194.シャフレザード救出作戦(1)
レイラ・ザンド救出作戦へと向かう斎賀とマフムード。
斎賀はじょじょに記憶を取り戻してきているようだった。
しかし、それは仕事柄培った記憶に限られている。
まだ、斎賀は自分の妹がジェマナイに殺された、ということを思い出してはいない……
しかし、それはどこかでシャフレザード(レイラ・ザンド)を救い出す、ということと結びついていたかもしれない。
というのは、心のどこかがうずくのだ。
大切なものを再びなくすわけにはいかない、という焦燥感。
その「再び」が、何に対する「再び」なのか、斎賀は分からなかった。
分からないながらも、行動していた。
行動が、斎賀をもある意味で前のめりにさせている。
しかし、焦ってはいなかった。
冷静に状況を分析し、必要な物資と必要な手段とを計算していく。
斎賀とマフムードは、まず市場で買い出しをした。
戦争が激しくなって以来、イーラームには闇市のようなものができていたのである。
そこでは、軍需関係の物資も売られていた……
斎賀は、マフムードが不思議だと思うようなものを買い足していく。
「おい、オガーブ、それは本当に必要なものなのか?」
と、マフムードは聞く。
斎賀は、
「ああ、たぶんな。まあ、予備だよ、予備として買っておく」
などと言い抜ける。
マフムードは感心しながらも困惑した。
粉末のようなナノマシンなど、何に使うのだろうかと訝った。
しかし、斎賀は高値を惜しまずに購入している。
アーヴァーズ・エ・ハークに連れてこられて以来、依頼をこなすたびに斎賀はナジーネから報酬を受け取っていたのだった。
それが、今ではかなりの額になっている。
斎賀は、それを残らずシャフレザードの救出作戦のために使った。
マフムードは、自分の財布を見つめながらつぶやいた。
「おれは、サラーブからそんな大金はもらってないな……」
「いや、悪い。見せびらかすつもりじゃないんだ。君は実行部隊だからな。シャフレザードを救出したら……」
気まずい風が、早くも2人の間を通り抜けた。
しかし、そこはあえてしれっとしてやり過ごす斎賀。
何はどうあれ、この作戦は2人で遂行しなくてはならない。
買い出しには、複数の市場をまわって1日かかった。
それから、レンタカーで北へと向かう。
目的地は、フボイという国境の小さな街である。
イーラームからは、750キロほどの距離だ。
2人は、途中タブリーズでアーヴァーズ・エ・ハークの他のグループのメンバーと会った。
グループのメンバーが誘拐される、などということは、こちらでは日常茶飯事のことだったらしい……
シャフレザードが誘拐されたが、有用な情報はないか?
と尋ねたものの、返ってきた答えは心もとないものだった。
すなわち、誘拐された人間はほぼ帰ってこない……と。
さすがに、今は戦争中なのだった。
先日も、イラク空軍からの空爆があり、数人の負傷者が出ていた。
斎賀はあらためて、(俺は今は敵国で活動をしているのだ)と、思いいたる。
それについても、斎賀は忸怩たる思いを抱いた。
結局のところ、シャフレザードの救出は、斎賀とマフムードの2人で行うしかないようだった。
斎賀は、今再び「以前にもこんなことがあったが……」と思い始めていた。
それは、どこへの侵入だったろうか?
どんな任務だったろうか?
俺は無事に帰ってきたんだな……
ということは、俺は成功したわけだ。
今回もきっと成功する。
──そんなふうに、自分とマフムードの心をなだめる。
「きっと大丈夫だ、サング」
「ああ。絶対にな」
「あらためて思うんだが、シャフレザードは本当に危険な仕事をしていたんだな?」
斎賀が口を開く。
自動車の窓の外には、田舎らしい光景が流れている。
時折、果物を売っている屋台などがあった。
マフムードは、そちらをちらりと見て、
「ああ。あいつは、お前が言ったように百戦錬磨だ。今回も無事だと信じている」
「俺もだ」
斎賀は口数少なく答えた。
マフムードの信頼は、シャフレザードだけでなく、自分にも向けられているということを感じた。
「ちょっと……車を止めてくれないか?」
斎賀が声をあげる。
マフムードは、急ブレーキではなく、数十メートルほど行ってからゆっくりと自動車を止めた。
それもあやしまれないための工作だった。
斎賀は自動車を降りて、背後数十メートルほどの屋台に駆けていく。
斎賀が買ってきたのは、数個のリンゴだった。
リンゴは斎賀の祖国である日本でもメジャーな果物だったが、ここイランも有数の生産国である。
新鮮なリンゴは、2人の緊張を緩める役に立った。
2人とも、自動車を運転しながら無言でリンゴをかじる。
ただ、斎賀には別の目的もある……
できるだけ、ごく普通の旅行者のように見せかけたい……これは、シャフレザードがやったことと同じだった。
今は、半ばは敵地にいると言って良い。
どこで、誰に監視されているか分からなかった。
あるいは、サテライト群にマークされているかもしれない。
とすれば、彼らの行動は敵にも筒抜けである。
なるべく、普通の旅行者のような顔をしておくに越したことはない。
「サング、機銃はカバンに入っているんだな?」
「ああ。ピストルは腰に差しているが、ここらでは、誰もが護身用にピストルを持っている。珍しくない」
「そのようだな……」
斎賀は、市場でもピストルを腰に差している男たちを数人見かけた。
ここは、明らかに戦闘区域である。
と同時に、イラン人たちにとっては故郷でもある。
異国とは言え、斎賀はその街並みにどこか懐かしさを感じ取っていた……
(このような場所で、シャフレザードはさらわれたのか……)
胸の痛みを、斎賀は感じた。
間もなく……シャフレザードが襲撃された地点である。
斎賀は、アーヴァーズ・エ・ハークのメンバーが殺された、その場所も見ておきたいと言った。
それくらいの寄り道は、それほど危険でもないだろう。
というのは、フボイの町のなかでも中心街に近いところ、モスク付近で2人は落ち合っていたのだ。
なるべく観光客同士の交流のような、あるいは田舎の親せきを訪ねてきたような、そんな何気ない雰囲気で2人は会っていた。
それも工作である。
しかし、殺されたメンバーは敵組織につけられていた。
それも用意周到に……というのが、斎賀の勘だ。
モスクには、いくつか銃弾の跡があった。
斎賀は、(おや)と思った。
この町ではグループ間抗争があるのか? ──と、考えたのである。
「サング。このへんでは、アーヴァーズ・エ・ハーク以外の反政府グループも活動しているのか?」
「イラン国内には、いくつかの反政府組織がある。しかし、このへんで活動しているグループというのは、聞いたことがない」
「そうか。なるほどな……こういう場合、得てして敵よりも同志のほうが危険なものだ。目的を見失うと、争いになる」
「それは、分かるよ。俺たちだって、一枚岩じゃない。アーヴァーズ・エ・ハークもデリケートな組織なんだ」
「それが……今回の事態を招いたのかもしれないな」
斎賀が、考え考え言った。
「どういうことだ?」
「敵は……外国勢力じゃないかもしれない。利益目的のグループという可能性がある」
「というのは?」
「この間も言ったろう? 犯行が雑なんだ。なりあがりのグループがシャフレザードを誘拐した、という可能性もある」
「ジェマナイ派ではなく、か?」
「いや、ジェマナイ派なのは、たしかだろう。しかし、新興の勢力かもしれないな……」
「そこまで分かるとは、お前は大したものだよ。オガーブ」
「ほめても、何も出んよ」
とは言ったが、斎賀は照れていた。
斎賀の見立ては、この時点でほぼ当たっていると言って良かった。
トルコとの国境に到着しました。




