193.アーヴァーズ・エ・ハーク(つづき)
レイラ・ザンド誘拐事件に対処するアーヴァーズ・エ・ハークの面々。
眠れぬ夜を過ごした斎賀たちは、食堂に集まっていた。
サラーブことナジーネ・ハミーディ、ナグシェことハサン・ファルザーネ、サングことマフムード・カリミ、オガーブこと斎賀の4人である。
まず、ナジーネのもとには、打ち捨てられた死体の写真が送られてきた。
ナジーネは、リーダーながら吐き気を催している。
斎賀は、彼女のそんな弱さを意外だと思った。
──
写真では、全部で4か所を銃弾で撃たれている。
熟練したプロの仕業ではない。
プロであれば、頭部または心臓を1発撃ってしとめる。
ことさら残虐性を際立たせるような殺し方はしない。
ジェマナイ派のなんらかの組織の犯行、という幹部の見立ては、当たっているように斎賀には思えた。
ナジーネは、
「シャフレザードも今ごろどうなっているか……無事であると良いのだけれど……」
と、不安げに言う。
沈黙の時間が、しばらく流れた。
誰も、目の前に置かれているコーヒーのカップには手をつけない。
時計の音だけが、無情に時を刻んでいた。
しかし、斎賀はこう答える。
「おそらく、無事だろう。もし、シャフレザードをも殺そうとしたのであれば、ここに彼女の死体が並んでいるはずだ」
「と言うと?」
ハサンが追って尋ねた。
「こういうことだ。相手は、殺人のプロとは思えない。殺し方が雑なんだ。これは、反政府組織やテロ組織によくある。つまり、仕事が前のめりなんだな……」
「言っていることがわからないわ?」
「つまり、こういうことだ」
と、斎賀は説明する。
「連中は、自分たちの仕事を急ぎすぎた。まず、どうしてもシャフレザードの身柄を確保する必要があった。だから、彼女が会っていた相手は雑に殺した。おそらく、つけられていたのは彼のほうだろう」
「すこし、分かってきた」
と、マフムード。
「ああ。つまりだな、敵さんは密輸品を受け取る側のグループの情報はあらかじめ手に入れていた。これまでにも、襲撃など行っていたんだろう。今回、密輸品を届ける側、つまり我々の情報を必要とした。だから、シャフレザードをさらった。彼女は、今おそらく尋問を受けている最中だ……命は無事だろう」
「おお……」
ハサンが、感心したように言う。
さすがに、斎賀は情報軍の出身であるだけのことはあるのである。
ナジーネは、彼をさらってきて良かったと、心の底から思った。
「だが……苛烈な拷問を受けていないとも限らない。あるいは自白剤か……それならば、俺たちの身が危険だ」
斎賀は、慎重に釘を刺した。
「たしかに……そうね。ここは、特殊なネット経由でしか通信ができないようになっている。電話線なんかは、引かれていない。単純に電話番号なんかを聞き出そうとしても無駄だけれど、住所は割れている可能性がある」
ナジーネもまた慎重だった。
リーダーだけのことはある。
ハサンは、やや理解が追いついていないようにも思えるが、こう付け加えた。
「ミサイルでも撃ち込まれたら、ひとたまりもないぞ?」
それに対して斎賀は、
「それはないだろう。テロ組織というのは、普通そういう目立った行動はしない。政府側にしろ、反政府側にしろ」
「オガーブの意見は当たっていると思う。わたしたちは、一週間以内にここを引き払う。でも、それは早くても遅くても怪しまれる」
「そういうことだ」
斎賀はうなずいた。
そして、ナジーネのリーダーとしての資質を確信した。
彼女は、シャフレザード(レイラ・ザンド)が口を割っていたら、という万が一の状況を苦慮していた。
しかし、勇み足でその場から動くことは、何よりも危険だということを弁えている。
ここは、すべてを自然な流れに任せることが必要なのである。
彼女の命がたとえ失われているとしたら……そこは、冷徹に諦める必要がある。
前夜……
ナジーネは、半ば絶望しかけていた。
しかし、斎賀はそうではない。
人工知能(AI)であれば、敵味方の判断は一瞬で切り替わる。
しかし、人間はそうではない。
つねに過去の行動の痕跡が、現在にまで残っているものだ。
斎賀は、かつて今回襲われたグループが襲撃された際の情報を緻密に検索し、そこに共通点がないかと探った。
とくに、敵工作員の位置情報のデータがどこかに残っていないかと。
それは……あった。
アーヴァーズ・エ・ハークのメンバーの位置情報と不自然に交錯している光点が、ひとつあるのだ。
それは、斎賀の見つめているモニタのなかで一定時間ごとに位置を移動させている。
そして、不自然な時間帯に元来た道をそのまま戻っている……
きっと、これだろう? と、斎賀は特定した。
こういう移動の仕方は、配達員でも散歩人でもない。
目的をもった人間の移動の仕方だ……
自分たちの足跡を消す、という意味でも、彼らは素人らしい。
相手がプロフェッショナルでなくて助かった、と斎賀らは思った。
一方のレイラ・ザンドはプロである。
半日に一度だけ位置情報を送信するピアスをつけている。
ただし、暗号を解かないとアーヴァーズ・エ・ハークのメンバーでも特定できない……
その暗号解読に、今朝までかかったのである。
斎賀は皆を前にして説明した。
もっとも熱心に耳を傾けていたのは、ハサンである。
斎賀のもたらす情報は、今後の彼の活動にとっても有用だからだ。
斎賀は話す……
「敵はおそらく自白剤を使うだろう。一般的な拷問よりも有効だからだ。しかし、自白剤っていうのは、即効性のある薬物ではないんだ。真実を話すまでに一週間から十日、かかることもある……敵はそのへんの事情だけは心得ているだろうよ?」
「シャフレザードが即殺されている、ということはないということか?」
マフムードが聞く。
「ああ。シャフレザードはプロだ。簡単に口を割りはしない」
「信頼していいんだな?」
「俺をじゃない。シャフレザードを、だ」
斎賀は言った。
マフムードもうなずく。
「待って。今リーダーとの連絡が取れた」
──と言うのは、ナジーネ。
「機器類はそのままにして、わたしたちは〈山荘〉から居場所を移す。これは、早いほうが良いそうよ?」
「そうだな。だが、たしかにここにいた、という痕跡は残しておいたほうがいい。そのほうが、シャフレザードが殺される確率は減る。俺たちは、敵組織を警戒しないといけないが、それと同時に当局も警戒する必要がある……」
「なるほど……あなたって、仲間思いなのね?」
ナジーネが、少し意外なように斎賀に話しかけた。
実際、彼女は斎賀を拉致してきて以来、彼を値踏みしているようなところがあった。
ナジーネは、斎賀の能力を評価していただろう。
しかし、人間として受け入れていたのかというと、きっと違う。
今この瞬間、彼女は斎賀を受け入れ始めたのだった。
斎賀の行動に、レイラ・ザンドの命がかかっていたからだ。
「イーラームには、ここ〈山荘〉と似たような拠点が、あと5か所あるの。そのどれもが、一般的な住宅よ? 秘密基地には見えない(笑)。だから、移動先でもまたすぐに似たような生活に戻れる。問題は、シャフレザードをいつ、誰が救出するかね?」
「俺が行く」
と、真っ先にマフムード。
「俺も行きたい」
と、斎賀が応じた。
前回の通りである。
ハサンは押し黙っている。
重く、口を開いた。
「俺は……このグループの通信を守らなくてはならない」
「その通りだ。あなたは、こちらに残ってくれ。俺は思ったんだが、俺はどうやら情報部の所属だったらしい。こういう潜入工作には、たぶん慣れている……」
「それなら、任せても良いのか?」
と、ハサン。
「ああ、任せてくれ!」
斎賀は胸を張って言った。
このところなかった緊張感と高揚感だった。
ハサンが、斎賀の目をじっと見つめている。
斎賀は、無言でうなずく。
(いつかもこんなことがなかっただろうか……?)と、思いながら。
斎賀とマフムードが救出に向かいます。




