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ココロ・ノート ~死にかけたら「心の音」が聴こえるようになったので、不器用な騎士たちと世界を調律して回ります!~  作者: 名雲
第3章 王都での日々

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第53話 アニマの針

「魂魄……振動領域……測定器?」


 目の前にある奇妙な箱の名前を、オウム返しで呟く。


「そう。別名、アニマ・ヴァリアブル。この子のことは『アニマ』って呼んであげて!」


 そう宣言すると、ブライトさんは奇妙な箱に取り付けられた真鍮製の時計みたいなものを、興奮した様子でバンバンと叩いた。



「このメーターの針が見える? これが人の魂魄振動領域を測定するメーターなのよ」


 煤けたガラス越しに覗く細い針が、数字の0を指して止まっている。



「今までの実験だと、微細な振れしか観測できなかったけど……ふふっ、どうなるのかしら? 本物の調律師の振動領域がどの程度なのか、今から結果が楽しみだわ!」


 うっとりとそれを眺めていたかと思うと、次の瞬間、こちらに勢いよく振り向いた。



「魂魄振動っていうのはね、すべての生命が持ってる"揺らぎ"のことよ!」


 頬を上気させて、爛々と輝いた目。

 興奮を抑えられないように、両手を震わせながら怒涛の口撃がはじまった――


 

「人間の身体は常に振動してるの。心臓の鼓動、筋肉の収縮、神経を走る生体電流―― その"揺らぎ"が全部重なって、その人だけの"固有の振動"を形成するわけ。わかる?」


「あ、よくわからな――」


「――でね、この振動は単なる物理的な現象じゃないの! 喜怒哀楽によって周波数が変調して、空間に波紋のように伝播する――」


 必死に付いて行こうとするも、彼女はこちらを見ているようで見ていない。

 鍵盤を叩く音もどんどん早く、強くなっていく――



「固有の振動は感情で変わるのよ!  つまり人は誰しも見えない音叉みたいなもの。それが合うと共鳴する!  だから感情は伝わるのよ――理論上はね!」


「ええと……音叉が共鳴――?」


「ちょっと待ってくれ、全然話が——」


 ヴィヴァーチェさん達の困惑を完全に遮って、ブライトさんの言葉はさらに加速していく。

 超高速で鍵盤を叩き続けるような、怒涛のピアノの旋律が鳴り響く。



「そして調律師――つまり貴女のことだけど、貴女のその能力は魔法でも神の奇跡でもないわ! 貴女の聴覚、あるいは別の未知の感覚器官かしら? ――これは解剖しないとわからないけど……」


「か、解剖――!?」


 ゾッとする言葉に思わず口に出てしまうけど、今の彼女の耳には届かない。



「貴女はそれを"感じてる"だけじゃない。外から揺らぎに干渉していた!」


 興奮で声が弾んだかと思ったら、体を丸めてぶつぶつと呟きだす――目まぐるしく変わる感情に眩暈がしそう……



「さっきの()()――そう、()()は単なる共鳴なんかじゃない。もっと直接的な……」


 そこで、ふっと動きが止まった。

 指先が空中でぴたりと静止する。



「……違うわ」


 突然、地を這うように低く吐き出される声。

 ゆっくりとこちらに向き直った彼女が、熱の消えた声で質問を投げかけてくる。



「――ねぇ、貴女は他人の振動をどう捉えているの? 単純に振動? 声? それとも――音で聴こえる?」


 スッと、冷徹なほど静かな瞳が私を見据える。

 その圧に、思わず喉を鳴らしながら、なんとか声を絞り出す。



「あ……あの、楽器の音に聴こえて……ます」


「楽器の――――音!?」


 目を見開いて口を開けたまま、ふらふらと後ずさるブライトさん。

 危ない――! と思った時には、床に散らばる器具に足を引っかけて盛大に転んでいた。



「だ、大丈夫ですか?」


 助け起こそうと近寄っていくと、彼女の方から地を這うような低音のピアノが、高速で打ち鳴らされる音が聴こえてくる――

 その音に、思わずゾッとして足を止めると、突然、ブライトさんが勢いよく立ち上がった。



「そうか……そうだったんだ……やっと繋がった」


 熱が引いたように無機質な声。

 でも、彼女の中からはいくつものピアノの音が、オーケストラのクライマックスのように溢れ出してきた。



「貴女は"聴いてる"んじゃない――脳が"処理してる"のよ」


 口調は静かに――でも、心の音は盛大な音を立てながら、ブライトさんが言葉を紡ぐ。



「貴女の未知の感覚器官が受信した見えない揺らぎを、脳が無理やり"音"に変換してる――」


 少しずつ言葉に熱が乗っていく。

 冷徹だった瞳も、次第にギラギラと光り出す。



「だから、感情が音楽として聴こえる。――あぁ、やっぱりそうだわ。 理論が繋がった!」


 パンッと手を叩いて勢いよく振り返ると、『アニマ』と呼んでいた箱に飛びついた。



「なら測れる!  アニマの波形を数値に落とせば、貴女が何をしてるのか全部見えるわ!」


 ガチャガチャと装置をいじり始めるブライトさん。

 一心不乱に何かの作業をしているけれど、ガラクタをいじっていいる様にしか見えない……



「ちょっと! 少しはわかるように説明してくださいよ!?」


 限界を迎えたヴィヴァーチェさんが、頭を抱えて大きな声を上げた。

 隣では、目を回しているアレクと、リュートを抱えて遠い目をしているアルバートさん。


 三人の心の音——トランペットとチェロとリュートが、複雑に絡み合って不協和音を奏でていた。

 私は必死に理解しようとしたけれど、あまりの早口と専門用語の連発についていけない……


 ブライトさんは周りの混乱などまるで気にせず、キラキラと目を輝かせたまま続ける。




「共鳴か干渉か、それとも全く別の現象か——波形を取れば一発でわかる!」


「ちょ、ちょっと待って——」


「待たない!」


 即答だった。



「こういうのはね、思いついた瞬間にやるのが一番正確なの!」


 ずいっと顔を近づけてくる。



「ねえ! 貴女が"音"を聴くときって、どこで聴いてるの? 耳? 頭の中? それとも——」


「た、多分、頭の中だと……」


「いいわいいわ、それも含めて全部調べる!」


 くるりと背を向け、椅子をポンポンと叩く。



「さあ、座って! まずは基礎データから取っていきましょう!」


 振り返った顔は、子供みたいに無邪気な笑顔。

 その心の音は、まるでこの世界の全てを知りたいと願うように、貪欲に鳴り続けていた。



「さあさあ、早く早く! この筒を胸に当ててくれる? 心臓に近い方がデータが取りやすいの。そこで座ってるだけでいいから!」


 ズイッと黒い筒を近づけられて思わず体がのけ反らせると、アレクがブライトさんの腕を掴んで止めた。



「いい加減にしろ! 人の話を聞きもせずに……何かあったらどうする!」


 ブライトさんの勢いに負けそうだったけど、アレクが止めてくれてホッとする。



「何するのよ、邪魔……しないで! 今、いいところなんだか――ら!」


 アレクの腕を振りほどこうとするブライトさんだけど、アレクの腕はびくともしない。



「貴女の知識と探求心は尊敬しますけど、ここまで一方的なのは感心しませんね」


「全くだ。アリアはキミの玩具じゃないんだよ? 無理やりに迫るのは好きじゃないね」


 ヴィヴァーチェさんとアルバートさんも、私を守るように横に立ってくれる。



「何よ……! 『調律師』のことを知りたくてここに来たんでしょう? なら、この実験は絶対に必要なことよ」


 アレクの腕を振りほどいて、私の前に立つ三人を睨みつけるブライトさん。

 一方のアレクは、静かに怒りを湛えながら、淡々と言葉を紡いでいく。



「専門家が言うなら、その実験とやらは必要なことなんだろうな……だが――」


 一歩前に詰め寄って、ブライトさんを見下ろすアレク。


 

「アリア本人の意思を無視して強引に進めるなら、俺は断固として阻止する。それは、アリアの騎士として見過ごすことはできない」


 その瞳に厳然とした意志を乗せて、前に立ちはだかるアレク。



「――っ! 貴方にはわからないでしょうけど、こういうのはタイミングが――」


 そして私は、まだアレクに詰め寄るブライトさん言葉を――



「――私は、知りたいです」


 と、静かに遮った。


 シン……と静まり返る室内。

 私は、ブライトさんを正面から見てから、スッと息を吸い込んだ。



「正直、実験は怖いです」


 私は、彼女に素直な気持ちを伝える。

 この人の真剣な想いは、さっきからずっと伝わっているから。



「ですから……もう一度、わたしに教えてもらえますか? ――あなたの研究のことを」


 1本切れたままのハープに言葉を乗せて、ブライトさんに届ける。


 彼女は、少し驚いたような顔をした後、今までと打って変わっておずおずと上目遣いで聞いてくる。



「……いいの?」


「はい、私もたくさん知りたいんです。難しいことはすぐには無理ですけど……頑張って勉強します」


 そう言って微笑むと、彼女も弾けるような笑顔を返してくれた。



「わかったわ! これからよろしくね、アリア!」


 早くて複雑なピアノの音は変わらないけれど、その中にも穏やかな音色が混じっているのがわかる。


 ――これなら上手くやっていけそうかも。

 そう思っていると、ススッと私のそばに来たブライトさん。



「あのね――ワタシの研究を知りたいって言ってくれて嬉しかった……それと、さっきはゴメンね?」


 はにかみながらそう言ってくれたブライトさん。

 彼女から、少し不器用で――でも純粋で温かい木琴の音が聴こえてくる。


 その中には、彼女が抱えている孤独の音色も混じっていて――



「ワタシ、夢中になると周りが見えなくなっちゃうみたいで……でも、リタルダントおじさま以外で、こんな風に言ってくれる人は、初めてだったから……」


 そんな可愛い彼女に、私も「どういたしまして」と笑顔で応えた。






 そんな笑い合う私たちの横で――


 カチ、リ……


 誰も触れていないはずの『アニマ』の針が大きく跳ねていたことを、私はまだ知らなかった――



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