第二十二章
第二十二章
それは殉にとっても未知の経験だった。
生まれてから今日まで、他人の心の声を遠く近く聴き続けてきた彼ではあったが、そこから一歩進んで心の中にまで入り込もうなどというのは考えた事すら無かった。
彼にとって心の声とは、いわば通りすがりの道に面した家々から漏れ聞こえてくる団欒や喧騒の音と同じものであった。時に関心を持ち聞き耳を立てる事はあっても、門をくぐり、家の壁や窓に耳を押し当ててむさぼり聞くものでは決して無かった。
ましてやそれ以上の事をするとなると、もはや敷地に入り込むどころの騒ぎではなく勝手に玄関から奥に上がり込むに等しい。
だが今、彼は加夏子の内なる迷宮を進みつつあった。
遠く離れた加夏子の悲鳴が鮮烈に脳裏に響き渡った時、自分と加夏子が強くシンクロしているという確信が殉の中に芽生えていたのだ。
それが皮肉な運命から生じたものだという自覚は、まだなかったにせよ。
まるで密林だった。
幹の見えぬ程、蔦の絡まり合った木々の密集は、それが加夏子の内面を彼が視覚化したイメージだと判っていても邪魔で、前進を阻む障害物に違いなかった。蔦の棘は、日本刀の切っ先の形をしていた。
背筋に冷たいものを感じながら殉は先を急いだ。
この先にカナちゃんが居る
傷だらけになりながら夢中で蔦の森を進んでゆくうちに、いきなり何も無い空間に出た。
いた
ポツンと独り、加夏子が立っている。学生服が簾のようにズタズタだ。白い肌に張り付いた服の残骸が奇妙なコントラストを描いている。
殉は加夏子の肩を掴むと強く揺さぶった。
「カナちゃん、カナちゃん!僕だ、ジュンだよ、助けに来た、帰るんだ!こんな所にいちゃいけない!!」
加夏子の虚ろな目が落ちる程見開かれる。
「イヤァ!もう許して、私を斬らないで!お願いだから来ないでぇぇぇ!」
「なに言ってるんだ、僕だよ、ジュンだ、忘れちゃったのか?!」
激しく躯を揺さぶる加夏子を殉は強く抱き締める。
抵抗が止んだ。
血の気が失せた加夏子の腕がゆっくりと持ち上がると、あらぬ方向を指差した。
「アレハ、アナタ」
ゆっくりと顔をあげ、指差す方を見る。
血まみれの刀を持つ長身の男が立っていた。
喉の奥が凍りついた。
兄さん…どうして…
(続く)