141.軍人の宿命/軍人の休息(2)
ミューナイトの部屋でインセンスが焚かれていたことを怪訝に思うセラフィアです。
「ムスクのインセンス? 何のためだ? お前は今瞑想でもしていたところなのか? だとしたら悪いことをしたが……しかし」
セラフィアは、少し動揺しているように見えた。
「しかし?」
と、ミューナイトも尋ねる。
「ネオスは瞑想なんてしない。普段が瞑想しているようなものだからな。わざわざインセンスを買う子ルーチンを、わたしは見たことがない」
「そうかもしれないわね。でも、これは瞑想とは違うの」
「瞑想とは違う?」
セラフィアが片方の眉を寄せる。
「ええ。わたし今、お弔いをしていたの……ムルマンスクで死んだ1人のネオスのためよ」
ミューナイトは、そこまでをよどみなく答えた。
もとより、セラフィアにたいして秘匿しておくべき事柄でもなかった。
セラフィアが部屋のなかを見回すと、クローゼットのそばの小さな本棚のなかに、光る小さな緑色の石が置かれている。
あとで分かったが、それはかんらん石というストーンだった。
ムスクのお香が焚かれていたのは、その前でである。
(まるで小さな祭壇だ……)と、セラフィアは思う。
こんなことをする子ルーチンとは、セラフィアは今まで会ったこともない。
今、目の前にいるミューナイトがそんな初めてのネオスだった。
(このネオスは、こんなにも特殊なのだろうか?)
そう考えると、セラフィアは少なからず狼狽する。
──「声」が聞こえてきたからとは言え、これから先自分はこのネオスのパートナーをつとめていけるのだろうか?
セラフィアは、かろうじてこんな疑問を絞り出す。
「それで、そのネオスの名前はなんと言ったんだ? 分かっているのか?」
「マリア」
ミューナイトははっきりと口にした。
セラフィアは愕然とする。
それは、ムルマンスクで二重工作員として活動していて、ジェマナイに粛清された子ルーチンの名前だった。
あの出来事は、その当時のセラフィアにとってはなんでもない日常の出来事だった。
しかし、それは今ショッキングな記憶となって、彼女のなかに立ち上がってくる。
「お前は……」
「お前はあのとき砂漠で、こう言った。……わたしたちは何人も人とネオスを殺している。味方の血がそこに加わったとしても、意味はない。……と。あれは嘘だったのか?」
「嘘じゃないわ。わたしは今でもそう思っている。でも、この死は特別なの。彼女は死ぬべきじゃないのに死んだ。わたしたちの──サイガとわたしとの潜入行為のために。彼女の死は、戦争のもたらす避けきれない罪の形なのよ」
「つまり、戦争が原因で彼女は死んだ、と? もともと工作員だったのだろう?」
「ええ、そうだった。でも、死ぬべきじゃなかった。忘れられないわ。忘れてはいけない」
「理屈が合わないな……」
セラフィアはため息をつきながら言う。
「そうかも、しれないな」
ミューナイトは目じりの涙をぬぐった。泣くネオスも珍しい。
セラフィアは何も聞かなかった。
ただ、今このネオスは当のマリアのことではなく、斎賀のことを思い出しているのでは? そう思えた。
彼女自身が砂漠に置き去りにした人間。
ミューナイトのコパイロット。
その彼女のコパイロットを、これからは自分が務めることになる。
それを今彼女に明かすべきかどうか、セラフィアは迷った。
なぜなら、ミューナイトはマリアというネオスの死を、斎賀のMIAと重ね合わせて見ているに違いないからだ。
本棚には、何冊かの本が収められていた。
スタインベック、エドガー・ポー、ライナー・マリア・リルケ。
──ドストエフスキーやトルストイでもあるのかと、セラフィアは思っていた。
しかし、どうやらミューナイトというネオスは相当のスノッブらしい。
ラブクラフトやルイス・キャロル、トールキン、ヤンソンなんていう名前も、そこにはあった。
すくなくとも、ドストエフスキーやトルストイは見当たらない。
「お前今、サイガのことを思い出しているんだろう?」
本棚の本のうちの1冊を手に取りながら、横目にセラフィアは尋ねた。
「サイガ・シンイチのことを? なぜ?」
「だって、奴が死んだならば、それはわたしたちのせいだ」
「『わたしたち』じゃないわ。あなたのせいよ?」
はっきりとミューナイトは決め切った。セラフィアは呆れる。
このネオスは、未だにわたしを子ルーチンとして警戒しているのだろうか?
それでは、クワメ・オバデレの思惑は外れるかもしれない。
それだからこそ、あらためて聞いてみたいとも思った。
「ミューナイト。これから先、わたしがお前のバディを務めることになるかもしれない。お前はどうなんだ?」
「その話なら、少し聞いている。命令なら、従うわ?」
「辞令はまだ降りていない?」
「ええ。整備班のメンバーから聞いたの」
「そうだったのか……。どうやら、オバデレは先走ったな……」
「あの准将の心中は、わたしにも分からない。でも、ダレンザグ中尉ならプライムローズをうまく扱えると思う」
「お前も先走っているよ(笑)」
そう言って、セラフィアは笑う。
自分は、未だにプライムローズを降りるとは言っていないのだ。
とすると、ミューナイトはすでにわたしがコパイロットになることを受け入れてしまっているのかもしれない。
だから聞いた。
「お前は、わたしがコパイロットでも不満はないんだな?」
「最強の戦果が上げられるなら。──そのためには協力してもらうわ、セラフィア少佐」
セラフィアは笑わず、まっすぐにミューナイトの瞳を見つめた。
その瞳の光とは別に、部屋のなかでかすかな光が光っている。
なんだろう? と、セラフィアは思った。
「セラフィア少佐」──というある意味での呼び捨てとは別に、そのことのほうが気になった。
「この光はなんだ? ミューナイト?」
「あ? オーロラ!」
ミューナイトは、今度は明るく無邪気に言った。
ちょうど、南からの日差しと西日とか切り替わるころ合い、この部屋のすりガラスの窓を通してくぐもった光が部屋のなかに差し込む。
それが半開きにされたカーテンによって回折すると、室内にオーロラのような光が現れるのだ。
ミューナイトはそのことを言っていた。
「オーロラか、美しい比喩を使うんだな……」
セラフィアは感心して言った。
このミューナイトというネオス。本当に人間的なのか真にネオス的なのか分からないところがある。
人間的な子ルーチンというのもジェマナイでは珍しかったが……
例えば、室内に大量の本を持ち込んで、1室の図書館のようにしてしまう子ルーチンなどはいた。
それは、今から思えば人間的な姿だろう。
どうやら、ネオス的、人間的、という様相の本質を、自分は見誤っていたと見える……
セラフィアは、それまでぱらぱらとページをめくっていた本を本棚に戻しながら、こう言う。
「お前は、本当に不思議なネオスだよ、ミューナイト」
ミューナイトはこう答えただけだった。
「あなたもよ、セラフィア少佐。あなた、今は空軍の施設に住んでいるの?」
「いや、違う。アルスレーテに来て以降、ホテルに軟禁状態だ。落ち着いたら、市内にフラットを借りようと思っている。……子ルーチンとしての、わたしの口座が凍結されていなければ、だが」
それは……きわめて俗な会話だった。
この場合、セラフィアのほうがむしろ「人間的」である。「生活的」である、とも言えた。
それくらい、ミューナイトの生活は「精神」の彩を強く帯びていた。
そのことを、再度セラフィアは「意外」だと思う。
自分が惹かれるようなネオスであれば、さぞかし「兵器」のような個体であろうと思っていたのだ……
こう、静かに切り出した。
「わたしのバディになってくれ、ミューナイト。これからはよろしく頼む」
「わたしからもよ。ライジングアースの機嫌を損ねないように、うまく扱ってね」
セラフィアのそっと差し出した手を、ミューナイトがとって握りしめた。
一応の和解はなったようですが……




