仮想現実のお風呂
「はぁぁー……。ごくらくだぁ〜」
街の中心部にある公衆浴場。
そこにある大浴場に肩まで浸かり、ヒカリンはふやけた声を吐き出した。
どうしてヒカリンが風呂にいるのかというと、腕立て伏せをしまくったことで熱が入ってしまい、他の筋トレまでこなして汗だくになってしまったからである。
モンスター狩りに行けば汚れるのは確定しているが、汗が染み付いた体のまま外を歩き回るのは、お年頃のヒカリンには耐えられないことだった。
「……それにしても、なんだかおっきい人が多い気がするなぁー」
お湯の中で周囲に視線を彷徨わせ、ヒカリンはポツリと疑問を口にする。
視界に入る他の女性たちは、明らかにデカい人が多かった。高身長であることは当然として、何より胸部が極めて豊満なのである。
「奏……ううん、渚くらいかな。ゲームをやる人って、おっきい人が多いんだなぁ……」
現実の友人たちのサイズ感を思い浮かべながら、ヒカリンはそんな結論を導き出す。
まあ当然ながら、大間違いである。
ここは自由にアバターの容姿を加工できる仮想世界。理想の姿になれるのだからと、特定の部位を限界まで「盛る」人間が大多数を占めているだけなのだ。
むしろ、せっかくの仮想世界だというのに、現実のひ弱で平坦な肉体を律儀に再現しているヒカリンこそが、マイノリティな存在なのである。
「……ふぅ。ちょっと熱くなってきたかも」
そんな的外れな結論を出してから、さらに二十分が過ぎた頃。
体にだいぶ熱が溜まり、そろそろ湯から上がろうと腰を浮かせた矢先、近くに浸かっていた老婆が声をかけてきた。
「お嬢ちゃん。さっきから周りを気にしておったが、ひょっとして寂しいのかい?」
声と共に【会話を始めますか?】とパネルが浮かび上がる。
上がって水風呂へ向かう予定だったヒカリンだが、誰かと話せる嬉しさを優先したらしい。
選択肢の【はい】をタップすると、再び肩までお湯に浸かり直した。
「最近は街に人が増えて賑やかだねぇ」
「プレイヤーさんがたくさん増えたってことだね!」
「うちの爺さんは昔、すご腕の格闘家でね」
「おなじおなじ! 私も格闘家なんだよー!」
「物価が上がって困っちまうよ」
「お金のやりくりは大変だよね〜。気づいたら、あっという間にすっからかんになっちゃうもん」
当たり障りのない世間話の連続。
パターン化された会話からして相手がNPCだとすぐに察しがついたが、ヒカリンは気にしなかった。相手が人工知能だろうと、こうして他愛のない談笑をしているだけで、話したがり屋の心は満たされるのである。
それからさらに、四十分。
気づけば完全に会話の主導権を握っていたヒカリンは、身振り手振りを交えて熱弁を振るっていた。
「それでさ! 私の右腕がどかーんってゴーレムを殴り飛ばしたんだよー!」
「おやおや。それはすごい話だねぇ」
「でしょー! あの殴った感覚は、現実だと一生味わえないだろうなぁ〜」
そしてその顔は、のぼせて真っ赤になっていた。
すでに身体は限界を迎えているはずだが、限界を忘れて楽しいことに熱中するアホの子の性質ゆえか、はたまた現役女子高生の談笑力の賜物か。その表情に辛そうな様子や影響は、カケラも見受けられない。
「それとねそれとね! その殴り飛ばしたゴーレムは、そのあとクリスタルを食べて進化したの! でも結局は、私の力には勝てなかったんだ〜。すっごいでしょ!? 進化しても殴り勝つなんてすごいよね!? すごいと思うなら褒めてよおばあちゃーん〜」
「おやおや。お嬢ちゃんは甘えんぼさんなのかい?」
「そのとおり! 私は甘えんぼさんなのだー!」
……前言撤回。どうやら影響はあるらしい。誰が聞いても、脳が回っていないポンコツ状態なのは明白だった。
このままではヒカリンが倒れるまで会話は続く…………そう思われていたが、流れは老婆のとある一言で終わりへと傾いていった。
「……おっとっと。ちょいと長湯しすぎちゃったねぇ。あたしはそろそろ上がらせてもらうよ」
「えぇぇー。おばあちゃん帰っちゃうのー? せっかく盛り上がってきたのにー」
「誘ったのにすまないねぇ。また次合った時、続きを聞かせてくれると嬉しいよ」
「そっかぁ……。じゃあまたね、おばあちゃん!」
名残惜しそうにしながらも、ヒカリンは笑顔で老婆を見送った。
そうして話し相手がいなくなり、ヒカリンもお湯から出ようと立ち上がった、その途端。
「……あ、れぇ?」
急激な目眩がヒカリンを襲い、視界がぐらりと大きく揺れた。
誰かと話していたことで得られていた『談笑バフ』が、相手がいなくなったことで切れてしまったのだ。
「え、えっーと……。しゃわーはどこー……?」
千鳥足で洗い場に向かおうとしたヒカリン。
そんな彼女の目の前に、例の通知パネルが浮かび上がった。
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【クエスト達成】
クエスト:『長話への忍耐』を達成したよん!
ご褒美でスキルを獲得したよん!
アクティブスキル:【加熱】肉体温度を上昇させ、極限集中状態になる。
―――――――――――――――――――――――――
「なに……? くえすと、たっせい?」
受けた記憶すらない通知を前に、ヒカリンの頭は更にこんがらがる。
……まあ、のぼせ上がったこの状態では、思い当たる節がないのも無理はなかった。
老婆と話す前に展開された問答。あれこそがクエスト開始の合図だったのだ。
その内容は至ってシンプルで、極めて単純な忍耐力が問われるもの。『老婆が帰るまで湯から出ずに談笑を続ける』という条件である。
魔法やステータスで誤魔化せない、リアル忍耐力を問われるだけあって人を選ぶが、それゆえに恩恵は絶大だ。
なんたって【加熱】は極限集中状態を、相手の動きをスローモーションで見えるようになる状態を、自力で作り出せるスキルだ。
言い換えればプレイヤースキルがなくても、簡単に攻撃を見切れるようになるスキルでもある。
「……なんでもいいや。それよりしゃわーはどこー……?」
のぼせ上がったヒカリンは、自分がそんな強力なスキルを得たなど夢にも思っていない。
ふらふらとシャワーを探し当てて二度目の体を洗い終えると、今日は大人しくログアウトボタンを押すのであった。




