188.シエスタとミューナイトとセラフィア
シエスタとミューナイトが衝突します。
シエスタは、あくびをしながら休憩室への廊下を歩いていた。
すれ違った何人かの士官が、彼女を見て笑う。
(おや、あの亡霊女神だよ……)
という空気が、その表情に出ている。
皆、彼女をみて和んだのである……また、今日も生きて帰ってこられたと。
統合軍空軍のエースパイロットが、あくびができるほど余裕のスタンスでいられるということは、彼らにとっては救いだった。
もちろん、シエスタが前日から寝ていない、ということについて知っている者は少なかったが。
(あーあ、有名人はつらいね)
などと、シエスタは心のなかで軽口を言う。
──
タージ基地は、浮き足立っていた。
また、敵のロボを鹵獲することができた。
これは、統合戦線やイラクにとって強力な戦力になる──という確信が、誰もの胸にあった。
シエスタは、ふと窓の外を見た。
バグダッド市街からは、まだ煙が上がっている。
きっと、消防は今懸命の作業をしているところだろう。
戦争には戦争の、日常には日常の、秩序と仕事とがある……
(あたしは、こっち側の人間かあ……)と、シエスタはもう何万回めかのことを思った。
自分だって、人やネオスを殺すために生まれてきたわけじゃない。
でも、自分にはこれ以外の仕事がなかった。
──というのが、シエスタの思いである。
(早くコーヒーを飲んで、寝よう。また、いつ何時たたき起こされるか分からないからな?)
さすがに、次はチーム・ンデゲやチーム・キアリの出撃となるだろうか?
シエスタは、首をぐるりと回しながら考えた。
……
その時の彼女に、不快な思いはなかった。
斎賀の不在さえ、忘れかけていた。
しかし、そんな静寂は破られたのである。
シエスタがぐったりとソファにもたれている休憩室に、ミューナイトとセラフィアがやってきたのだった。
ミューナイトは、シエスタがもたれているソファの前にやってきて、こう言った。
「シエスタ・アレーテ中尉、お久しぶりです」
シエスタは、目を開けると、彼女を睨み上げた。
実は、シエスタとミューナイトとは過去に何度か顔を合わせている。
その何時も、ミューナイトは斎賀といっしょだった。
バグダッドに遠征に来てからこっち、シエスタは、ミューナイトや斎賀とまともに顔を合わせたことはない。
最後に、彼女が斎賀がまともに話し合えたのは、遠征前の作戦会議の後である。
そのときに、彼女らは互いに抱擁しあい、キスを交わした。
(あれが、死亡フラグになったんじゃ……)
などという不穏な思いが、何度かシエスタの胸をかすめた。
シエスタは、験を担ぐ女である。
出撃前には、必ず濃い色のルージュを塗る。
仲間にはいつも笑われる──戦場で誰に見てほしいんだよ? と。
しかし、それを見るのは彼女自身である。
シエスタは、自身のプライドを維持するために化粧をしていた。
だから、今この瞬間にも彼女は真紅の唇をしている。
一方のミューナイトは、ファンデーションすらつけていないようだった。
それは若さゆえでもあったが、ネオスゆえでもあった。
「活躍したらしいね、ライジングアースのパイロットさん?」
「活躍だなんて……そんなことないです」
シエスタは、(ちっ!)と舌打ちする。
ミューナイトにたいしては、言ってやりたいことがいくつもあった。
しかし、それを口にすることは大人げない、と分かっている。
だからこそ、余計に苦しかった。
何も返っては来ないからである。
だからこそ、これだけのことを口にする。
「そちらさんは?」
「彼女は、新しくわたしのコパイロットになったセラフィア少佐」
「おうおう……、あの亡命士官か?」
とたんに、シエスタの口調が悪くなった。
明らかに不快、という心持ちである。
シエスタは、まずセラフィアを、次いでミューナイトを睨んだ。
荒事は起こすまい、とシエスタは思っていた。
しかし、堰が切れそうである。我慢できるのか? ──わたし。
「サイガ中尉はどうしたの?」
シエスタは尋ねた。
それは、「今斎賀がどうしているのか?」ということではない、「お前は斎賀をどうしたのか?」という意味である。
シエスタはミューナイトを、次いでセラフィアを見据える。
そこには、あからさまな敵意が現れていた。
彼女は、セラフィアがミューナイトをおどして統合戦線に亡命してきた、という詳しい事情を知らない。
ただ、敵の士官が戦いに敗れて統合戦線に亡命してきた、という情報を知っているのみである。
当然、セラフィアが斎賀を砂漠に置き去りにしてきた、などという事情は知る由もなかった。
「サイガは……行方不明(MIA)になった……」
ミューナイトは、いくぶん表情をこわばらせながら言った。
それは涙をこらえての表情だったのだが、シエスタには伝わらない。
ただ、責任放棄の表情として、彼女には感じられた。
「あんたがついていて、なぜ斎賀だけが行方不明になる? コックピットが破壊されたわけでもないんだろう?」
「実は……」
──この少佐が乗り込んできて、ということを言いそうになって、ミューナイトは口をつぐんだ。
斎賀がMIAになった状況や、セラフィアの亡命の詳細については、伏せておいたほうが良いと直感したのである。
「実は、あの戦いで、わたしたちも致命的なダメージを受けたの。斎賀はコックピット外に放り出されて……」
とっさに、ミューナイトはまるで彼女が人間であるかのような嘘を吐いた。
その嘘は、即座にシエスタの心にも知れた。
「ライジングアースのコックピットがそんなにもろい? 狭いハッチをすり抜けて、サイガが砂漠に放り出された? 上手い嘘でも言えたつもり? あんたは全然なっていないよ、やっぱりただのネオスだ……」
シエスタは吐き捨てた。
「でも、本当のことなの……」
しかし、ミューナイトはさらに嘘を続けた。
それが、シエスタの癇にとうとう触れた。
先ほどまで飲んでいた、紙コップのコーヒーの余りをミューナイトに投げつける。
それをかばおうと、セラフィアが手を伸ばした……しかし、ミューナイトの髪にかかる、ぬるいコーヒー。
ミューナイトの前髪が、だらりと垂れさがった。
セラフィアも、そのときは黙っていられなかった。
「サイガを砂漠に置き去りにしたのは、わたしだ。ジェマナイ空軍戦術特務三将の、セラフィアだ。しかし、今は統合戦線に亡命している。ライジングアースと最後に戦ったのは、プライムローズに搭乗していたわたしだ……」
それは、かつての子ルーチンとも思えない感情的な言葉だった。
ミューナイトを庇おう、という意志が見て取れる。
セラフィアは、どこが変わったのだろう……?
あるいは……
シエスタは、ぺっと唾を吐いた。
ようやく、おおよその事情が呑み込めた。
ミューナイトは、ネオス同士の友情で斎賀を見限ってしまったのだ。
そして、今はなかよく統合戦線で戦っている。
絶対に許せない、という思いがシエスタの胸に萌す。
それは、彼女たち──ミューナイトやセラフィアにたいする怒りばかりではない、自分が属する国家機関にたいする怒りの現れでもあった。
「もしもサイガが死んでいたら、お前を殺すからな?」
と、シエスタはセラフィアに向かって吐き捨てた。
彼女は、おもむろにソファから立ち上がると、ミューナイトのほうを真正面から睨む。
そして、平手打ちを食わせた。
ミューナイトは、黙ってその平手打ちを受けた。
痛い……とは感じなかった。
それ以前に、すでに心のどこかが痛かった。
その痛みは、シエスタとは共有できないだろうと分かっていた。
そして、ただこんなふうに、つぶやく。
「本当にごめんなさい、サイガを守れなくって……」
シエスタは、それからずっと無言だった。
戦争という災禍のなかで、じょじょに不穏な空気に包まれていく統合戦線でした。




