142.偽りの入信
アド・ルーメンに潜入するマリア・オリヴェテです。
「ふざけないでちょうだい! なんて恥知らずなの! なんて偽善的な!」
と、通りに出たマリア・オリヴェテは思わず口にしていた。
天候は、天気予報は見事に外れた悪天気で、今にも雨が降り出しそうにしている……
マリア・オリヴェテは、さきほどアド・ルーメンの集会堂から出てきたところである。
トート・バッグのなかでは、隠し持った拳銃が鈍く黒い光を放っている。
その顛末は……
実は、数日前にウィンストン・エヴリール(カドリール・ヴァレンタイン)から定例の電話があった。
「あなただけには、統合戦線の現状をお伝えしましょう」
そんなふうに、エヴリールは毎回マリアに言うのである。
ウィンストン・エヴリールは、「自由の木」のなかでもかなりコアな部署に所属しているメンバーらしかった。
軍の詳細な情報なども、マリアに伝えてくることがある。
その日の電話は、そんな電話の一本だった。
いわく、
「ジェマナイから統合戦線に1体のネオスと1体のビッグマンが亡命してきました。ことは厄介な状況です」
マリアははっとした。
その亡命者とは、実はスパイなのではないか? と。
ウィンストンの考えも同じらしかった。
彼は言う、
「このままでは、統合戦線は乗っ取られてしまいます。ジェマナイは、故意に亡命者を送り込んできているのでは? とわたしには思われるのです……」
「わたしにもそのように思えます。その亡命者は危険なのですか?」
「ジェマナイの高位の子ルーチンです。統合戦線で言えば、『ネオス』ですね。あなたも心安らかではないでしょう?」
「ええ、もちろん。ジェマナイがネオスを統合戦線に送ってくるなんて! スパイに決まっています!」
マリアは激高した。
電話口の向こうで、ヴァレンタインはにやりと微笑している。
「じつは、先日あなたにお話しした、アルハジ・ムタリブ氏の襲撃とはべつに、このネオスを襲う、という計画も我々のあいだではあがっているのです。あなたにはその手伝いを……」
「とんでもない! わたしの標的はアルハジ・ムタリブ最高賢者です。それは、変わりません。それと、ミューナイトというパイロット」
「ミューナイトのことは置いておきましょう。わたしも、軍内の事情にそれほど詳しいわけではないのです」
ヴァレンタインは遠慮がちに口にした。
「でしたら……わたしが……」
「ははは。あなたには荷が勝ちすぎますよ。スパイの真似事はできないでしょう? 今は現実路線を探りましょう」
「現実路線って?」
マリアは、思わず身を乗り出した。電話を握りしめる手が、固くなる。
「あなたには、アド・ルーメンに入信していただきたい」
「なんですって?」
受話器を握る手が、熱くなった。唇がふるえる。
あの、我々の敵たるアルハジ・ムタリブの指導する教会へ、エヴリールは入信しろと言うのだろうか?
いや、しかし、そこには意図があるはずだ、なんらかの。
マリアの胸中はざわつく。
自分が不確かながらも、意味の深い場所に置かれていることを感じる。
そうして、そんな高揚感は、マリアの今までのすべての矛盾を飲み込むような様相を見せ始めていた。
「なぜわたしが……そんな……今までの信念を覆すようなことを?」
マリアはたどたどしく聞き返す。
それにたいする、ヴァレンタインの答えははっきりとしていた。
しかし、その考えはその場で即興で思い浮かんだもののにようにも思われる……
「あなたには、アド・ルーメンに潜入して、そのタカ派と接触していただきたいのです」
「タカ派と?」
「そうです。宗教組織というのは、いつでも反勢力を内包しているものです。アド・ルーメンのなかにも、最高指導者さえ葬ってしまえれば、と考えている者は必ず存在します。あなたには、そうした連中と連携してほしいということです」
「それは、重大な任務ですね?」
マリアは慎重に言葉を選ぶ。
「その通りです。これは、あなたでなければできない。教育者として、様々な人の心の機微を見知っているあなたでなければ」
ヴァレンタインの言葉は巧みだった。
それが、マリアの心を徐々に浸潤していく。
「ですが……それが、わたしたちの活動を確実に利するのですか?」
「ええ。確実です。やがては、あなたのアルハジ・ムタリブ暗殺をも助けることになります」
……事はそんな次第だった。
マリアは、ミリアム・エスカローナの急進的な意見には完全に賛意を示していた。
しかし、アルハジ・ムタリブ最高賢者やテンベ・ンジョロの日和見的なものの見方には、どうしても賛同できなかった。
この国の事態は、彼らが考えているよりもずっとせっぱつまっている、と思われたのである。
それは、彼女がダルエスサラームで見た、この国の現状とも完全に合致していた。
──この国では、子供が犯罪に走るような現状がまかり通ってしまっている。わたしたち大人は、それを正さなければならない。
雨が降ってきた。
マリアはコートの襟を立てる。
マリアは、先ほど彼女に接触してきた3人のことを思い出していた。
(彼らは頼りになる……)
その3人とは、アド・ルーメンのタカ派グループのメンバーであった。
最初に声をかけてきたのは、ザネレ・カシンガという黒人女性である。
集会堂でオルガンの演奏をしていた。
協会の音楽を担当しているのである。
そして、演奏中に不穏分子を見極める、という役目を担わされている。
その立場を逆手にとって、彼女はタカ派のグループ「ムジムの盾」のメンバーを勧誘していた。
その日のマリアの不穏な動きが、彼女には即座に気になったのだ。
マリアだけは、全員が祈りをささげている場面で、ただ一人頭を下げていなかった。
その存在は、明らかにその場から浮いていたし──彼女は記憶力が抜群に良い──マリアの顔はそれまで一度も目にしたことがなかった。
礼拝中に一人だけ頭を下げない新人……それは、明らかに異端者である。
集会が終わった後、彼女はそそくさと立ってマリアのそばに駆け寄った。
「もし、あなた……反アド・ルーメンの方ですか?」
ザネレはそう問いかける──マリアははっとした!
「なぜ? そんなことをおっしゃるんです? わたしは敬虔な……」
マリアは警戒する。
「安心してください。教団内でも、わたしたちは異端なのです。リーダーに紹介します」
そしてそのまま、マリアはマティアス・ンコモという中年の白系男性のもとへと連れていかれた。
その傍らには、また別の女性が控えていた。名をアヤナ・ムテッサという。黒人女性である。
マティアス・ンコモは、いきなりこう切り出した。
「安心してください。我々は、特殊なセンサーであなたが拳銃をもっていることも知っています。ですが……これは、幹部たちには伝わりません。なぜなら、わたしが止めるからです。ようこそ、『ムジムの盾』へ。わたしたちは、あなたを歓迎します」
マリアは顔をしかめた。
こんなきな臭い話があるだろうか?
たしかに、エヴリールは教団内のタカ派と接触しろ、といった。
しかし、これではあまりにも都合が良すぎる。
まるで、エヴリールの罠にはめられたかのようだ……マリアはさらに警戒した。
しかし、その緊張を解きほぐすように、マティアス・ンコモは言うのだった。
「ウィンストン・エヴリール氏も、我々の同志ですよ」
マリアは驚いた。
周囲では、人波が集会堂の出口へと向かって整然と移動していた。
そのなかで、マリアの周囲だけが異空間のようである。
マリアは、2度、3度と周囲を見回した。
彼らに注目している者はまったくいない。
彼らは……見事に教団内に溶け込んでいるのだ。
いや、教団を内部から変えている者たちであるのだろうか?
マリアの思考がじゅんぐりに思いを巡らす。
「で? わたしに何を……?」
勇気をもって尋ねる。
「あなたが最高賢者に不信を抱いていることは、知っています。……アルハジ・ムタリブを暗殺したいのでしょう?」
マティアス・ンコモは言うのだった。
これで第七部は完結です。次章以降は第八部になります。




