第57話 測定不能
クリスの指が『アニマ』のスイッチに触れる――
一瞬、『アニマ』が大きく震えたと思うと、チューバのような低い音が箱の中から響いてきた。
細かく振動している『アニマ』につながる黒い筒。
それを胸に当てながらクリスの様子を伺う。
「4…3…2………今!」
ぶしゅっ!と箱から飛び出ている筒から、勢いよく蒸気が噴き出した。
筒の近くに居たヴィヴァーチェさんが「あちちっ!」と驚いて飛び上がっている。
「危ないからどいて! もっと蒸気が噴き出すわよ!」
手を払う仕草で、ヴィヴァーチェさんに下がるように指示するクリス。
ヴィヴァーチェさんは、首を竦めながらゆっくりとアルバートさんの後ろへ避難している。
「おい! これは大丈夫なのか!? 爆発しないだろうな!」
蒸気が噴き出す甲高い音が響く中、アレクが怒鳴っている。
「大丈夫よ! 耐久テストは問題ない。それに、今まで何度も起動しているから」
クリスも負けじと怒鳴り返しているけど、室内は蒸気の熱で蒸し暑くなってきている。
『アニマ』の側にいるクリスはもう額に汗を流しているけれど、視線はメーターに注がれて気にした様子もない。
「よし、安定してきたわ。アリア、受信筒は胸に当ててくれてる?」
汗を流したクリスが私に顔を向けて聞いてくる。
私は黒い筒を胸に当てたまま、ハンカチを取り出してクリスの汗を拭ってあげる。
「――あ、ありがと。優しいわね、アリアって。さて、そろそろ受信が始まるわ……」
フッと微笑んだ顔を引き締めて、真鍮のメーターに真剣な眼差しを向けている。
「……」
誰もが息を潜めてメーターに集中する――
すると、僅かに針が動いた!
「やったわ! もう針が「1」を越えそうよ! すごい……凄いわアリア!」
クリスが頬を紅潮させて、かじりつくようにメーターを見ている。
私もメーターを確認すると、確かにメーターの針は「1」の辺りで揺れている。
「さっき、一般人だと針はほとんど動かないって……」
「――そうだね。それが確かなら、アリアは本物……ってことになるのかな?」
ゴクリと喉を鳴らすヴィヴァーチェさんと、冷静な瞳のアルバートさん。
アレクはいつもの様子で落ち着いているみたい。
「アリア? 今って、貴女の調律師の力……どのくらい出しているの?」
「え? いや、今は何もしていない……よ?」
調律のことなら、今は何もしていない。
それに、ハープは切れたままだから前みたいなチカラは出せないかも……
「な、何もしてない!? 嘘でしょ……それでこの数値なの……?」
「今はハープの弦が切れちゃってて、あまりチカラを出せないけれど……やってみた方がいい?」
驚いて目を見開いているクリスに、チカラを出してみようかと提案すると……
「やって! お願い! これは凄いことだわ……魂魄振動の数値をもう一度計算し直す必要があるかしら? それとも、指数的に振動が増大していると考えるべき――?」
真鍮のメーターを凝視しながらブツブツと呟くクリス。
――じゃあ、少しずつチカラを出してみようかな。
そう思って、ハープの弦をつま弾いていく。
切れた弦に触れないように慎重に音色を奏でていくと――音が『アニマ』に吸い込まれるような感覚を覚えた。
――なんだろう、この感覚……
私の音が吸い取られて――?
――カチ、リ。と、またあの音が聞こえてきた。
「な……なに、この数値――!?」
クリスの息を呑む声が聞こえた。
大きく開いた目でメーターに齧りつくようにしている。
クリスの息を呑む声に釣られてメーターを見ると、針は「3」を軽々と通り越して、メーターの右端に激しく針が打ち付けられていた。
カチカチカチッ!と、今にも針が折れそうなほど異常な震え方をしている。
「なんてこと! こんな……凄いわ! こんな出力ありえない!」
彼女の目は、狂気を孕んだように見開かれている。
傍らにあった羊皮紙を乱暴に掴むと、がりがりと筆で書き殴っていく。
「明らかに理論値を越えている――!」
クリスがそう叫びながら口元を歪めているのを見ていると……
――ザザッと、砂を踏みつけるような音が、頭の中に響いてきた。
「なに……? この音」
思わず空いている手を耳に当てる。
鳴り止まない音に不安を掻き立てられて、背中に冷たい気配が這い上がってくる。
混乱する頭の中で、さっきのアレクの言葉――「違和感があったら中止しろ」というのを思い出した。
クリスに声をかけようとした、その瞬間――
ビィィッ! と噴き出す蒸気。
ヴィヴァーチェさんが「うわっ!?」と驚いて、飛び上がっている。
『アニマ』から噴き出す蒸気が激しさを増して、どんどんと室内が暑くなってくる。
「だ、大丈夫なんですか?」
「……これは、ちょっと嫌な予感がするよ――」
ヴィヴァーチェさんとアルバートさんが、『アニマ』の様子を見て顔色を悪くしている。
明らかに『アニマ』の様子がおかしい気がするけれど、クリスは書き出される記録しか目に入ってないみたいで――
「クリス、一度止め――」
ビィィィィ――!
吹き出す蒸気の音で、私の言葉がかき消されてしまった。
「おい! 明らかに異常事態だろう! 早くそいつを止めろ!!」
アレクが私の前に出てきてクリスの腕を掴んだけれど、クリスはその腕を払い除けた。
「邪魔しないで! 今すごくいいところなのよ……」
クリスは勢いよくアレクを振り返りながら叫び声をあげた後、うわごとのようにブツブツと呟きながら、また『アニマ』に釘付けになっている。
「凄い……凄いわコレ……これが本物の調律師なのね――」
その様子を見たアレクは左右に首を振った後、私の腕を掴んだ。
「おいアリア、ここは危険だ。実験を中断して、ここから離れるぞ!」
そう言って、私の腕をぐいっと引っ張ろうとするけれど、私は迷いながらクリスを見た。
「けど、クリスを1人で置いておけない……クリス! 実験を中止しよう! また後でやり直そう!」
クリスに向かって大声を出すと、ふとクリスがこっちを見た。
私と目が合うと、高速で打ち鳴らされていたピアノ旋律が、少し落ち着いたメロディに変わっていく。
ギラギラと光っていた瞳も、正気を取り戻したように、ふっと光が落ち着いた。
「アリア……でも――もう少し、もう少しだけ――!」
「ふざけるな! 何かあったらどうする! 放っておいて行くぞ、アリア!」
2人の言い合いに、反射的にハープの音を重ねようとしてしまった。
――その瞬間。
私の紡いだ音が、勢いよく引きずり込まれる感覚。
ズズッと『アニマ』へとハープの旋律が吸い込まれていく。
――ザザザザザッ!!
「――っ!? あたま……が……」
痛い!痛い!痛い――!
頭が割れそう――
砂を踏むような音が、爆発的に頭の中で大きくなっていく。
反射的に頭を抱えてうずくまると、クリスとアレクの驚いた声が聞こえてきた。
「アリア!? なん――と、――はな――」
「――――じょう――そ、なに――!」
砂の音が邪魔して、2人の声が途切れ途切れにしか聞こえない。
耳鳴りと頭痛が激しくなってきて、目に涙が溢れてくるけれど、拭う余裕もなくて――
激しい痛みに目の前がチカチカと火花が飛んでいる。
食いしばった歯の間から、呻き声が勝手に漏れていく。
思わずアレクの方へ震える手を伸ばそうとした、その時――
砂の音が、もはや轟音となって頭の中で暴れ出した。
ズキン!とさらに強い痛みが襲ってきて、痛みで叫び声を上げてしまう。
「っあぁぁぁあぁぁ!!」
――駄目……耐えられない……!
もう限界――っ!!
――そう思った直後。
突然、音が引いた。
頭に響いていた砂の音が、消えてなくなった。
「――えっ?」
頭の痛みも、何事も無かったようにすうっと引いていく。
助かった……大きく息を吐いて、強く閉じていたまぶたを開くと――
全てが真っ白だった。
"なに……コレ――?"
目の前にいたアレクも、クリスもいない。
クリスの研究室にいたはずなのに、周りには何も無かった。
目の前には、どこまでも広がる"白"の空間。
"うそ……"
全てが真っ白な世界で、ひとりで立ち尽くしていた。




