逆方向の兵糧攻め
正直なところ、もう少し部屋に引き篭もっていたいのだが。
昨日のうちに部屋を出て図書室へは行くことが出来ているので、食堂まで行くこともできるはずだ。
一人だったらあと一週間は引き篭もっていたかもしれないが、私には花蓮がいた。
一人ではないので、知らない場所へもなんとか出て行ける。
……たぶん、それが一番。
昨夜もエンマが食事を部屋まで運んできてくれたのだが、その量が目下の悩みの種だ。
気のせいでなければ、回を増すごとに量が増えている。
私も花蓮も、出された食事を残すことには抵抗があったので、時間をかけてすべて食べていたが、そろそろ限界だ。
これはむしろ逆方向の兵糧攻めではないかと、疑ってもいる。
「レンちゃん、朝だよ。エンマが朝食を運んできてくれる前に、食堂に行こ」
「んんー?」
昨夜はロフトベッドで眠った花蓮の肩を揺すって起こす。
もぞもぞと動き始めた花蓮を確認して、自分はロフトの下でパジャマから制服のローブに着替えた。
脱いだパジャマ等の着替えは、籠へ入れておくと部屋から出た時に回収され、夕方には洗濯された状態でクローゼットへと戻っている。
部屋から出ると回収される、ということは、ようは妖精の仕事ということだ。
カーテンを開いて窓を開けると、朝の少しだけ冷たい風が部屋の中へと入ってきた。
季節は日本と同じだ。
ちょうど春の中頃か、少し過ぎたかといった気候で、過ごしやすい。
「おはよー、リン」
「おはよう、レンちゃん」
花蓮が寝ぼけながらも着替えているうちに、昨夜エンマが持ってきてくれた鏡と櫛を使って髪を整える。
どうせ子どもに見られるのなら、より子どもっぽくしよう、とハーフアップにしつつも二つに結んだ。
そうしている間に花蓮の着替えが終わったので、椅子へと呼んで髪を整える。
故意に私たちの印象が変わるように振舞っているので、花蓮の髪型はポニーテールだ。
「……食堂は初めて」
「私は昨日来たけどね」
花蓮と連れ立って食堂まで降りる。
朝七時ぐらい、という時間帯のはずなのだが、意外に人の姿がない。
そのおかげか、少しだけ肩の力が抜けた。
「いっぱい料理が並んで……」
はて? と厨房と食堂の間に置かれた台を見て首を傾げる。
ホテルのビュッフェスタイルのように朝食が並んでいるのだが、そのメニューが一昨日から見ている物とまるで同じだった。
違いがあるとすれば、あの甘い赤い物体がないことぐらいだ。
ハーブティーと紅茶があることは花蓮から聞いていたので、『違い』というほど気にならない。
「……もしかして、ずっと同じメニューなの?」
「さすがに『ずっと』じゃないよ」
誰ともなしに呟いただけなのだが、料理を追加で並べに来た給仕の男性が私の疑問に答えてくれた。
さすがに『ずっと』ではなかったか、と安心したのは一瞬だけだ。
給仕の言う「ずっとじゃない」は、「来月になれば変わる」という意味だ、と言葉が追加される。
「つまり、来月までは毎日同じメニュー?」
「もしかして、来月も次の月まで同じメニューだったりするの?」
そんな馬鹿な、と思いつつ給仕に確認すると、給仕はそれのどこが不思議なのか、という顔をして頷く。
季節が変われば採れる野菜の種類も変わるので、同じメニューは作れない、と。
……それ、野菜の種類が変わるだけで、サラダと野菜スープは固定なんじゃ?
給仕によると、メニューは固定が当たり前らしい。
ついでに言えば、魔法棟はレアンドロの契約精霊であるエンマの力が強く、使用人の数が騎士棟等他に比べて少なく済んでいる。
そして、浮いた予算で食事事情については他の棟よりも良いほうなのだとか。
「……他の棟だと、どんな感じなんですか?」
「まず紅茶はない。飲みたかったら実費徴収。パンも選べなかったはずだけど……肉も魚も選べなかったな。あ、いや……選べるようになったんだっけか?」
随分曖昧だな、と思っていたら、鶏肉については十年ぐらい前から養鶏が始まって、安定供給されるようになったらしい。
いち早くその恩恵にあずかれたのが魔法棟で、そのため魔法棟では肉か魚かが選べる。
「……でも、調理法は毎回同じなんですね。ソテーと香草焼き」
「え? 普通だろ?」
どこが不思議なのか、と再び首を傾げる給仕に、花蓮と顔を見合わせる。
魔法棟は食事事情については良い方らしいのだが、毎食同じメニューが並ぶことになんの疑問も持たないらしい。
……これが文化の違い?
……レンちゃん、なにかお料理できたっけ? 私、毎食同じものは嫌だよ。
……お菓子なら少しは作れるけど……、リンは?
……もっとお母さんのお手伝いしとけば良かった。
とはいえ、母の手伝いをしていたとしても、カレー等の市販のルーやソースを使うものは作れなかっただろう。
我が家の両親は共働きで、スパイス等で一から料理を作るような時間の余裕はなかった。
頻繁に母の手伝いをしていたとしても、やはり覚えたのは市販のルーやソースの世話になる料理だっただろう。
「シチューなら、なんとかなる気がするんだよね」
「ホワイトソースは確か……バターと小麦粉と牛乳だったはず? 分量知ってるの?」
「知らない。そこはお店を開くわけじゃないし、失敗しても食べるのは私とリンだし」
気にしない、気にしないと笑う花蓮の横で、料理人が苦笑いを浮かべている。
花蓮は昨日厨房を借りることが出来たから、と厨房に声をかけ、今日も厨房の使用許可を取った。
朝の忙しい時間に料理人たちの仕事の邪魔になるのでは、と一応花蓮を止めはしたのだが、これは私の思い違いらしい。
朝七時という朝食の時間にも関わらず食堂に人がまばらなのは、生活のリズムが魔法師と日本人とで違いすぎたからだった。
まばらにいるこの時間の食堂利用者が食べるのは『朝食』ではなく『夜食』である。
徹夜で趣味か仕事の研究をして、寝る前に小腹を満たしに来ているのだとか。
では、朝食を食べに来る魔法師はいないのか、となると、今度はゆったりプランの十時ぐらいから姿を現すらしい。
朝食を食べよう、と朝七時から起きだしてくるような人間は、魔法棟にはいないようだ。
そのため、厨房としては朝早い時間はむしろ余裕のある時間なのだとか。
「ほいよ、バターと小麦粉とミルクは牛のがいいんならひとっ走り行ってくる必要があるが……」
「あ、なんでもいいです。どうせ初めて作るから、味の違いなんて判らないし」
「それは『いい』って言うのか?」
「いいんじゃないかなぁ?」
失敗を恐れずに初めてのことに挑戦するのは、私には無理だ。
レシピを知っていれば作れるが、失敗してもいいや、と思い切りよくゼロから挑むなんて勇気は私にはない。
なのでホワイトソースへの挑戦は花蓮に任せて、私は私にできることをする。
私にだって、レシピを見ずに作れるものの一つや二つぐらいあるのだ。
「んで、妹ちゃんの方は何が必要だい?」
「えっと……パンと、卵と砂糖とミルク……です」
「ミルクはやっぱり牛がいいのかい?」
「……ごめんなさい。わかりません」
「いや、謝られるようなことじゃ……まあ、いいか」
花蓮の時同様に、目の前へと材料が用意される。
それでは始めるか、とボールを探して視線を彷徨わせると、料理人がボールを差し出してくれた。
では、パンを薄く切ろうか、と包丁を探したら、こちらは使わせてもらえなかった。
切りたい厚さを聞かれ、答えた通りに料理人がパンを切ってくれる。
ならば、とボールに卵を割りいれると、上手に割れたな、と料理人に褒められてしまった。
完全に子ども扱いである。
……あれ? 牛乳?
匂いからして、花蓮が使っていたミルクと違う。
なんとなく慣れた匂いのするミルクは、たぶん牛乳だ。
先ほどはどこかへ取りに行く必要があるようなことを言っていたと思うのだが、いつの間に用意したのだろうか。
溶いた卵に牛乳と砂糖を入れて混ぜ合わせる。
出来た液に薄く切ったパンを浸け、バターを溶かしたフライパンで焼けばフレンチトーストの完成だ。
……私がやったの、卵割って、混ぜただけだけどね。
花蓮は木べらを使ってホワイトソースを作っているのだが、私はほぼ見学だった。
この扱いの差はなんだろう、と考えて、花蓮は昨日のうちに厨房を借りているので、私より信用があるのだろう、と自分を納得させる。
いかにも私が何も出来そうに見えないから、ということではないはずだ。
たぶん、きっと。
「リン、野菜スープ二人分持ってきて!」
「わかった」
花蓮の持つフライパンの中身がホワイトソースっぽい形状になったので、野菜スープを投入して伸ばす。
これで『なんちゃってシチュー』の完成だ。
フレンチトーストとシチュー、追加で作った目玉焼きの皿にはサラダも載せて、朝食の完成だ。
これでようやく違うものが食べられる。
人の姿が少なかったので、部屋へは持ち帰らずに食堂で朝食を食べることにした。
時間のせいか、魔法師の男女比率のせいか、食堂には女性しかいない。
幸いなことに、先日の風呂のように構ってくる女性もいなかった。
基本的にこの時間に食堂へ顔を出す魔法師はイコールで結んで徹夜明けになるので、精根尽きていておとなしいのだろう。
……お風呂では玩具にされたけど?
基本的に、魔法師たちは他者に対する関心が薄い気がする。
子どもに見えるらしい私と花蓮が二人だけで食事をしていても、声をかけてきたりはしない。
感覚的に魔法棟は日本の学生寮や社員寮に近い扱いだと思うのだが、それらの閉鎖空間特有の暗黙の了解やいじめといった雰囲気を感じ取ることはなかった。
……学校も、こんな感じならいいのに。
日本の学校とはまるで違う雰囲気に、比べても仕方がないと思いながらも溜息がもれる。
日本特有らしい強すぎる同調圧力というものが、私はどうにも苦手だ。
日本特有なのか、子どもだからか、はまた別の話だった。
……あ、レンちゃん、レアンドロさんだよ。
……え? あ、本当だ。
食堂に入ってきたレアンドロの姿を見つけ、意外に思う。
《新月の塔》の偉い人なのだから、レアンドロはてっきり私室へと食事を運ばせているのではないか、と思っていたのだ。
ところが、実際には他の魔法師に混ざって食堂で食事を摂るらしい。
料理の並べられた台から好みのメニューを選ぶ姿が、なんとなく不思議で面白かった。
……あ、目が合った。
メニューを選び終えたらしいレアンドロと目が合う。
その瞬間に、気がついた。
レアンドロが普段から食堂を利用しているのかは謎だが、今日に限っては私と花蓮の様子を見に来たのだ、と。




