150.アーサー・カリニン
アーサー・カリニンの話です。
今、トムスクの空港からは、3機のヴェトル(Vetr‐90)が飛び立とうとしている。
Vetr‐90とは、ビッグマンの空中輸送に特化した、超大型の輸送機である。
彼らはどこへ向かおうとしているのか? ──それは、日本だ。
3機のうち1機には、アーサー・カリニン二将が登場している。
日本の三沢基地からマレーシアのクアラルンプールまで、3機のヴェガⅡを輸送して参戦する。
カリニン以外の残り2人のパイロットとは、日本で合流する。
それが、彼に任された作戦である。
(一体、日本でどんな士官が待ち受けているのか? ネオスだろうか、人間だろうか?)
……そんなことを思い迷うのだった。
対象となる士官の暗殺を防ぐため、カリニンが誰と合流するのかはぎりぎりまで明かされない──そういう作戦だった。
やがて離陸したVetr‐90の窓からは、春小麦の収穫を終えた麦畑の閑静な光景が見えた。
ところどころに、解け残った雪の塊がある。
故郷のチェリャビンスクでもよく見られた光景だ。
その地下には、ジェマナイの巨大なサーバーが広がっているはずだった。
22世紀の初頭、ロシアは強い国だったし、美しい国だった。
いくどかの紛争を乗り切り、第四次世界大戦をも乗り切った。
その大戦が始まった当初のアーサーの年齢は、15歳である。
しかし、そのつかの間の勝利と平和も、ジェマナイがすべて書き換えてしまった。
ジェマナイは、モスクワおよびサンクトペテルブルグに粒子気化爆弾を投下し、両都市は廃墟になった。
何が目的なのか、誰にも分からなかった。
破滅的な戦争ばかりを繰り返す人類を粛清しようとしているのだ、と言う者もいた。
1.5億人いた人口は、一気に2400万人にまで減った。
インフラは破壊され、人々の脳裏を虚無がよぎった。
そうした悲惨な現実を、アーサーは見た。
しかし、なぜかロシアを離れることはできなかった。
ジェマナイが我々を攻撃してくるのであれば、自分は徹底的に抵抗する……そう思ったのだった。
そして、反ジェマナイのパルチザンに参加する。
アフリカやアジアに亡命した連中は良い。
だが、このロシアはこの国に残った人間たちのものだ!
しかし、虚無を見せた後のジェマナイのふるまいは違っていた。
次々と、ヨーロッパやアジアなどの主だった大都市をビッグマンで制圧していくジェマナイ──
だが、そこでは一切無意味な殺戮を行わないようになった。
ヨーロッパでは、ベルリン、パリ、ローマ、チューリッヒ、バルセロナなどが粒子気化爆弾で破壊された。
南北アメリカ大陸の大都市も同様である。
人々は田舎に集まり、なんとかその人生と生活を保つのに必死になった。
その一方、ジェマナイの直接統治を受けるロシアおよびアジア諸国は、第四次世界大戦の混乱を払拭するかのような平和と安逸に包まれたのだった。
そこで、アーサー・カリニンは(自分は何のために戦うのか?)という自問にさいなまれた。
そうした時だった。現在の妻であるエレーヌと出会ったのは。
人口2400万人に激減した世界のなかでも、人はなにかを守りながら生きていくしかなかった。
そして、子供たちが生まれた。
今、アーサーとエレーヌの間には、1人の娘と1人の息子がいる。
決定的な転機は、その時におずれた。
──自分は、ジェマナイに魂を売ってでも、彼らの命を守ってみせる!
そして、アーサー・カリニンはジェマナイの空軍に参加したのだった。
そして、ビッグマンを駆る部隊の総大将となった。
そして、今現在の戦術特務二将という地位である。
だが、トムスクを離れる前にも、胸のうちに不安をもたらす噂があった。
すなわち、ジェマナイがバグダッド市内に向けて劣化ウラン弾を放ったというのだ。
それは、核に比肩しうる、凶悪な武装だった。
そして何よりも不審をかきたてる最たるものとして、前線の子ルーチンたちが劣化ウラン弾の使用をいやがっている、そんな報告があがってきた。
(リュシアス様は、いったいどうしたのか?)
誰よりもリュシアスに心酔していることは、アーサー本人以外の誰にも秘匿されていた。
アーサー・カリニンは親ネオス主義者だったが、家族にもそれは明かされていなかった。
(戦いは思想によって左右されない。勝つのは、つねに己に打ち勝ったものだ)と、カリニンは考えていた。
今回のマレーシアの作戦も、現地にいる部隊を動かせばよいもののように思われた。
しかし、リュシアス一将の考えは違っているのだ。
周囲から見て、リュシアスは誰よりもジェマナイの意向に従っているように見えた。
トムスクにある「礼拝堂」には、一人引きこもって何時間も出てこないことがある。
当然ながら、そのとき周囲にいる者たちはリュシアスを引き戻そうとはしない。
(きっと高度な演算をしているのだろう。我々人間には分からない……)
そんなカリニンの考えは、当たっているとも言えたし、外れているとも言えた。
リュシアスは優秀な子ルーチンながら、誰よりも人間的な性情をもっていた。
正直に明かせば、リュシアスは周囲にいる人間とネオス全員にたいして、慈愛の心で接していたのである。
(では、彼女の仮面はいったい何なのだろうか? そうした優しさを見せないためか?)
機体はそろそろ、ゴビ砂漠上空にさしかかっていた。
アーサー・カリニンは読書にも飽きて、窓の外にある光景を見下ろす。
その巨大な砂漠は、粒子気化爆弾何個分で作れるものだろう?
と、とりとめもないことを考える。
そんな時だった。
日本の三沢基地からのMVによる通信が入った。
ヨウコ・ミウラ大尉という科学士官からの連絡である。
「アーサー・カリニン二将。遠路はるばるお疲れさまです。こちらでは、すでにあなたに合流する士官の準備も整っています。ご憂慮なきようにお願い申し上げます」
「敬語がすぎるな? 日本人というものは、いつもそうなのか?」
アーサー・カリニンがそう問うと、ヨウコは驚いたような顔をした。
「そのように感じられましたか?」
「うむ」
「きっと、まだロシア語に十分慣れていないせいでしょう。わたしはジェマナイに賛同しておりますが、ロシア語は難しいです。いつか、トムスクも訪れることができればと思っているのですが……」
「リラックスしたまえ。たしか、君は大尉だったな?」
「はい。今年の6月付で大尉に昇進しました」
「それでは、何かと気苦労も多いだろう。わたしのことは、大げさにもてなす必要はない。そもそも、日本には半日しか滞在しないのだからな」
「ご配慮、いたみいります」
ヨウコが頭を下げる。
「だから、それが余計だと言うのだよ、大尉」
そう言って、アーサー・カリニンはくつくつと笑った。
ロシア連邦のどこかでは、過去にはいつも見られていたような笑いである。
「分かりました。今後気を付けます」
「そうしてくれ。そのほうが、ジェマナイ空軍での君の昇進も早くなる。わたしはこれからちょっと瞑想する。通信を切ってもいいかな?」
「は。大丈夫であります。良い時間をお過ごしください」
MVの画面の向こうで、ヨウコが敬礼の姿勢をとった。
アーサー・カリニンもまた敬礼をして、画面のスイッチを切る。
この旅路が始まる前、カリニンは娘のカーチャからこんなことを聞かれた。
「お父さん、ネオスって恐ろしい人たちなの?」
「恐い者もいれば、そうでない者もいる」
カリニンはそう言って、誰にともなく苦笑した。
娘のカーチャは、
「だって、一度はわたしたち人類を滅ぼそうとしたんでしょう?」
「そうしたのは、ジェマナイだ。ネオスじゃない」
「でも、お父さんがそんなネオスたちと仕事をするのが、心配だな。必ず帰ってきて?!」
「それは約束できないが、全力で生き延びるように努力するよ。お前とイワンも、全力で母さんを守ってくれ。いいな?」
「わかった。だから、きっとよ……?」
カリニンは、15歳の一人娘を抱きしめる。
しかし、カリニンが聞いていたのは、今回の作戦に参加するビッグマンのパイロットは人間だ、ということだった。
もうすぐヴェトルは日本海上空に到着する。
あまりにも冷静で鉄面皮とも噂されているカリニンの額に、そっと汗の滴が流れた。
そして、今度は瞑想の時間だ。
ジェマナイの側にもこうした人物がいます。




