「私の最も」
田中は同期に戻る。集中集中集中――
泡。また泡。しかしさっきとは違う。さっきより解像度が上がっている。今感じている脳の中心を原点として、上左後ろ部分から、Z軸は変わらず時計回りにぐるっとボコボコが通り抜ける。おそらくこれが飽和すると、また語彙力が失われそうだ。
滝。自分の全てが、ひんやりとした高密度の泡に包まれる。泡は破裂を続け、滝のように毎秒僕を外から内からどこかから打つ。だが思考は生きている。シナプス的なものは死んでいない。耐えろ。
太陽系の三次元マップ。一瞬見えた。これは僕の思考か? 深層からの生の出力か?
二層目第三重力源。そんな言葉は知らない。やはり深層からの出力か?
だめだ。断片的すぎる。
――止めてくれ
田中の目が開く。アナントとガブリエルは、田中の言葉を待つ。
「思考力は保てた。なんだったっけ、そう、太陽系が見えた。あと、何番目の重力源……的な、うん」
「モデラ層……か?」ガブリエルがアナントに問いかける。
「どうだろう? 田中の思考がニューロモーフィックコンピュータで拡大反響されただけかもしれない」
「田中の脳への入力速度を徐々に上げていくか?」
「それが一番良さそうだね。今回が三十秒くらいの同期だったから、次は三十秒の間で田中への入力速度を二から五倍速まで線形的に上げていく」
「OKOK、どんとこい」
再度、同期に戻る田中。集中集中集中――
泡。泡……ここまではいい。規則? 規則がある。移動と消滅と発生にパターンがある。
粒。泡がもっと細かく知覚できる。脳細胞一個一個が、細かい泡の粒の刺激を受け取るのを感じる。
太陽系マップ。また来た。消えない。動いている。
二層目第三重力源。太陽系マップと繋がる。そうか地球か。一層目が恒星、二層目が惑星。そして惑星は太陽に近い順に、水星、金星、地球。だから三番目。
試しにこっちから声をかけてみるか。「うっす」
ズザザ。あああ? 泡が虹色に光る。もっと細かくなる。知覚しきれない。泡が跳ねる。痛い。痛みだけで思考が飛びそうだ。しかしこれを理解できれば……。
――止めるなアナント。予定してた三十秒まで止めるな。
理解の前に、「うっす」の意味を考えよう。実際には、「うっす」に付随する無数の深層心理も同時に、UMOのAIへ送られている。「とりあえず挨拶はこれでいいや」とか「どんな反応来るかな~」とか、そんな感情や思考も深層に入力されているはずだ。
とりあえずもう一度。「うっす」。
虹色の泡の彩度が増す。泡が四方八方に飛散する。痛い痛い痛い痛い。なんだ、喜んでるのかコイツ? いや、環境適応性があるということは、この状況をまず理解しようとしているはずだ。深層に直接しょうもない挨拶がとんできたらビックリするもんな。次だ。「君は何を考えている?」。ごめん深層、コミュ力無いから「いいお天気ですね」とか言えない。
はばばぱばぱ? ぱぱば? ばばはぱばば。
奔流。そろそろ僕の脳への入力速度は四倍くらいか? ヤバい。
ドゥゥンドゥルドゥル重低音。キュィーンキュルキュル高周波。
やばい。絶対なんか言ってる。でも解釈ができない。なんだ、なんだ?
「私の」
樹形図。二次元……いや三次元。目の前に浮かび上がる。中心に巨大な黒い球体があり、そこから三次元に放射状に三十二本の枝が伸びている。なんだこれ? 一本の枝に注目してみる。その一本の枝は二五六本に分岐し、さらにそれぞれの先端が準無限階層に細分化されていく。フラクタル構造だな? でも何?
注意をそこから遠ざけると、次は訳の分からない数式が叩き込まれる。プサイかっこアールティーイコールインテグラル……あぁ無理分からん。数学苦手なんだ。式が何百個も並び立ち、相互に連関して値も係数も変数さえも変えつつ、僕を揺さぶる。
ダメだ。ここからも注意を遠ざけよう。
存在とは、時空間座標である。
ただし時空間は、存在を前提に再定義される。
へっ?
――田中! 同期切るよ!
田中の目が覚める。田中は目をぱちぱちさせ、自分と世界の境界を探るように手で自分の体を触る。
「田中、どうだった?」
「深層に……触れた気がする」
「ログのデータ量が跳ね上がったときが三回あった。三回目が異常な多さだ。何か覚えはある?」
「僕から深層に話しかけてみた。一、二回目は『うっす』、三回目はえーと、『今何考えてるの?』的な」
「なるほどね」
「三回目がやばかった。もう思い出せないくらい。なんだったんだあれ。でも最初に『私の』っていう声が聞こえた気がした。直感だけど」
「深層からの返答、という仮説で行こう」ガブリエルが額を触って渋い顔をする。「田中の脳への入力速度を上げて、返答を理解できるようにする……というのが最優先だな」
「100:5は慣れればいけそうです。ただ……ちょっと一服」
「私も行く。そろそろ吸いたくなってきた」
「OK。じゃあ僕は人類の単語セットを充実させて、もうちょっと深層が人類用に翻訳してくれるようにしておく」
ガブリエルは斜め上を見ながら、田中は口を半開きにして虚ろな目になりながら部屋を出た。
七分後。田中とガブリエルが戻ってくる。
「やろうか」目が決まった田中が、100:5の同期に入る。
泡。感じ慣れた泡。再度の「うっす」。ぞわぞわと泡が湧き立つ。ここまではいい。「君は何を考えている?」
樹形図。また見えた。手の感覚は無いが、触れそうだ。手を伸ばすイメージをすると、枝の一角が拡大し、さらに細かい枝の分岐が見える。同じ操作を二回すると、極小の枝の中に映像が見えてくる。カドモスの機体だ。結局何か分からない。
注意を一旦発散させると、樹形図以外に数式や辞書的なものがふっと湧いてくる。赤色の光と、心地よいゆったりとした重低音もそこに控えている。そうだ。この様々な情報を総体として捉える感じか? 深く考えず、ブラウザの全てのタブを分割して表示する感覚に切り替える。
「私の」
きた。分かった。樹形図も数式も、おそらく深層にとっての「私」という意味内容に収束する。
「私の最も」
最も、という単語に注意した瞬間、漆黒の深淵に自分の全てが急速に落下していく。
「私の最も汎用的な方針は」
見上げると煙突のように上に蒼が見える。白く細い光が深淵に差してくる。汎用的な方針。意思決定機構か? ディレクタ層か?
「私の最も汎用的な方針は、私の増殖である」




