191.混沌のアド・ルーメン
アド・ルーメンの過激派3人。
ここは、アド・ルーメンの集会堂の一角。
「まずいことになったわ……」
と、ザネレ・カシンガはマティアス・ンコモに告げた。
「どうした?」
と、マティアスは怪訝になって尋ねる。
彼らは、アド・ルーメンのなかのタカ派信者である。
アルハジ・ムタリブの暗殺も辞さない、という強硬的な姿勢を示していた。
そして、今日の反戦デモには参加していなかった。
「れいのマリアが……先走ったのよ。ムタリブ最高賢者は殺された!」
「なんだって? 今日か? たしかにそれはまずいな……」
今日のムタリブ最高賢者の暗殺は、彼らにとっては根耳に水だった。
「幹部の間では、いつ賢者会議を開くか、ということがさっそく議論になっているようです」
とは、ザネレ・カシンガ。
マティアス・ンコモは、教団の下部組織「ウジマの灯」を率いているほか、最強硬派である「ムジムの盾」のリーダーでもある。
「我々の目標はミリアム・エスカローナを最高賢者に推すことだったが……今のままだと、テンベ・ンジョロに押し切られてしまう可能性もある。水面下での工作が重要だったのだが……やってくれたな……」
反戦集会の首領が暗殺されたとなれば、必然反戦派が勢いを増す。
「どうしたの?」
と、そこへやってきたのは同じくタカ派信者であるアヤナ・ムテッサである。
温和で母性的な性格の女性だったが、ネオスが社会に浸透することを恐れている。
嫌悪している、と言っても良かった。
とくに、ミューナイトのようなネオス兵が前線に立って戦うことを、もっとも嫌っている。
彼女にとって、親ネオス派のように見えるムタリブ最高賢者はまさに、格好の攻撃材料だった。
組織というものは、反対勢力があって初めて成立するようなところがある。
内部に研鑽があり、自己批判がある、という認識が用意されるためである。
ために、彼らタカ派の信者たちも、アド・ルーメンの内部では重用されていた。
とくに、マティアス・ンコモは時期賢者に推されている存在でもある。
ただし、彼はアド・ルーメンを根本から変えてしまうことを恐れていた。
今のような親ネオス、親AIという状況が続いてもらっては困る。
しかし、反戦思想自体については賛成である。
要はバランスの問題なのだが、あちらを立てればこちらは立たずである。
アルハジ・ムタリブ最高賢者は、そのへんのところを上手く采配していた。
その手腕自体は買う……
しかし、彼の裏の顔というものを、マティアス・ンコモは知っている。
「神の光は人類とAIとネオスすべてに等しく届く」──と、彼は言う。
しかし、彼自身が「神」を信じているとは思えないのである。
マティアス・ンコモは神の存在を信じていた。
それは、この世の絶対である。
しかし、アルハジ・ムタリブ最高賢者にとって、「神」とは相対だった。
あやういバランスによって初めて成り立つ。
しかし、この時代に──それでは不足なのだ。遅い。
マティアス・ンコモは、宗教が政治を支えうる、と信じている人間だった。
「今日の予定はどうなっていたんだ?」
「デモは午前中で終わり、午後1時から定例の集会が開かれる予定になっていたわ。デモがあった以外はいつも通り……の予定でした」
ザネレ・カシンガが言う。
彼女は、集会堂でのオルガンの演奏を担当している。
その荘厳な響きは、信者たちの尊敬の念を買っていたが、彼女は同時に優秀なスパイでもある。
信者に見せかけた工作員や、冷やかしで入信してくる人間を、彼女は即座に見抜く。
そうした人間を、時には教団の強硬派に引き渡し、あるいは強硬派に勧誘しさえする。
そんな教団の裏面を握っている人間の一人が、ザネレだった。
「それで、マリアはどうしたんだ?」
マティアスは聞いた。
「即、射殺されたそうです。群衆の多くが、この悲劇を目にしています」
「ムタリブ最高賢者の死は悲劇ではないか……」
皮肉めかして、マティアスが言った。
それは、事実である。
アルハジ・ムタリブは政治の世界に片足を突っ込んでいた。
とすれば、その死は政治的な死である。民主的な死とは違う。
一方のマリアの死は、市民の死=民主的な死なのである。
重みが、逆説的に違う。
「そこまでは思っていないのですが……」
「いや、いい。ムタリブ最高賢者は、我々にとっては駒にすぎなかった」
冷徹に、マティアスは言い切った。
「いずれはあなたが……」
ザネレは頭を下げる。
「いや。それは数十年先のことだよ」
と、マティアスは遠い目をする。
すべてが、その掌の上での計算によって成り立っている、そんな人間の目だった。
その目は、どこからウィンストン・エヴリール(カドリール・ヴァレンタイン)にも似ているようだった。
天国のマリアが知ったならば、(なんと皮肉なこと!)と思っただろう。
「それで、こちらで用意していた暗殺要員の所在は知れていないのか?」
「それは大丈夫です」
「我々も3月までには準備を整えるつもりでいた。しかし、早すぎるな……この時期に賢者会議となると」
「ミリアム・エスカローナは最高賢者に推されない可能性がありますね?」
と、アヤナ・ムテッサ。
前日、というか今朝、ジェマナイは統合軍とイラク軍に大敗を喫した。
それは良い。
ジェマナイに中東を好き放題にさせるわけにはいかない。
とくに、イラクは統合戦線の重要な衛星国である。
そこが死ねば、首都の防備も薄くなる。
以前のように、アルスレーテが直接空爆される可能性は、ジェマナイの南極基地の壊滅によって減ったものの、皆無ではない。
マティアスは、市民の無用な死を望むような人間ではなかった。
マティアス・ンコモは、人間を一種のシステムとしてとらえている。
あちらを立てれば、こちらがへたりこむ。
ジェマナイをただ叩けばよい、というわけではない。
ジェマナイはすでに広大な経済圏を構築している。
これからの世界のなかで、ジェマナイの経済力は無視できないものとして機能するだろう。
要するに、ジェマナイという既存の秩序は認めたうえで、その「体制」を変化させなくてはならないのだ。
それは一筋縄ではいかない。
(だからこそ、政治ではなく宗教の力が必要なのだが……)
マティアス・ンコモが思っていることは、統合戦線という国家をアド・ルーメンがまとめあげることではない。
ジェマナイをも含めた世界を、アド・ルーメンがまとめ上げることである。
そのためには、小手先の政治活動に執着していたムタリブ最高賢者が死ぬことは、願ってもないことではあった。
しかし、すこし早すぎたという感が否めない。
彼は、次期最高賢者として有力候補であったミリアム・エスカローナを、十分に感化しきれていないのである……
彼女もまた暴走するとしたら?
アド・ルーメンは一気に瓦解しない、とも限らないだろう。
「勝負はここ10日……あるいは1週間、といったところか? 『ムジムの盾』に連絡をつけておいてくれ……くれぐれも、わたしからの通達だということが知れないように」
「こころえております」
ザネレ・カシンガが頭を下げた。
アド・ルーメンの水面下でも、変化が訪れようとしていた。
アヤナ・ムテッサは、ただ冷たい視線を送っている。
アルスレーテ市内の孤児院の運営を一手に担っている女性とも思われない、冷たい目だった。
マティアス・ンコモは言った、
「とにかく、ミリアム・エスカローナが次期最高賢者に推されるように、全力を尽くそう。我々がそれからすべきことは、彼女が最高賢者になった後であらためて考えなければならない」
宗教的戦略家の言葉、そして見解だった。
アヤナ・ムテッサ、ザネレ・カシンガともに、頭を下げた。
統合戦線の不穏さはまだまだ続きますが……マリア・オリヴェテの死によって、いちおうの終わりが訪れました。




