境伯様の城とも違う、教会の建物とも違う石造りの部屋は、白い壁が高く伸びて、遥か上にステンドグラスが並んでいる。
色とりどりのガラスが陽の光を透かす様は、ただ美しかった。
美しい光景に思わず息を飲んでいると、エリーにひとりの男性が近づくのが見えた。
((エリー……。しばらく離れ離れになるけど、ここから君の活躍を祈ってるよ))
((ふふっ、あなたもすぐに追いかけてきてくれるでしょう? ねぇ、カムリン?))
それは、さっき見た光の球にいた男性だった。
心配そうな顔でエリーを見つめるカムリンと呼ばれた男性は、イタズラっぽく首を傾げて見上げるエリーに苦笑いしながら頷いた。
((ああ、すぐに追いかけるさ))
カムリンが拳を握りしめて、力強い目をエリーに向けて言った。
((次の発表で、必ず俺も『調律師』になってみせる!))
"えっ――調律師!?"
思いがけない言葉に、息を呑んだ。
今、間違いなく『調律師』と言っていた。
((約束よ? 楽しみに待ってるわ。その時には調律師の先輩として、色々教えてあげるわね))
エリーはイタズラっぽい表情でカムリンをからかっている。
"エリーが調律師になったってこと? なろうとしてなれるものなの……?"
突然チカラに目覚めた私は、こんな感じに祝福なんてされてはいない。
周りからは((この街の希望の星だ))なんて言葉も聴こえてくる。
"ここだと、調律師は皆に尊敬されて、祝福される存在なんだ……"
自分とはまるで違う。
人間じゃないかもなんて、そんな恐怖を感じることなんて無いんだろう。
"――いいな"
自分でも知らないうちに、音にならない言葉が溢れ出た。
目の前では、カムリンとの別れの抱擁を終わらせたエリーが、彼の背後にいる人達に向けて快活な声を張り上げた。
((それじゃあ、みんな! 行ってきます!))
また沸き起こる歓声を受けて、エリーが扉の外へ――
ふっと、景色が溶けて、周囲が暗闇に飲み込まれた。
先程の光景の残滓が、僅かに光の粒となって舞い散り、体の中にはまだ歓声の余韻が残っている。
相変わらずふわふわと浮かぶ光の球。
"…………"
私は口元に手を当てて、いま見た光景を思い出す。
今のは、エリーが『調律師』になって、皆に祝福されながら何処かへ旅立った光景だ。
『調律師』という言葉が、あまりにも自然に使われていた。
それに、カムリンは調律師になってみせるとも。
まるで、誰もが憧れる職業みたいに。
それと、なんというか……あの光景の中にいた人達に感じる違和感。
エリーもそうだし、周りにいた人達もそうだった。
"なんだろう。もう少しで出てきそうなんだけど……"
頭に手を当てて考えていると、すぐ横にフワリと漂ってきた光の球。
私が手を伸ばす前に、肘の辺りに飛んできた。
そう思った瞬間、また別の景色が広がった。
"っ!? 手で触れなくても、球が弾けるんだねっ!"
予期せぬ事態に心臓が強く脈打つ。
少し後退りながら周囲を見渡すと、今度は外の景色。それも、鬱蒼と草木が生い茂った林の中だった。
少し離れた場所にある獣道を、目深にフードを被った人物が周囲を警戒しながら歩いている。
顔をすっぽりと隠しているから顔がわからないけれど、シルエットからして女性だろう。
こんな林の中を、女性ひとりで歩くなんて……それに、フードを被っててもなんとなくわかる。
この人、エリーだ。
野盗に見つかれば格好の餌食だろうし、熊や狼に襲われる危険だってある。
遠目に見える限りでは、腰に大振りのナイフを身につけているだけみたいだ。
たくさんの人達に見送られて、幸せに満ちた顔をしていたのに……どうしたんだろう?
私は胸の前でギュッと手を握ると、エリーに向かって駆け出した。
草も樹も、私に触れることはないから、道の悪さなんて関係ない。
一直線に駆けて行くと、あっという間に追いついた。
前に回り込んで、少し後ろめたさを感じつつも、下からフードの中を覗き込む。
"間違いない。やっぱりエリーだ……"
余裕のない表情だけど、美しさは損なわれていない。ただ、少しやつれたようにもみえる。
そして、視線を下げて、エリーの服を見る。
フードの下から覗く布地には、特徴的な紋様が縫い込まれているのが見える。
"やっぱり……《草の紋様》だ"
村の教会で習ったやつだ。
何百年も前の古い時代に使われていた刺繍の意匠。
特徴的な蔦の柄と、生い茂る草のモチーフがエリーの服にあしらわれている。
"シスターに教わった通りだ。すごく古い時代によく使われていた図柄に間違いない"
村の教会で刺繍の教師もしていたシスターに教えてもらっていた。
この国が出来るよりも前、何百年も昔の人達がよく使っていた紋様が目の前に。
――間違いない。
これは、今じゃない。
"これ……ずっとずっと昔の記憶だ"
周囲を警戒しながら歩くエリーを見る。
こんな林の中だというのに、何故かハープを小脇に抱えている。
"さっきも持っていたよね。エリーは吟遊詩人もしているのかな……"
焦りが見える顔には汗がにじんで、息も少し上がってきてる。
どの光の球にもエリーがいた。
あれが誰かの記憶だというなら――
"これ、全部エリーの記憶だ"
自然と足が止まり、エリーを見送る。
「何故?」という言葉が頭の中を占めていて、動けないでいた。
すると、前を歩くエリーが足を止めた。
"どうしたんだろう"
棒立ちのままエリーを眺めていると、ゆっくりとこちらへと振り返っている。
――目が合った。
気がした、なんてレベルじゃない。エリーの瞳は、真っ直ぐに私の目を見ていた。
息を呑んで固まる私に向けて、彼女はふっと微笑んだ。
少し苦しそうな、けれど愛おしそうに目を細めると、途切れ途切れの言葉が私の頭に響いてきた。
((お願い。私の――を――――て))
彼女の唇が最後になんと動いたのか。
それを確かめる前に、また景色が白く弾けた。
光が舞い散り、また辺りは元の暗闇に包まれた中で、私は呆然しながら自分の両手を見下ろしていた。
最後、エリーは間違いなく私に向けて話していた。
ただの記憶のはずなのに、話しかけてきた。
しばらく自分の手を見つめた後、ギュッと両手を握りしめる。
"エリー……貴女は、私に何を見せようとしてるの……?"
最後のあの表情が、脳裏に焼き付いている。
途切れて聴き取れなかった言葉は、何かを乞うような、願うような響きだった。
どうしてだろう。
初めて見たはずなのに、懐かしい気持ちになる。
エリーのその先を見届けたい。
彼女のお願いを叶えたい。
そんな気持ちが湧き上がってくる。
"もっと貴女の思い出を見せてもらうね、エリー"
私は胸の前でギュッと拳を握ると、周りに漂う光の球に目を向けた。




