十三話
静森さんは保健室に運ばれ、俺は生活指導室とは名ばかりの監獄にぶち込まれた。
それから二時間、「ここは担任の私に任せてもらえますか?」と名乗り出た悪魔――白姫先生にみっちり罵詈雑言――講釈をたまわった。
生活指導室は一階の最果て、どの教室からも距離があって、悪魔――白姫先生がいくら恫喝――大きな声で、いくら俺を汚い言葉で罵って――愛の諫言を囁いてくれても誰にも聞こえない。
その空間はまさに地獄だった。
「オラぁああああああああああああ! 聞いてんのかこのクソ野郎がァああああ! テメェあそこで何してたァァあああああ! えェェェェええええええええ! まさか他のクラスの生徒使って、女子更衣室盗撮しようとしてたんじゃねェだろうなァああああああ!」
白姫先生――悪魔は机や椅子を蹴り倒し、逃げ回る俺を追い込む。
「ごごごごごめんなさぁぁああああああいいいいいいいいいいいいい!」
全面的にこちらが悪いので、こればかりは弁明のしようがない。
「私のクラスにいる以上ォおおおおおおお問題おこすんじゃねェえええええええええ! 分かったかああああああ? コラァああああああああッ!」
「すいませんっしたあああああああああああああ――」
頭を守ってうずくまる俺に、悪魔は何度も辛辣な言葉や面罵痛罵を叩きつける。
それが長時間に渡って続いた。
もはや苦痛を通り越して、「やべぇ、変な気持ちになってきた」状態だ。
現場にあったスマホを発見されたが、撮れた写真が誰かの脚のブレブレ写真ということもあり、ようやく解放されることとなった。
「チッ、よく知らねェが、今回のコトはもみ消してやる。だから、もう二度と騒ぎを起こすな。口を開くな。陰に隠れて生きろ。分かったか舎弟ッ!」
政治色が垣間見えたが、長時間の拷問に悄然とする俺は、簡単に首を縦に振った。
ふいに窓ガラスに映った自分の姿は、まるで地獄に感情を忘れてきた、一体のカラクリ人形のようだった。
間もなく、クラブの終了時刻。
空はすっかり夕焼け色に染まっている。
対愛子専用女子更衣室生着替え激写班は、グラウンドの片隅に再び集結していた。
「策はまだある」
俺の解放と静森さんの回復を待っていた唯夜は、癖とも言える眼鏡をクイッと上げる仕草を見せてからそう言い放った。
「……これはできればしたくないんだが」
と端正な顔を歪めて呻く。
軋む身体を奮い立たせる俺と、体調不良で見学という態の静森さんは、疑問が張り付いた顔を見合わせる。
体操服のまま帰る愛子の習慣から考えるに、今日はもうチャンスがないのでは?
それは唯夜にも教えてある。
得心が行かない俺たちに、唯夜は「時が来るのを待て」とだけ。
俺は参謀様の足元にある、たらいいっぱいの水風船を見下ろし、何となく作戦の概要が分かった気がした。
俺たちは愛子がクラブ活動を終えるのを待つ。
だが、陸上部全体の練習が終わっても、愛子は引き上げず、居残り練習をし始めた。
束ねた髪をたなびかせ、一人で黙々とトラックを周回している。
さすがに一生懸命練習しているところを襲撃するのは気が引けるので、遠巻きにしてその姿を眺める。
愛子以外にも運動部員がまばらに残っていて、個々に自身の課題に取り組んでいる姿が散見する。
俺、何してるんだろう。
愛子がようやく練習を切り上げ、グラウンドを後にする。
唯夜は例によって中指で眼鏡を正し、静かに告げる。
「作戦名『当てて濡らしてドキドキハラハラあの子の服を脱がせちゃおう!』いよいよ決行だ」
昭和のバラエティかよ。ダッセーな。
愛子の元へと走り出す唯夜。
当然その腕には、大量の水風船が抱えられている。
猛進する唯夜は勢いのそのままに、「すまん、灯下!」と右手に掴んだ爆弾を愛子に投げつける。
それもこれも、体操服を濡らして、着替えをさせるためだ。
疲れているはずの愛子は、「え、何!?」と唯夜との距離をとりながら、飛んでくる爆弾を器用にかわす。
唯夜の手持ちの水風船がなくなるのを見て、俺は準備を整え愛子に突進する。
拠点を奪われては作戦が頓挫する恐れがあるので、俺と唯夜はたらいの番と愛子への攻撃役を交互にこなす。
この辺りは阿吽の呼吸だ。
中学からのコンビネーション。
静森さんも、健気に水風船を生産してくれている。
そういう調子で俺と唯夜は、練習で疲労困憊の愛子を爆撃する。
傍から見れば、男子高校生二人が、居残り練習に及ぶまでクラブ活動に邁進する頑張り屋の小柄な女生徒を追い回して、水風船をぶつけるという図だ。
はっきり言おう、最低の行為だ。
俺は本当に下衆野郎だ。
白姫先生に何と罵られても仕方がない本物のクズ野郎だ。
俺は自分のしている悪行と、好きな女の子の懇願との狭間で葛藤するが、今は自分の恋に正直になろうと思い至る。
何度目か拠点に戻ると、不意に静森さんと目が合った。
申し訳なさそうにこちらを見つめている。
「……左塔くん。やっぱり私も、」
俺はここぞとばかりに、
「いや、静森さん。ここは任せてほしい。それに、俺は静森さんの綺麗な手をこんなことで汚したくないんだ」
多くの社会的な代償を支払ってでも、好きな子の笑顔が見たいんだ!
例えそれが、女の子の着替えの隠し撮りでも!
静森さんは頬を淡く紅潮させる。
夕日のせいだけではないだろう。
「左塔くん…………、私――」
「うん」
俺がしていることは、やっぱり間違いじゃない!
さぁ、存分に俺に惚れてくれ!
「――私、絶対愛子ちゃんと幸せになりますね。写真もバッチリ撮ります! 左塔くんたちがこんなに頑張ってくれてるんだから、私も愛子ちゃんとのこと頑張ります!」
お願いですから頑張らないでください。
なおも作戦は、実行中。
別に俺と唯夜は制球力があるわけでも、剛速球が放れるわけでもない。
身体能力を生かして、巧みに回避する標的を射止めるのは、至難の業だ。
とにかく、下手な鉄砲数打ち当たる理論で、水風船を抱えては追い回し、弾がなくなり次第拠点に引っ込み選手交代というのを繰り返した。
戦況は消耗戦の様相を呈してきたかと思いきや、敵に動きが見えた。
開戦直後こそ、「きゃあ! 何なのよもう!」と防戦だった愛子が、いよいよ反撃に転じたのだ。
神速の動きで唯夜との間合いを詰め、すぅっと脚を引く。
これはローキックへの予備動作だ。
その威力を知っている唯夜は、慌てて懐の爆弾で応戦する。
だが、鬼神と化した愛子の一蹴によって、爆弾は愛子の前で破裂音を残し爆ぜた。
多少の水しぶきがかかるが、致命傷とまでは至らなかった様子。
愛子は百戦錬磨の武将のごとく全く動じず、脚を蹴り出した姿勢から、その身体を一回転させ、その勢いを利用し――唯夜の両足目掛けて豪快に必殺技を放った。
鈍い音とともに足元をすくわれた親友は、顔を激痛に歪めて地面に沈む。
「唯夜ああああああああああああああああああああ」
砂塵が巻き起こる中、殺気を纏う鬼神の姿に、俺は脚をガタガタと震わせた。
「左塔くん……」
俺を呼ぶ声に振り向くと――静森さんはまたしても大量の鼻血を出していた。
どうやら、ローキックを放った愛子の脚線美とその勇姿に見惚れているようだ。
「もういいです。充分です。こんなにしてもらって、私、自分が許せないです……」
鼻の下を真っ赤にして、自身の不甲斐なさを嘆く静森さん。
とりあえず、血を拭いてほしい。
俺の淡い恋心とあなたの生命のためにも。
俺は水風船を持てるだけ抱えた。
「俺は、…………行くよ! 男には立ち向かわなければならないときがある」
静森さんの方を見ずに、一歩を踏み出す。
「左塔くん…………私、」
切なそうな声が背中を叩く。
さぁ、いつでも抱きついていいんだぜ?
「私、絶対愛子ちゃんと幸せにな――」
俺は水風船を手放し、耳を塞いだ。
最終決戦を前に、わざわざ気勢を削がれたくない。
俺は死地へと赴く。
「夏人。どういうことか、後で説明しなさいよ」
「それは、分からん!」
「………………コロス」
対峙する俺と愛子の間に、張り詰めた沈黙が佇む。
相互に敵だけを視界に捉える。
――そして、息苦しい静寂を破るように互いに肉薄。
恐怖はあるが、ここだけは譲れないんだ!
愛子は流れるよう動きで、予備動作に入る。
俺は奥歯をかみ締め、鬼神の懐に突っ込む。
コマ送りのように感じる世界。
刃と化した愛子の脚が、地表近くの大気を切り裂きながら、俺の下半身に狙いをすませて襲来してくる。
俺は頭を空っぽにして、何も考えず一心不乱に――愛子の足元に、頭からダイブした。
予想外の行動だったようで、愛子は「えっ!」と漏らすが、ローキックの軌道は変えられない。
よってそのまま――俺ごと全ての水風船を破壊した。
はじける風船の内側から水が飛び出し、愛子の体操服の上下を綺麗に濡らす。
勝った……! ……上は黒か。
案外おとなっぽいのを……と、遠ざかる意識の中で、俺は勝利の美酒に酔いしれた。
目蓋が少しずつ開いていく。
意識はまだ朦朧としていて、ぼんやりとした視界に女の子らしき顔がある。
上手く言葉が出ない俺は、唇をわずかに動かすだけ。
「夏人? 気がついた?」
聞き覚えのある声。
「……………………愛子」
愛子は「よかった……」と呟いて、表情をほころばせた。
次第に意識も視界も、はっきりしていく。
俺の身体は横たえられているようで、身体の具合を確かめるのもかねて、ゆっくりと上体を起こす。
首が回るのを確認しながら、この場を見渡す。
俺が横たわっているのは保健室だった。
三つあるベッドのうちの一つで寝ていたようで、隣のベッドは白のカーテンによって仕切られている。
何となく唯夜が横たえられている気がする。
設えられた時計に視線を移すと、大分遅い時間だと確認できた。
窓の外はもう夜陰に包まれ、すっかり夕方から夜へと移ろっている。
「まだ、寝てた方が良いんじゃない」
愛子は俺のベッドの端で、付き添うように座っている。
もちろん、濡れた体操服ではなく、制服を身に纏っている。
「……ずっと、いてくれたのか?」
「まぁ、ね。保健室の先生は帰っちゃったけど、鍵は預かってるから。皆起きたら、私が返しておくね」
ポケットから鍵を出し、小さく揺らす。
俺はその揺れが止むのを待たずに、
「愛子、さっきはその、……悪かった。今回は完全に俺のせいだ。ホントにごめん」
愛子は押し黙っていたが、しばらくすると、小さな唇が穏やかに開かれた。
「別に怒ってないわ」
かけられた言葉は意外なものだった。
「何で? 俺、お前の嫌がることしたのに」
面を食らって尋ねる俺に、愛子は軽く息を吸ってから、一言ひとこと確かめながら言葉を繋げていく。
「何か理由があるんでしょ。夏人は人の嫌がることは絶対にしない。少なくとも、今まで私はされたことない。だから今日のは、何かそうしなきゃいけない事情があったんじゃないの? 夏人は自分のためだって言っても、いつも人のこと考えてる」
違うんだ、俺はそんな大層な人間じゃない。
今日だってお前の嫌がることをした。
俺の至極個人的な感情のためにやったことで、他人の迷惑なんか顧みてなくて――。
胸の奥から浮かんでくる想いが口から溢れる寸前、愛子は人差し指をそっと俺の唇に当てた。
「言いたいことは分かる。でも、今私が言ったのが、夏人なんだよ?」
優しく微笑む愛子。
俺はその表情を目の当たりにして、愛子を初めて会った女の子のように感じた。
愛子の表情が変わる。
「それよりも私が知りたいのは、夏人がなんでこんなことをしたのか。誰のためにしたのか。その方が気になってる」
愛子の透き通った瞳は真っ直ぐに、俺の目を見据えている。
「……それは、俺がお前の着替えを見たかったからだよ」
「ウソ。だったら自滅覚悟で突っ込んできたりしない」
問答無用で看破された。
付き合いが長いのは、良いことばかりじゃない。
愛子は俺の顔を覗き込むように、あるいは心を覗き込むように、
「夏人。私に隠してることがあるんじゃない?」
ズキリと胸が疼く。
俺が愛子に隠していること。
静森さんの愛子に対する想い。
俺がそれを応援していること。
そして、俺の静森さんへの想い。
頼まれて秘密にしていることもあれば、何となく話してないこともある。
この疼きはその内のどれに起因しているのだろう。
何故か言葉が出てこない。
体調のせいにはできない。
愛子は「……もう少し横になってて」と俺を寝かし、丁寧に布団をかけてくれた。
また、胸が疼く。
保健室の白い天井を眺めながら思いを巡らせるが、結局、この疼痛の正体は分からなかった。




