157.斎賀の故郷(ふるさと)(3)
マフムードについでハサンと話をする斎賀。
「人情家」という言葉は本当に意外だった。
斎賀は、ただ生き残りたいという思いのためだけに、アーヴァーズ・エ・ハークに協力してきたし、それは打算の賜物だ。
決して、褒められる理由があるような動機によってではない。
斎賀は、そのことをしっかりと認識していたし、だからこそ、自分がいつ殺されるかも分からないと思っていた。
アーヴァーズ・エ・ハークにとって用済みになれば、自分は消される。
それは、戦場から一つのユニットが消えることと同じだ。
自分の命は、軽い。
だからこそ、「人情家」というマフムードの言葉に、斎賀はむしろ焦った。
「それは、どういう意味なんだろうか? 理性よりも感性を優先するということか?」
斎賀は尋ねる。
しかし、マフムードは首を振った。
「お前は分かっていない。お前自身のことを分かっていないんだ。ここで俺が何かを言ったところで……」
「いや、言ってくれ。それが、俺が記憶を取り戻すヒントになるかもしれない」
そう言う斎賀を、マフムードはしばらくの間じっと見つめていた。
心のなかで算段をしている、といった様子である。
しかし、それは計算高い算段ではなかった。人間的な算段だった。
だから、マフムードはこう言う。
「お前が人情家だというのは、日本に関する話題に、お前が動揺したからだ」
「動揺?」
「そうだ。お前は、シミュレーションとしてではなく、日本の未来を思い描いた」
「だからって、俺が日本人と決まったわけじゃ……」
「魂に刻まれているんだよ。その言葉、その生活スタイル、その人生観。お前は日本人そのものだ、たぶんな。それも、俺は脇から知ったにすぎない。お前の口調から」
「よく分からないことを言う」
斎賀は不満だ。
「真実とは、よく分からないものだよ。その年まで生きてきて、お前はそれくらいのことも分からないか?」
マフムードは、やや斎賀を嗜めるように言った。しかし、そこに悪意はない。
斎賀は、そのことを瞬時にくみ取る。
「俺は今、いったい何歳なんだろうな?」
そう言って、けらけらと笑い出した。
その衝動は、マフムードにとっても思いのほかのことだった。すこし、驚いている。
「俺が20歳だったら、俺が30歳だったら、俺が40歳だったら……戦況は変化するのか? しない。俺は、俺の無力を感じるだけだ、たとえ俺が何歳だったとしても」
それは、(斎賀の過去を覚えている者にとっては)いつもの斎賀にもふさわしくない、弱気な言葉のように感じられただろう。
斎賀は、「人情家」という言葉にほんとうにゆさぶられていたのである。
マフムードは聞いた。
「なあ、オガーブ。日本はお前の故郷かもしれない。そうじゃないかもしれない。俺は、お前がどんな理由で統合戦線に属しているのかは知らない。しかし、故郷なら、お前はそれを守るべきだ。そこに、お前の生き方が表れてくるんだ」
「そうだと良いんだがな。今の俺は自信がないんだよ。記憶がないことが、そうさせる。以前の俺には、確固とした芯があったような気がするんだが……」
「その芯とは、なんだ?」
「分からない。ただ、身内や仲間に巨大な不幸が降りかかった、そんなことを漠然と感じている」
「家族をジェマナイに殺されたのか?」
「そうかもしれない」
「それなら、わたしと同じだ。わたしは父と母、弟をジェマナイに殺された。今でも、その時の記憶は消えない」
マフムードは、不幸を語るにあたっても泰然としていた。
しかし、その手は腰の拳銃にあてている。
無意識の防御反応が働くのだろう。
斎賀は、そのことも敏感に見てとった。
「俺は……いや、まだ分からない! すまない! 本当に分からないんだ!」
苦し気に、斎賀は吐き出した。
マフムードは、やわらかい微笑でそれに応える。
「ゆっくりで良い、オガーブ」
マフムードは、柔らかい口調で言った。
──
電算室に戻ると、ハサン・ファルザーネがパソコンのモニタとにらめっこをしていた。
「なあ。次々に情報が送られてくるんだ。俺は、それを整理して組織の『上』にあげる。だが、今回は妙だぞ?」
と言ったことを言う。
「何が妙なんだ、ナグシェ?」
と、斎賀も気になって尋ねた。
今、日本やアジアに関する話題なら、なんでも知りたいという気持ちになっていた。
「ジェマナイの陸軍戦力が、マレーシアと日本に移動している。これは、マレーシアと日本を絶対防衛権に設定している兆候だ。しかし、それ以外のところを攻められたら、ジェマナイはヤバイ……」
「あなたは、ジェマナイ亡き後の秩序についても考えているのか?」
斎賀は、ぎこちないペルシア語で尋ねた。
「ああ。我々が勝たせようとしているのは、あくまでもイランだ。この国だ。ジェマナイは要素にすぎない」
「それは心強い。だが……」
斎賀は思い惑った。
「だが、戦況というのは早々変わることはない。全体の状況を見て、それからのイランなんじゃないか?」
「分かっている。ジェマナイが倒れたところで、この国には問題が山積みだからな……」
ハサン・ファルザーネは苦々しく唇をかみしめた。
「それよりもだ、サングと何を話してきた?」
「ああ、俺の故郷がたしかに日本かどうかっていうこと。……それと、家族の話をした」
「サングが話したのか?」
「ああ。両親と弟をジェマナイに殺されたと言っていた。……それが、俺の状況と似ている気がするんだ?」
「サングがそこまで話すのは珍しい。俺も、サングの家族がジェマナイに惨殺されたのを知ったのは、奴と知り合って1年経ってからだった。どうやら、サラーブは最初から知っていたらしいんだが」
「そんなに? サングは俺が人情家だとも言っていた。これは、意外な言葉だった」
斎賀は、考え込むように言う。
「人情家か。お前さんにぴったりの言葉だと思うぞ? お前さんは情が厚い」
斎賀は再び驚く。
本能として、斎賀は軍人として人を疑うということを修正にしてきた。
この〈山荘〉へ、彼らとともに従(=つ)いてきたのは、生き残りたいという打算からだ。
記憶を失っていても、IT機器を操作する能力は忘れていなかった。
だから、自分はアーヴァーズ・エ・ハークという組織の役に立った。
しかし、それは組織を心から愛しての行動ではない。
イランを心から愛しての行動ではない。
ただ、自分が可愛かった。それを、斎賀は自分の弱さだと思い込む。
が、ハサンはそんな斎賀の心を見透かしたかのように言った。
「お前さんは、弱くないよ。日本が攻撃されると聞いて動揺する。それは、お前が祖国への愛を忘れていないからだ。家族への愛を忘れていないからだ。俺たちも同じだ」
「じつは、おれも大切な家族をジェマナイに殺されたんじゃないかっていう、漠然とした感覚があるんだ……」
斎賀は、言葉を絞り出す。
「思い出せないのか?」
「ああ、今はまだ思い出せない。しかし、俺はその記憶を思い出したときの自分が恐ろしい。復讐の鬼に取りつかれるんじゃないかと」
「お前は、そうはならない。オガーブ」
ゆっくりと、しかし確実に信じているという調子で、ハサンはそんなふうに斎賀に言葉をかけた。
「俺は、お前が状況のために最善を尽くすということを知っている。シャヒーンを修理してくれたとき、俺はそれを感じた。お前はそのとき、自分の利益のことなど見ていなかった。ただ、目の前にあって、こなさなければいけない仕事だけを見ていた。お前が記憶をなくしていてもな……俺は、お前がプロだと思うよ。プロは、そんなに簡単に崩れない」
斎賀は驚いて、目を開いた。
自分にとって、自分が見えていなかったと思ったからだ。
自分は、丸裸のような心理でアーヴァーズ・エ・ハークのメンバーたちとつきあっていた。
とっくに、彼らは斎賀を受け入れていたのである。
そこにあったのは、心地よい暖かさだった。
斎賀は思った──自分は、この組織を裏切れない。
彼らは、俺を拉致した。しかし、同時に俺を救ったのだ……そう思ったのだった。
「ありがとう、ナグシェ。俺は、簡単には組織を裏切らない。ここから逃げることはしないよ。離れるときは、必ずそれを告げる」
それが、斎賀の決意の言葉だった。
アーヴァーズ・エ・ハークの話はここで一区切りです。




