二十一話
静森さんのデートの誘いを愛子が承諾した日から、数日が経過していた。
最近、授業の間の小休憩や昼休みに、二人が一緒にいるのをよく見かける。
つまり、そういうことなのだろう。
――二人はきっと、付き合うんだ。
大切なものを一瞬にして失った気がした。
でもそれは仕方のないことなのかも知れない。
打算を隠して、静森さんの協力をしていたのだから。
俺はそれから、いろいろ考えた。
考えに考え抜いた末に、一つの結論に達した。
自室の姿見の前で、己の格好を確認する。
全身を映す鏡には、頭の上に大きなリボンをあしらい、前髪をピンで留め、黙って拝借した母さんの化粧品で薄化粧し、上品に裾上げしたスカートに、太ももまである黒のソックスを穿いた俺がいる。
悲しみの深淵に佇む俺が、導き出した結論。
それは――男を捨て、女として生きていくことだ!
静森さんと結ばれないなら、男でいても仕方がない。
それに女に生まれ変われば、彼女から好意を向けられるかも知れない!
キィッとドアが開く。
「兄さん。お母さんが朝ごはん出来てるから早く降りてきなさいって――――――おかあ~さ~ん、兄さんがとうとう壊れた~」
俺は朝食を摂らずに、玄関を飛び出す。
ごめんね、パパ、ママ、小冬ちゃん、私は女として生きていく!
スカートをはためかせ、学校に着くと、「きゃ~変態が走ってる~」「だ、だれだよ!」「パンツ見えてる!」「あれ左塔じゃね?」「せんせ~女装した男子が走ってま~す」「ちょっと可愛いかも……」
パニックじみた喧騒の中、俺は無心で駆け抜ける。
目的なんか無いし、意味なんてもっと無い。ただ、衝動のまま突っ走る。
一組の教室への曲がり角が見えると、その影から怒りながら微笑むという器用な女性が現れた。
そして俺は頭部を鷲づかみされ、首筋に一太刀の鋭い手刀を受けて、リノリウムの冷たい廊下へと倒れ伏せた。
混濁する意識の中、見下ろす悪魔の顔が徐々に輪郭を失っていく。
「とりあえず好きなの頼め。私はこの炒飯ラーメンセット。お前らは?」
アイドルみたいな容貌の女性――白姫せんせいは、白と緑の箱から出した一本のタバコをふかしながら、見た目とは正反対な言葉遣いと態度で注文を終え、向かい側の席のわたしたちに水を向けます。
わたしの隣、窓側に座る端正な顔の少年――唯夜くんは、眼鏡をくいっと調整しながら、
「俺はハンバーグセット、三種のパスタ盛り合わせ、大盛シーザーサラダ、魚介のスープ、からあげ五人前、ポテトフライ五人前、ドリンクバー、あとそれから、」
「頼みすぎだ、バカ野郎。ちったァ遠慮しろ。チッ、まァいいよ。おい、舎弟は?」
「俺――じゃなくて、あの、私は、この豚骨ラーメンじゃなくて、たっぷり苺のパフェで」
私が女の子らしい注文をすると、白姫せんせいは、
「あぁあああああああああ気持ち悪りィからマジでやめてくれェええええええ!」
頭を抱えて呻吟しました。唯夜くんは意に介さず、店員さんに、
「オムライスには、注文者の氏名をケチャップで書くというサービスは付いていますか?」
と聞いていますが、「当店ではそういうサービスは――」と苦笑いで断られています。
わたしは涼しげな瞳が印象的なカレに、
「あ、唯夜くん。良かったら、わたしが……唯夜くんラブ、って書いてあげよっか?」
「頼むから喋らないでくれ。あと、バケツを被ってくれないか」
恥ずかしがり幼馴染風に申し出るわたしを一蹴します。めげずにわたしは、
「唯夜くんったら、マニアックな趣味なのね。でも、いいよ? わたし、あなたのためにがんばる!」
「だァああああああああああああ気持ち悪ィいいいいいいいいいいいいい――」
向かいの席から、けたたましい悲鳴が上がりました。
――俺たちがいるのは、学校から離れたところに位置するファミレスの喫煙席だ。
学校の廊下で襲撃を受けた俺は、放課後の保健室で意識を取り戻した。
連日連夜の睡眠不足のせいで、すっかり始業から終業まで熟睡してしまったらしい。
そこには脚を組んで椅子に座り、気だるそうに頬杖をついた白姫先生がいた。
「大丈夫か?」「何とか」と簡単な会話をしていると、突然唯夜が現れた。
「俺はそいつの親友です。微力ながら先生のお力となり、そこのバカの救済をと考えています。あなたの元来の性格も知っています。とりあえず場所を変えましょう。できれば何か食べられる場所が良い。……もう三日も、何も飲食をしていません」
と言い終えて、俺たちの前で倒れた。
そういうわけで、白姫先生の車を走らせてもらったのだ。
経緯をぼんやり思い返していると、白姫せんせいが苦虫を噛み潰したような表情で、向かいのわたしたちを交互に見ました。
「チッ、この間灯下に頼まれて保健室に運ぶの手伝ったとき、一緒になって倒れてたからまさかとは思ったが、このメガネと舎弟がダチだったとはなァ。やっぱり変なヤツってのは集まるんだな。私の授業で平気で爆睡したり、ゲームしたりする変わり者はこのメガネくらいだし、女装して登校する変質者は舎弟くらいだ」
「お待たせ致しました」
注文した料理が、続々と運ばれてきます。
わたしの前に、ふわふわのスポンジと生クリームの甘層の上に、苺がふんだんに敷き詰められ、さらにその上にアイスが乗っかったキュートなパフェが鎮座しました。
思ったより大きいわ。食べきれるかしら?
三人で「いただきます」と手を合わせ、それぞれ食べ始めます。
白姫せんせいはずるずるラーメンを食べながら、
「それで、舎弟。どういうつもりなんだよ、そのフザけた格好は? 前に言ったよな? 私のクラスにいる以上問題起こすなって。その耳は飾りかァ? あァァ?」
声を出すごとに、こちらに詰め寄ってきます。
けむったいタバコの臭いを我慢して、わたしは胸の前で祈りを捧げるように手を組み、健気に告白します。
「左塔夏人という人間はもういません。わたしと彼は無関係。わたしはお菓子の国からやってきたお姫様。夏子・シュガーストロベリーなんです!」
このキャラは、唯夜くんのお家でやり込んだゲームで培われたものです。
あ、夢の中でね。わたしの自己紹介に、白姫せんせいは、
「ふッざけんなよックソ野郎ォおおおおおおおおおおおお! テメェどんだけ気持ち悪ィんだよッッ! 危うく料理吐いちまうとこだっただろォがァッ! チッ、チッ、チッ――」
盛大に咽びながら、舌打ちを連発しています。
「せんせいったら、ひどいですぅ~。わたしはおいしいケーキを配って現代ストレスをなくすために、たんぽぽの綿毛に乗ってやってきたのにぃ~~」
「殺されてェのかァッテメェはァああああああああああああ――」
涙目で訴えるわたしに、ひどく顔をしかめて我鳴るせんせい。や~こわいよ~!
大きなストレスを感じたのか、白姫せんせいはタバコを何本もくわえ、慣れた手つきで火をつけました。
こんなときこそ、わたしの出番! 魔法のケーキで現代ストレスを解消するの!
「せんせい! わたしがせんせいのストレスを見事霧散させて見せましょう!」
「テメェの存在がストレスなんだよッ!」
賑やかなわたしたちと同席の唯夜くんは、
「あ、店員さん。ここの店ではじゃんけんに勝つと一緒に写真を撮るというサービスを提供していますか?」
違う時空にいるかのように、まったく気にしていません。
「チッ、今朝は家からその格好で来たんだろ? 親御さんは何て言ってるんだ? 息子の変わり果てた姿を見て」
灰皿に吸殻で山を作ったせんせいが、気だるそうに尋ねました。
「両親はわたしのことをとても大切にしてくれています。夏子の実家は、お菓子で出来てるんです。パパとママはお菓子の国の王様と王女様なんだけど、市井と同じ立場でいることを重んじ、お城とは別にお家を構えて街中で暮らしているんです」
「質問の答えになってねェ。っつか、現代ストレスとか統治者の在り方とか、なんでところどころリアルなんだよ……」
せんせいは深いふかい溜め息を落とし、ぐったりと椅子にもたれかかりました。
すると、こちらはお皿で山を作っている唯夜くんが、おしぼりで軽く口を拭いながら、
「シュガーストロベリー氏とやらのくだらない妄言は、無視しても問題ないでしょう。先生も逐一付き合っていたら大変ですよ。精神衛生上、良くありません」
唯夜くんはわたしに向き直り、切れ長の目をさらに鋭くします。
「単刀直入に聞こう。見当外れなら申し訳ないが、夏人、あのデートの後何があった?」
白姫せんせいも、心当たりを持ち出します。
「デート? あ~~もしかして、先週末のアレか。舎弟と静森が二人で下着売り場にいたの。アレのことか?」
唯夜くんは僅かに頷き、
「そうです。実は俺はあの日、夏人に依頼されて二人を尾行していました。必要に応じてコンタクトを取り、デートを成功させるのが目的でした」
「なるほど、そこで素の私を見たのか。偶然二人と鉢合わせたあのときに」
せんせいの呟きに、唯夜くんは「えぇ。それよりも、」と本題に戻します。
「二人はあの後、ペットショップにも立ち寄ったのですが、そこを出てすぐ、俺は殺人的な睡魔により尾行を断念し、作戦は頓挫しました。ですから、その先の展開や事情は知りません。おそらく、夏人と静森の間に何かあったかと」
聞き入っていたせんせいは、輪っかの形の煙を吐いて、
「舎弟、言える範囲で話してみろ。めんどくせェが、聞いてやる」
「あくまで勘だが、お前と静森の――いや、お前と静森と灯下の関係に、何か大きな変化が生じたんじゃないのか?」
白姫先生と唯夜の真摯な瞳が、左塔夏人に向けられる。
「俺は、」
「夏人。俺はお前が心配だ」
真剣な表情の唯夜が、俺をじっと見て、
「お前は多分、他人の気持ちや事情を吹聴することに、ある種の罪悪感や負い目を覚えているんだろ? はっきり言うが、俺からすればそれらのくだらない事情よりも、お前の方が何倍も気にかかる。いや、比較することなんてできない。俺はお前が大事だ」
「唯夜…………ありがとう」
「当然の話だ」
俺と唯夜の姿を見て、白姫先生は小さく唇を綻ばせた。
俺はことの顛末を話した。
静森さんの家庭の事情を伏せ、俺がこんな格好をしている経緯をかいつまんで説明した。
粛々と聞いていた白姫先生は、新しいタバコに火をつけ、溜め息のように煙を吐いた。
「女子更衣室で妙なことしてたのも、灯下にちょっかい出したのも理由があったんだな。最近舎弟と灯下がぎこちないのも納得いった」
コップを傾ける唯夜は、ぼそっと「そういうことか」と呟いた。
白姫先生がトントンとタバコの灰を落としながら、
「じゃ舎弟は、全部諦めてそんな格好してるわけか」
俺は空になっているパフェの器に視線を落とし、
「もう男として生きていく意味がないっすから。それに、女の子として生まれ変われば、万が一っていうことも、」
白姫先生と唯夜は、顔を見合わせて最大級の嘆息をした。
「チッ、テメェは本当に大バカだな。んなことしたって、何の解決にもならねェ。分かってんだろ? それくらい」
「こいつがバカなのは今に始まったことではありません。ですが、今回のケースは夏人史上最大の愚行です」
俺は銀のスプーンを指でぐるぐる回し、「だって……」といじける。
我ながらカッコ悪いと思うが、八方塞の状況でどうしろって言うんだ。
そんな俺を見かねて、白姫先生は腕組みし脚を組みかえ、
「で、どうしたいんだよ、舎弟」
詰問するような瞳が、俺を見据える。
「どうも何も…………」
「このままでいいのか? 全部このままで」
眼差しが強まる。
「静森と灯下とも、何の決着もつけずに全部諦めていいのか」
白姫先生の言葉に、俺はちょっと達観したような口ぶりで言う。
「静森さんが幸せなら、それでいいです。愛子も俺に、もう愛想尽かしてますよ。謝ってもきっと許してもらえないですよ」
――うん。
「俺、入学式の朝、高校では可愛い彼女作って三年間思いっきり楽しむぞ~って、すごい意気込んでたんすよ。でも、俺にそんな資格なんて無いのかも知れません。静森さんには恋の成就を応援するって言って、彼女への下心隠したまま偽善者ぶって隣に居ついて。愛子には静森さんのこと全部隠して嘘ついて、平然とした顔で隣にいました。挙句てめぇの都合で親友に協力させて、先生にも迷惑かけました。しかも、愛子が泣きじゃくるのを見るまで、俺、平気な顔してました。そのときやっと気づいたんです。俺って勝手だなって。そんなヤツが恋するぞ~、だなんて、ずるすぎますよね」
――ホントにそうだ。
白姫先生は小さく息を吐いて、諭すように、優しく語り出す。
「全部テメェの都合で決めてんじゃねェよ。静森の応援するって言ったんだろ。だったら責任持って、最後まで勝手に付き合ってやれよ。灯下も振り回したんだから、許される許されない関係なく、安い頭でもケジメとして下げてやれ」
いつもの大胆不敵な笑顔じゃなく、包み込むような微笑みで、
「テメェの高校唯一の恋の結末を見届けろよ。舎弟」
同時に、唯夜はテーブルに肘をつき、組んだ手に顎を乗せる。
「尾行をしよう。彼女たちは、先日のお前たちと同じルートでデートをするのだろう。具体的な日時だけ分かれば、実行できる」
今俺がすべきことは、今俺が本当にしたいことは――。
「……うん。唯夜、先生、ありがとう」
見届けよう。そして、謝ろう。
俺の高校生活、最初で最後の恋のために。




