衣装チェンジ
「うひゃぁ……。今日は人がすっごく多いなぁー……」
昨日の出来事がよほど楽しかったのか、ヒカリンは帰宅後に即ログインをしていた。
完全にハマる寸前……いや、なんならもうVRMMOの沼にハマっているのかもしれない。
「よーし! まずは宿に行こっと!」
始まりの町に降り立ったヒカリンは、とある目的を果たすべく一直線に宿屋へと向かう。
その目的は二つあり、一つは昨日ボスを倒して手に入れた報酬を試着するためだ。いくら天真爛漫なヒカリンでも、いきなり人前でピチピチスーツ姿になるのは恥ずかしすぎたのである。
そしてもう一つの目的は……腕立て伏せだ。
現実世界では一回もできないのだから、せめて仮想世界でくらいは心ゆくまでやってみたい。ヒカリンは純粋にそう思ったのだ。
***
宿屋に着き、いくらかのお金を払って個室を借りると、ヒカリンはさっそく備え付けの鏡の前に立った。
インベントリを開いて昨日手に入れた二つの装備品、【機動ノ要】と【機動ノ足掛かり】を身につける。
「ひゃうっ……! や、やっぱり恥ずかしいよこれ……!」
鏡に映る自分の姿を見た瞬間、ヒカリンは顔を真っ赤にして両手で胸元を隠した。
白を基調としたパワードスーツは、ものの見事に自身のボディラインを晒し出している。機動力に特化したスタイリッシュなデザインではあるが、お年頃の羞恥心は限界突破寸前であった。
「……って、あれ?」
一人で恥ずかしがっていたヒカリンだったが、ふとあることに気がつく。それは、モジモジと動かしていた体が異様に軽いという事だ。
隠していた腕を離し、試しに空気に向かってパンチを放ってみた。
「わわっ! なにこれなにこれ! すっごい腕が軽いよ!」
あまりの身軽さに感動するヒカリン。
気持ちが喜びに変わった事で恥ずかしさなどすっかり忘れ、一心不乱にシャドーボクシングをし始める。
「おらおらおらおらおらおらおらーっ! ……ふぅ、満足満足!」
ひときしり空気を殴り終えて息をつく。
そしてふと冷静になり、思った。
AGIが多少上昇したからと言って、ここまで体が軽くなるものなのかと。
「もしかして、この装備についてたスキルの効果なのかな? えーっと、詳細確認っと……」
装備のスキル欄をタップし、詳細な説明文を呼び出す。
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パッシブスキル:【軽量化】
AGIの規定値に上昇補正をかける代わりに、受けるダメージが二倍になる。
パッシブスキル:【空脚】
空気を踏めるようになる。
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「受けるダメージが二倍かぁ……。まあ私、どうせHP1になるから関係ないや!」
受けるダメージが二倍になるという、普通なら即却下レベルの強烈なデメリット。
しかし、アガートラームの代償で常にHP1のオワタ式で戦うヒカリンにとって、ダメージが100だろうが200だろうが「当たれば死ぬ」という結果は同じである。このデメリットは無いに等しかった。
「それに、空気を踏めるっていうのも凄そう! AGIの『規定値』に補正って言葉はよくわからないけど………これのおかげで軽くなったんだろうし、なんでもいいや!」
わからないことを考えるのは数秒で放棄し、ヒカリンは第二の目的を果たすことにした。
念願の腕立て伏せだ。
「よーし、いくよ……! いーち、にーい……うぅっ」
床に手をつき、体を沈め、押し上げる。
だが、思うようにスイスイとはできない。現実と違って腕立て伏せ自体が出来ない訳ではなかったが、こうじゃない感が半端なかった。
「むぅ……。やっぱり【破壊者】があっても、元のSTRが4じゃ、倍になっても8だもんね……」
もちろん【剛腕・アガートラーム】を発動すれば、規格外の筋力が手に入る。入るが、あの装備は片腕限定だ。
どうせやるなら両腕に均等な負荷を感じさせて、達成感を味わいたい。それに、剛腕状態で腕立て伏せなどすれば、宿屋の床を粉砕して大惨事になる可能性が高い。
……そうなると、残る解決策は一つしかなかった。
「そうだ! スキルポイントを使えばいいんだ!」
そう、基礎ステータス自体を上げる選択肢である。
ヒカリンはステータス画面を開き、溜まっていた33のスキルポイントを、ためらうことなく全てSTRに突っ込んだ。
これで元のSTRが4+33=37。さらに【破壊者】の二倍補正が乗ることで、実質的な基礎STRは74に跳ね上がった。
「これなら……っ、いける!」
気合を入れて再び床に手をつく。
すると今度は、ものすごい速度で軽々と腕立て伏せができるではないか。
「いちにーさんしーごーろくー!」
リアルでの鬱憤を晴らすかのように、ものすごいハイペースで腕立て伏せを繰り返す。
体勢自体はリアルで出来てないためか不恰好だが、高い基礎STRと装備によって得られたAGIのおかげで一才の苦を感じない。
そのまま数え切れないほどの回数をこなし、十数分ほどが経過した頃だった。
ヒカリンの目の前に、パネルが不意に展開された。
「ん、何これ?」
パネルを確認しようと、ヒカリンは腕立ての体勢のまま、無意識に片手を床から離してしまう。
結果は言うまでもなく、体のバランスを崩して顔面から木製の床へと激突した。
「あだっ!?」
間抜けな音を立ててうつ伏せに倒れ込む。
もしこの時、HPが1に固定される【剛腕・アガートラーム】を発動したまま顔面をぶつけていれば、間違いなく1ダメージを受けて【不退転】を無駄に使用する羽目になっていただろう。剛腕を解放していなくてラッキーである。
鼻を押さえながら起き上がったヒカリンは、目の前のパネルに記された文字に視線を向けた。
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おめでとうよん!
十分間をトレーニングを頑張ったから、スキルを獲得したよん!
パッシブスキル:【努力家】
一日十分間、筋肉トレーニングを行うことでSTRとVITがそれぞれ1ずつ上昇する。
(※上限値はそれぞれ30まで)
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「わぁっ! 腕立てしてただけなのに、またステータスが上がるスキルもらっちゃった!」
思わぬ副産物に喜ぶヒカリン。
このスキルが送られてきたということは、既に今日の分のスキル効果は得たのだろう。
しかし、まだまだヒカリンの腕立て欲は満たされていない。
「まだスキルがもらえるかもしれないし、もう少しだけやってみよーっと!」
そう決めたヒカリンは再び床に伏せ、高速の腕立て伏せに勤しむのだった
STRかVITにステータスを振らなければ、【剛腕・アガートラーム】の効果で×5されるのでヒカリンの行動は無意味に見えますが……彼女は初心者なんでそんなことは考えてないです。




