書かれざる願い
花火のあとの帰り道は、祭りの会場よりもずっと静かだった。ひなは先に行ってしまい、喧騒は少しずつ背後に遠ざかっていく。遠くで鳴る祭囃子と、屋根の向こうでときおり弾ける花火の音だけが、断片のように耳に届いた。
「ほんとに、何て書いたか教えてくれないの?」と鈴が訊く。
「君だって教えてくれなかった」
「私が先に訊いたんだから」
「それはルールじゃない」
「ルールにすべきでしょ」
そんなやりとりをもう一ブロック続けた。どちらも譲らないまま、やがて彼女が小さくため息をつき、自分でも抑えきれないように笑う。「……いつか、教えてあげるかも」
「すごく物足りない答えだな」
「いい答えって、だいたいそういうものよ」
返す言葉が、僕にはなかった。
電車に乗ると、三つ目の駅を過ぎたあたりで、彼女は僕の肩にもたれて眠ってしまった。僕は動かなかった。
いつものように、その瞬間を頭の中に書き留めていく。預けられた重み、寝息のリズム、こんな夜更けの車内に特有の静けさ。そうして記録している最中に、ひとつの考えが浮かんだ。それが普通ではないことに、僕はすぐには気づけなかった。
――この電車が、まだ終わらなければいいのに。
残りの道のりのあいだ、僕はその考えと一緒に座っていた。危ういと思ったわけではない。ただ、半年前の僕なら考えることすらできなかった種類の思いだった。あの頃は、起きている時間のすべてが、去る日にどれだけ近づけたかという物差しで測られていたのだから。
翌朝、教室に着くと、奏はもう自分の席にいた。僕は何も言わずに隣の席に座った。それについて二人とも触れなかったことが、この頃どれほど何かが変わったかを示す、ささやかな証拠のように思えた。
「昨日、楽しかった?」と彼女が訊く。
「うん」
「鈴と?」
少し間が空いた。「……みんなと」
彼女は、責めるでもなく微笑んだ。「私が訊いたのは、そういうことじゃないんだけどね」
彼女がすでに出している結論を裏付けてしまわない返事を、僕は持っていなかった。だから、沈黙に答えを預けた。すると彼女の表情の中で何かが静かに落ち着いた。傷ついたわけでも、取り繕っているわけでもない。とうに整理してしまっていた事実に、いまようやく正式に幕を引いた、そんな穏やかな受け入れ方だった。
彼女はそれ以上踏み込まなかった。ノートを開いて、何事もなかったように講義を聞き始める。僕の知らないところで、彼女が何かを決めたのだという確かな印象だけが残った。
その日の後で、自販機の近くで話す彰と奏の声が聞こえてしまった。盗み聞きするつもりはなかったが、断片が届く距離だった。
「考えすぎなんだよ」と彰が言う。
「いつもそう言うじゃない」
「いつも考えすぎてるからだろ」
彼女は短く、本当に笑った。それから、声を落として言う。「……湊、幸せそうだね」
彰が彼女を横目で見る。「ああ」
「よかった」と彼女は言った。その一言の下に何かがあることを、彰は明らかに感じ取っていた。返事の前に生まれた半拍の間で、それが分かった。それでも彼は問いたださなかった。ただそっとそのままにしておいた。いい友人というのは、そういうものだ。
二人は僕が通りかかったことに気づいていなかったと思う。僕もあとになって、そのことには触れなかった。
その夜、部屋に戻ると、僕は送信機を確認した。切迫感というより、ほとんど習慣だった。
ここ数週間で一番いい数値が出ていた。ノイズは減って、安定している。山でのアンテナ作業が、こんなに早く実を結ぶとは思っていなかった。
信号強度:安定。
その二語を、必要以上に長く見つめていた。
半年前なら、これはこの星で過ごしてきた時間の中で最高の瞬間だったはずだ。努力がついに、確かな何かに収束しはじめた証拠なのだから。けれど今、最初に浮かんだのは安堵ではなかった。「帰れる」でもなかった。
――もし本当に誰かが応答したら、僕は何を伝えればいいんだろう。
答えは用意できていなかった。それを今すぐ欲しいのかどうかも、よく分からなかった。
ふと、昨夜あの短冊に書いた三つの言葉を思い出す。いまは街のどこか、祭りの跡地の静かな片隅で、竹の枝に結ばれて、まだ吹いている風に揺れているのだろう。
――知りたい。
安定した数値を、もう少しだけ眺めていた。
たぶん、と僕は思う。僕はもう、知りたくなかったことまで、知ってしまっているのかもしれない。




