表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/16

5話 密林 後編

 現実なら死を予感する状況。というか、幻にしたってこのままだとどうにもならないことは明らかだった。隣の晃介くんも脂汗をダラダラと垂らしている。


 幸い死ぬことはないから、思い切って動き回った方がまだ解決の糸口が見つかるのではないかということで、私たち二人はその場から歩き出した。


 上から鳥の鳴き声が聞こえてくるほかには、私たちふたりが草を踏みしめる音しか響かない。静かなのは良かったが、蒸し暑く虫も飛んでいたので風情のかけらもない。仕事でなけりゃ絶対来ないと思う、こんなところ。

「ねえ!紗良さん。あそこに人がいますよ!」

彼はずっと向こうを指さした。

「え、ホント?麗奈さん?」

「いや、どう見ても違うんですけど……誰なんでしょう、あれ。」

彼が指さした先には、男の子が立っていた。


 しかし彼の格好は奇怪だった。上裸、しかも下半身は下半身で腰巻き一枚巻いているだけだった。肌はかなり日に焼けていて黒光りしていた。

「彼、原住民か何かでしょうかね?」

おそらくはそうだと思う。痩せてはいるものの筋肉質で、何より目立ったのは右手に掴んでいた弓矢だ。木と石で作られた簡素なものだったが、実用的というか、殺す気満々の雰囲気だった。


 彼は慌てているようだった。脇目も振らず全力で走り、何度もこけそうになっていた。

「ねえ、とりあえず他に当てがないわけですし、彼を追いかけてみません。」

麗奈さんとは関係ない気がしたが、確かに当てがなかったので晃介くんの言う通りにした。


 彼はさすがここの住民というか、やたらと走るのが速かったのでついていくのには苦労した。木々の間を抜いつつ丸太を乗り越え迷いなく行き続けた。


 私も晃介くんも息が絶え絶えになりもうついていくのが無理な気がしてきたあたりでようやく彼は止まった。それにつれて私たちも立ち止まったのだが、しばらくは息苦しくて顔が上げられなかった。


 彼が歩いて行った先は木がなく少しひらけていた。木の建物がいくつも立ち並んでいたのですぐにそこが集落であることが分かった。少年が集落の中に入ったところの建物に近づくと別の男が中から出てきた。少年は男を見ると

「○×¥°%・+<・☆♪→$€」

何を言っているのかが全く分からなかった。つい忘れているが当たり前の話だ。ここは日本ではないのだから。

「晃介くん、ゴーグルの左にあるボタンを押してちょうだい。」

と、指示を出して私も自分の言葉の通りにした。この左のボタン。耳に入る外国語を自動で翻訳してくれる機能があるのだ。最近はスマートフォンなんかでそういう機能もついているらしいが、機能が段違いだ。どう言う仕組みか分からないけど、このゴーグルは言葉が発せられたのとほぼ同時に訳し、それでいて細かなニュアンスまできっちり抑えてあるという。


 唯一の不安は、ジャングルの先住民の言葉がマイナーすぎて登録されていないのではないかというところだったが、さすがは事務所の機械というべきか、全く問題なく訳し始めてくれた。

「さっきの異国人の女、服まで全部売っちまえば1ヶ月は困らず暮らせそうだぜ。」

問題あったわ。かなり問題あったわ。


 少年はナタを持ち出した。粗末なナタだったが、それがまた残虐な風情を匂わせていた。彼が麗奈さんを一度見かけていて、それを今度は強盗しようとしていることは勿論同じゴーグルをつけていた晃介くんにも伝わった。

「ちょっとちょっと!ヤバいすよ。彼らに法律なんて概念あるわけないですから。」


 ここは幻の中だから死んだとしても現実に立ち戻るだけ。だけど、死ぬという体験そのものがかなりのトラウマだ。それも殺されるとなれば。


 少年はナタを肩にかけて意気揚々と再び集落を飛び出した。彼にはもう麗奈さんの位置が分かっているのだろう。

「追いかけましょう!紗良さん。」

「当たり前でしょう!」

私たちは少年をまた追いかけた。


 少年は全く疲れをみせず、また迷わず、走り続けた。どうして、こう景色が変わらないジャングルの中を迷わずに駆け回ることができるのか、不思議でならない。少年の足は衰えず、晃介くんも足が速いので私だけが取り残されていった。


 すっかり前の二人に置いてけぼりにされてしまった。ここから追いかけてもしょうがないので、とりあえずは晃介くんに任せてることにした。


 だからといって私にすることなんてないから困ってしまった。ともかくこんな蒸し暑いジャングルで突っ立っているのは辛いから、周りを見回した。


 ちょうど木の影になっているところに、洞穴を見つけた。ここなら涼しいだろうと思い、我ながら軽率にも飛び込んでしまった。


 中は期待通りひんやりとしていた。薄暗く不気味ではあったが、下にある水溜りが光に反射して横壁に優しく波を立てていたのはとても綺麗だった。


 穴自体は小さかったが、奥は案外深かった。足場もしっかりしていて、女の弱脚でもつまづくことなく歩くことができた。一番ありがたかったのは、虫がいなかったことだ。あの嫌な羽音を聞かずに済むというだけで心が休まった。


 最奥についたところで、私は驚くべきものを見た。麗奈さんがいたのだ。彼女はレジャー用の服を着ていたが、上着を脱ぎ捨ててシャツいちまいになっており、脇にはリュックサックも投げ捨ててあった。


 あの少年、結局麗奈さんの居場所なんて分かっていなかったんじゃないか。あんなに自信満々だったのに。ついていった晃介くんがちょっと気の毒だ。


 麗奈さんはどうやら休憩しているようだった。汗が首筋から何筋も流れていて、その分を補給するように見たことないようなメーカーのスポーツドリンクを凄い勢いで飲んでいた。ペットボトルはたちまち空になってしまい、麗奈さんは名残惜しそうに飲み口を覗いた。


 「ああ、もう行かなくちゃ」と独り言をこぼして麗奈さんは立ちあがった。彼女は上着を再び着ることはなく、リュックにつめて背負った。


 麗奈さんは洞窟から出ても少年のようにマラソンしだすようなことはなかった。彼女は丸太を避けつつあまり慣れていない足取りで歩くので、むしろ遅いくらいだ。ついていくのに難はなかった。


 そんな彼女だったが、十数分歩いたところで急に色めきたった。

「ああ、あれだ!」

そう叫んで一心に駆け出したのだ。私は大いに驚いたけれど、麗奈さんを追いかけた。


 逆光で分かりにくかったが、麗奈さんが走っていく先には小さな影がひらひら舞っていた。麗奈さんは素早く網を抜き取り影目掛けて振り回し始めた。



 と、そのとき、私たちの右側から猛烈な勢いで迫ってくる人間二人。少年と晃介くんだ。全く、勘が鋭いというか、間が悪いというか。


 少年は麗奈さんの姿を見つけたらしく、ナタを握り直した。まずいどうにかしなければと思いつつも、何も思いつかない。


 もはやここまでか。追い剥ぎされるが先か、殺されるが先か。ともかくここで幻は強制終了してしまうことを覚悟したその瞬間。思いがけないことが起きた。


 少年が足を滑らせて窪みにはまったのである。さらに不幸なことに、衝撃で滑った丸太が少年の上に落ちて、彼の身動きを完全に封じてしまった。


 少年は痛みと驚きに叫んだ。

「くそ!こんなときにどうして!くそが!」

麗奈さんは叫ぶ少年にすぐ気がつくと飛んでいる蛾と少年を交互に見出した。


 ここが選択の岐路なのだろう。麗奈さんはこの少年よりも蛾を優先してしまったことを後悔している。その少年が麗奈さん自身を害そうとしているとは知らずに。


 知らない麗奈さんは今度こそはと少年を助けようとした。非力ながらに懸命に丸太をどかそうとした。

「おい!なにしてるんだ。馬鹿じゃないのかこの女。」

少年は叫ぶがもちろん麗奈さんには通じない。

「こら、じっとしないと危ないでしょ!」

と必死だ。


 ああそうだ、ナタはどこだろう。このまま助けてしまえば少年はまたナタで麗奈さんを襲おうとするだろう。どこにやったのか辺りを探してみたが、見つからない。


 焦り始めたころ、

「もしかして紗良さん、これ探してます。」

と後ろから晃介くん。右手にはナタを持っていた。

「落としたっぽかったんで、没収しておきました。」

いつのまにか頼れるようになった後輩だ。彼を見くびっていたことを少し反省しないとな。


 晃介くんが少年に見つからないような場所にナタを隠してしまったところで丸太が動いた。少年は好機とばかりに飛び出して

「ご苦労だったなバカ女め!わざわざ殺されるために丸太をどかすとは。」

とやはり汚い物言いで辺りを見回しだした。


 しかし残念、ナタならもうないよ。彼もすぐそれを悟った。

「チクショウ!ナタがどっかいきやがった。」

少年は相当焦っているようだった。彼のことを心配する麗奈さんなんてまるで目に入っていなかった。彼女はさっきから

「大丈夫?どこか痛くない?」

と繰り返し聞いているのだが。


 少年はナタを探すこと、そして麗奈さんから物品を剥ぎ取ることをついに諦めた。

「チッ、運に恵まれたなクソ女。俺も丸腰でやろうなんて馬鹿じゃねえよ。」

と、最後まで汚い捨て台詞を吐いて走り去っていった。




 一人取り残された(見えない私たち含めて三人なのだが)麗奈さんはあっけにとられたまま立ち尽くしていた。

「結局何だったのかしら、あの子は。」

訳もわからない彼女だったが、すぐに興味は移った。


 少年を助けるために諦めたはずの蛾がまだヒラヒラと麗奈さんの頭上を舞っていたのだ。蛾は揺めきながら彼女のもとへと下りてきて、迎えた玲奈さんの手のひらにそっととまった。するとたちまち蛾の羽は淡く光りだして、鱗粉のごとく輝きを振りまきはじめた。光はやがてとめどなく、私たち三人を外側から柔らかく包み込んだ。


 




 これでいい、きっとこれで。だって麗奈さんは、あの少年の悪意なんてちっとも知らないのだから……



 


 

 


 



 


 



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ