十八話
「ごめんなさい、左塔くん。私ったら、つい我を忘れてしまって」
床に額がつきそうなくらいに、頭を上げる静森さん。
我を忘れるのはいつものことでは? 言わないけど。
「いいから、いいから。適当に時間つぶしてたし。だから頭を上げて、静森さん」
深謝する静森さんの手には、ここのお店のものであろう、買い物袋が携えられている。
勢い余って、買ってしまったらしい。
購入した下着を拝見するのは、やめておこう……俺のメンタルケアのために。
「……本当にごめんなさい」
しゅんと数十キロの錘を乗せたように肩を落とす。
耳から『フォロー』と短く聞こえる。
「次はどこに行くの? 愛子とのデートを成功させるためにも、頑張らないとね!」
顔を上げた静森さんは、攻撃性皆無の瞳に力を入れ、
「はい! えっと、次はですね」
手帳を取り出し、予定を確認する。
手を繋ぐタイミングを探りながら、俺は荷物持ちに名乗り出ようと右手を差し出した。
次は、カフェに寄った。
これもデートプランの一環で、事前に女の子に人気のお店を調査していたらしい。
可愛い装飾に清潔感のある店内で、やたら胸元のあいた、やけに丈が短いエプロンドレスを着こなすウェイトレスさんたちが、せわしなく動き回っている。
静森さんの趣味で店を決めたんじゃなかろうか?
確かに女性客も多いが、男性客の方が圧倒的に多い。
ブラチラパンチラに気を取られつつも、俺はオレンジジュース、静森さんはミルクティーを注文した。
唯夜のアドバイスに従い静森さんと日常会話をするのだが、明らかな失敗こそしないものの、ハートをがっちり掴んでいるという手応えもない。
そもそも、俺も静森さんもウエイトレスさんが近くを通りかかる度に視線と心を奪われ、お互い話に集中していなかった。
次の店では必ず! と思いながら、俺はコップを傾ける。
収穫と言えば、数回のチラ見で網膜に焼き付けた、カラフルな布の残像だろう。
来店ごとに貯まるスタンプカードをもらい、また来ようと固く誓って店を出て、次に足を踏み入れたのはペットショップだった。
見た感じ小動物だらけ。
王道の犬、猫の他に、うさぎ、ハムスター、フェレット、ラット、リス、チンチラ――聞いたことがないような種類のヤツもいる。
男の俺から見ても、どいつこいつも可愛い。
動物好きの愛子にとっては、天国のような場所だろう。
静森さんは手帳と印刷された紙を引っ張り出し、
「ホームページで見たんですけど、ここは動物たちと触れ合うこともできるんですよ」
二階へと続く階段に視線を移した。
壁面の案内に「二階 触れ合いスペース」と書かれてある。
「いいんじゃない。愛子、喜ぶと思うよ」
「本当ですか? だといいんですけど」
静森さんは瞳に期待の色を浮かべ、
「とりあえず、一階のフロアを回ってみましょうか」
「そうだね。たくさんいるし、ちょっとずつ見て回ろうか」
歩き出してすぐ、静森さんがケージの一つに駆け寄った。
「見てください! この子可愛いですね~。クリっとした瞳がチャーミングです!」
目尻を下げる静森さんの視線の先には、出生間もない子猫がいた。
うん、確かに目がパッチリしていて可愛い。
どことなく愛子に似てるかも。
目を細めつつ、少し頬が熱くなるのを感じていると、隣の少女の暴走スイッチが入りかけていた。
「愛くるしい動物を抱える可愛らしい愛子ちゃん! 凄いです、この組み合わせ! パーフェクトです! 二匹とも私のお家に来てくれないかな~。全力の愛情を注いでお世話したいです!」
ペット化した愛子とのラブリーな生活を、延々語る静森さんをただただ眺めていると、
『夏人。これでは先程の二の舞だ』
唯夜からもっともな助言が入った。
「静森さん! また我を忘れかけちゃってるよ!」
自身の体を抱きしめるようにして身悶える静森さんは、はっ……と正気を取り戻した。
「ご、ごめんなさい……そうですね、次に行きましょう」
一歩目を踏み出し、
「あ、この子可愛いです!」
ハムスターか。うん、可愛い。がんばって回し車をカラカラ回している。
「あ、この子も可愛いです!」
フェレットか。うん、可愛い。専用の餌をカリカリかじっている。
「あ~~! この子、物凄く可愛いですっ! 無垢な瞳がとってもそそります!」
小冬か。うん、とても可愛い。興奮した静森さんに、ぎゅぅっと抱き締められている。
――って!
「小冬! 何してるんだッ?」
「見ず知らずの女性に、いきなり抱きつかれてる」
そうなんだが、そういうことじゃない!
情動のまま小冬を胸に引き入れている静森さんが、目を丸くする。
「左塔くんっ! この可憐な幼女とお知り合いなんですか!」
幼女って。驚きに染まる静森さんに、
「俺の妹だよ。小冬っていうんだ。幼く見えるけど、中学一年生だから、幼女ってわけじゃないよ。ってか、そろそろ放してやってくれないかな? 苦しそうだし」
圧迫する程きつく抱きしめているのに気づいた静森さんは、「あっ、ごめんね」とすぐに小冬を解放する。
愛子のときといい、小柄な少女を見ると抱きしめずにはいられなくなるのか?
女の子なら年齢制限なし? ……静森さんの守備範囲の広さは聞かずにおこう。
これ以上絶望したくない。
豊かなお胸で溺れていた小冬は「けほっけほっ」と咳き込んでから、俺の方に駆け寄ってきて、すっと背中に隠れた。
いつもの無表情に、ほんの少し誰かさんへの敵意が滲んでいる。
小冬は俺の服の裾を引っ張り、
「兄さん、この方はどなたですか?」
「学校の同級生だよ。静森百合花さん。俺とは、」
彼氏彼女だと言いたい。
小冬に兄の威厳を見せ付けたいし、何より、語感がイイ!
俺の意思を汲んだのか、唯夜も少し力強く、
『ここは勝負しろ。意表をついてターゲットの心を揺さぶれ』
と背中を押してくれる。
よし、そうだよな!
大きく息を吸い込んで、俺を見上げる黒檀のような瞳に、
「俺とは、か――」
「お友達ですよ。小冬ちゃん」
身を屈めて小冬に目線を合わせる静森さんが、はっきり言った。
グサリ。胸に悪気の無い刃が突き刺さる。
「そうですか。兄さんと静森さんは、お友達ですか」
グサリ。もう一本刺さった。
分かっちゃいるが、やめてくれ!
これ以上俺のか弱いハートを傷つけないで!
左耳から『はぁ……』と、重い溜め息だけが聞こえる。
静森さんはその体勢のまま、
「ねぇ、小冬ちゃん。私のこと『百合花お姉ちゃん』って呼んでみて」
にっこり笑ってお願いする。
あぁ、楽しそう。
小冬は警戒心を剥き出しにし、はっきりと、
「静森さん」
「百合花お姉ちゃんって――」
「兄さんの同級生さん」
「百合花――」
「変態さん」
「左塔くぅ~ん…………」
涙目の女神様。
我が家の天使は、容赦が無い。
完全に俺の後ろに篭城している小冬に、首だけ動かして聞く。
「小冬は何してたんだ? ペットショップだから動物見に来てるんだろうけど。ちょっと意外だな」
無感動に近い小冬が何かに興味を持つことに、俺は結構驚いていたりする。
今のところ小冬の食指が動いたのは、俺に啓示を下さった、かのぬいぐるみ様だけだ。
「あの……、その……」
小冬が言葉に詰まるのは、相当珍しいことだ。
袖を掴む力が少し強まった。
小冬はようやく、俺の背中からひょっこり顔を出し、ある方向を指差しながら、
「…………あれ」
「ライオンウサギ?」
聞いたことがない名前。
とりあえず、どっちなんだ?
小冬は小さく「……うん」と、首を縦に振る。
「あいつを見に来たのか」
小冬お気に入りのぬいぐるみ様の姿を思い出す。
ライオンみたいなウサギみたいな……。
ライオンウサギを眺めていた静森さんが、
「小冬ちゃん、あの子を見に来てたの?」
「……別に、ちょっと目に付いただけです。興味ありません」
そう言いながらも、ライオンウサギの一挙手一投足から目を離せない小冬。
あ~、うちの妹は可愛いなぁ。
同じ感想を抱いた人間が、もう一人いた。
「小冬ちゃん可愛すぎます! 本当はすごく興味津々なのに、素直に言うのが恥ずかしくて強がっちゃうんだけど、やっぱりじっと見つめちゃうなんて、反則ですっっ! 今日から私の家に来ませんか! ペットと妹と彼女と愛人と新妻の椅子が空いてます!」
静森さんは瞳に無数の星を輝かせて、俺の大事な妹を積極的にスカウトするが、
「はっ! また私ったら! 新妻の席には愛子ちゃんが座っているというのに……!」
大きく肩を落として猛省している。
いい加減トランス状態での、自分の節操の無さに呆れたのだろう。
熱烈なお誘いを受けた小冬は、床に膝と手をつく静森さんを、胡乱者を見る目で見下ろすだけだ。
ともあれ、
「小冬。今度一緒に頼もうか」
俺を見つめる、無感動に戻った瞳に、
「ライオンウサギのこと。親父と母さんに、一緒に話そう。二人で頼み込めば、何とかなるんじゃないか。いざとなったら秘密にして、俺たちで飼おう」
無垢な表情に、確かな喜びが宿る。
「ありがと。………………おにいちゃん」
呟く天使の稀有な微笑に、俺は卒倒しかけた。




