164.ブラックスワーンダー、出撃!
決意を秘めて出撃するリュシアスです。
全高75メートルを超える、トムスクの地下格納庫のなかでブラックスワーンダーは屹立していた。
その傍らには、仮面を外したリュシアスの姿がある。
リュシアスが仮面を取ることは稀だった。
そのタイミングは、動揺して、というのでもない、動転して、というのでもない。
ただ、ありのままの姿を見せなければいけない、そう思ったときにリュシアスは仮面を外すのである。
しかし、彼女は普段は「仮面の指揮官」として鎮座している。
その彼女が、パイロットとして出撃しようとしている。
整備兵たちは、身構えた。
「リュシアス一将、このビッグマンの兵装ですが……」
などと、話しかけてくる。
整備兵にしても、ジェマナイの戦略・戦術長官であるリュシアスが直々に出撃するなど、異例の事態である。
もちろん、ジェマナイでは階級が上の者ほど前線に立って戦う。
その前例は、今も変わっていない。
しかし、今やジェマナイを一手に管轄・管理しているリュシアスが出撃するとなると、話は別だった。
リュシアスの留守中は、二将のヴォルガと官僚のヨーランドが、ジェマナイを指揮するらしい。
しかし、リュシアス一将は、前線からでも国政に介入してくるだろう……
そんな八面六臂の活躍が、リュシアスには可能である。
整備兵にも、そのことは十分に分かっていた。
「分かっている。反転場量子フィールドはたしかに実装されているのだな? それがあれば、あとはわたしのパイロット技能でなんとかなる」
リュシアスは整備兵に告げた。
「もちろんです。一将の命令は最優先でこなしております。しかし、それだけで敵に勝てるとは……」
「敵とは、ライジングアースのことか?」
「そうです」
「ライジングアースは第4世代のビッグマン、このブラックスワーンダーは第4.5世代のビッグマンだ。性能が違う」
「ですが……」
と整備兵は言葉に詰まる。
「パイロットの力量によるところもあります」という言葉を飲み込んだのである。
それは、リュシアス一将をあなどる言葉だった。
そして、この整備兵とて、リュシアスの実力は知っている。
アジア制圧戦において、アーサー・カリニンとともに無双の力を発揮したのだ。
それだけでなく、政治においてもリュシアスは頭角を現した。
ジェマナイのコア領域と対話し、国の行く末について的確な提言をした。
リュシアスは、ふたたび仮面をつけてブラックスワーンダーに乗り込む。
その足下には、ひょんなことにあのヴォルガがいた。
「リュシアス一将、調子はどうですかあ?!!」
と、声高に叫んでいる。
リュシアスは、コックピットのなかで思わずうなずいた。
そして、
「調子は良い。わたしも久しぶりのビッグマンだ。腕が鳴るよ」
と、スピーカーからその声を響かせた。
「それは何よりです。統合戦線では、ライジングアースとプライムローズが出撃してくるそうです。ともに、我らが作った機体です」
「そうだな。火事場泥棒にその罪の恐ろしさを思い知らせてやるのも、悪くない」
「あなたなら、やれます。リュシアス一将」
ヴォルガも、いつになく明るい声を出した。
リュシアスは、コックピットのなかでうなずく。
頭上の、開閉ハッチがじょじょに開いていく。
その上には、トムスクの真夜中の空があった。
これから、バグダッドまでほぼ一日の行程である。
飛行形態に変形できないブラックスワーンダーは足が遅い。
夜明けの作戦に間に合わせるためには、こんな真夜中に出撃しなくてはいけないのだった。
リュシアスは、その気持ちが引き締まるのを感じる。
やがて、腰部のジェットが噴射して、ブラックスワーンダーは上昇を始めた。
ロシア連邦共和国の夜のなかに、巨体が立ち上がる。
その様子を、ヴォルガは「ひゅーっ」と口笛を吹きながら、見つめている。
リュシアスであれば、やってくれるだろう。
伊達に、ジェマナイの戦略・「戦術」長官ではない。
リュシアスは、戦闘の現場でも有能なのだ。
あるいは、その能力は自分を超えるかもしれない……そう、ヴォルガは見ていた。
上昇していくブラックスワーンダーの足元で、ヴォルガは敬礼する。
その動作には、どこからリュシアスやセラフィアをあなどっていた、バグダッド戦前の空気は感じられなかった。
彼は、どこかが変わったのである。
……
トムスクの夜景が背後に流れていった。
その光景を美しい……と、リュシアスは思う。
その地下には、ジェマナイの広大なサーバーが埋まっており、地上には百メートルを超えるコントロール・ビルが屹立している。
ジェマナイのサーバーの周辺は対空防御、および核施設だ。
これが、統合戦線ら敵対勢力から全力でジェマナイを防備している。
リュシアスは、仮面の下で浅い呼吸をした。
政治の全権は、今はヨーランドに一任している。
あとは、ヴォルガがどれだけ政治的な才を発揮してくれるかだが……
それは望み薄だろうと思って、リュシアスは苦笑した。
彼は、戦士なのだ。
骨折が完治していれば、ヴォルグラスⅡがロールアウトしていれば、彼を戦場に向かわせるべきなのだ。
しかし、事情は逼迫していた。
統合戦線は、ライジングアースとプライムローズを戦線に投入すると言う。
現在、バグダッド戦線に残っているビッグマンは12体である。
陸軍戦力に乏しいジェマナイからすると、この戦力ではいささか心もとない。
リュシアスは思った。
「セラフィアよ、お前の名前を冠した基地を、お前は攻撃できるか?」と。
リュシアスも統合戦線の宣伝放送で、セラフィアが統合戦線に亡命していることは知っていたのである。
そして、それに先んじて、リュシアスは前進基地であるパスタヤーンストヴァを「セラフィス」と命名していた。
それまでセラフィアが死んだのか、単なる行方不明であるのか、リュシアスに確信はなかった。
南極戦線でユーマナイズの光を浴びたセラフィアだ、ジェマナイを裏切るという可能性もなくはなかった。
しかし、自分は信頼してセラフィアを前線に送り出した。
……いや、どうだったのだろう。
(自分は、セラフィアを真に信頼していたのだろうか? それとも、駒として扱ったのか?)
リュシアスは、心のうちでそんなことを反芻する。
そうこうしているうちに、カザフスタンの土地が見えてきた。
ここから、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イランを経由すれば、すぐに戦場であるバグダッドである。
リュシアスは、久しぶりの戦場に胸が高鳴るのを感じた。
彼女は彼女で、一人の戦士だったのだ。
ヴォルガやセラフィアには負けていまいよ──ふふ、とリュシアスは心のなかで笑う。
その笑みは、人類のすべてを滅ぼしてでもジェマナイを勝利に導こうとするような、残忍な笑いではなかった。
あくまでも、武人としての微笑である。
哨戒機に、信号を送って合図するブラックスワーンダー。
『我は敵ではない。ジェマナイのリュシアス一将が操縦している。これから、戦略行動のためにバグダッドへと向かう』
『了解、ご武運を』
と、哨戒機からの返信が返ってきた。
ともに、メッセンジャーによるショートメッセージである。
どちらの機体も、今が戦時であり、非常時であるというのをわきまえていた。
やがてカスピ海が見えてきた。
この湖(=うみ)を、アラル海のようにはさせまいよ、とリュシアスは念じた。
(ジェマナイの戦いは、正義の戦いだ。人類の愚かさを乗り越える戦い……)
そう、決然とした思いを胸に宿す。
今、彼女──リュシアスは、統合戦線との一つの決戦に望もうとしているのだった。
まずはバグダッドに向かいます。




