現実は現実
放課後が近づく六限目、体育の時間。
それは普段の陽奈なら準備運動に組み込まれている腕立て伏せのせいで、朝から憂鬱な気持ちで一日を過ごすのがお決まりのパターンだ。
……しかし、本日の陽奈は一味違った。
朝は積極的に手を挙げて授業を円滑に進める手助けを、休み時間は皆と楽しく談笑をしていた。
そして今、ロッカールームで体操服に着替えるその足取りは軽く、表情にはみなぎる自信が溢れ返っている。
「ふっふーん♪ ゲームの中であんなにスイスイできたんだから、現実でも絶対できるに決まってるよね!」
「……陽奈ってば、何言ってるの?」
隣で着替えている友人がいるのも忘れ、昨日のゲームの光景を思い出して一人ごちる。
陽奈にとってこれは、『ファンタスティックオンライン』を始めてからの初めての体育だった。
ゲーム内では、STRの補正があるからできることはわかっている。
わかってはいるが、「簡単に腕立て伏せをできた」という仮想空間での成功体経験が、陽奈の中でとてつもない自信を生み出していたのだ。
***
体育館のコートは、男女別で半分に区切られている。お年頃の思春期真っ只中な男子生徒たちの視線は、当然のように女子エリアへ向けられていた。
そしてその中には、幼馴染である矢野颯太の姿も。
「アイツ、絶対アホな勘違いしてるだろ……」
そんな颯太の目は、他の男子のような興味津々なものではなく、明らかに不吉な予感を察知した不安で揺れ動いていた。
幼馴染で陽奈の単純な思考回路を知り得ている颯太だからこそ、あのドヤ顔の理由が完全に読めてしまうのだ。
「あっ、颯太だ。おーい!」
視線に気づいた陽奈が元気よく手を振ると、颯太は露骨に目を逸らし、周りの男子生徒に肩を組まれていじられ始めた。
「あーあ。陽奈の彼ピってば、いつにも増して不安そうに見てたねー? いつも通りお熱いことで」
「颯太は彼ピじゃないよー。大切な幼馴染!」
「大切……? その言葉を矢野に伝えてあげたら、すごく喜ぶと思う」
両脇から友人の火野渚と月島奏にからかわれるも、陽奈は全く気にしていない。
この手の恋愛話題において、陽奈のセンサーは絶望的なまでに鈍いのだ。
「まっ、心配してるのは矢野だけじゃないからね。今日も腕立てで潰れちゃったら、この渚ちゃんの胸で慰めてあげるぞー!」
「だめだよ、今日は私の方。この前は渚だったんだから今日は私の番」
「ふっふーん♪ 残念だけど今日の私は、二人のお世話にならないよー!」
二人の気遣いを跳ね除け、ない胸を張って断言する陽奈。
生まれ変わった自分を見せて皆を驚かせてやるのだという強い決意が、そのドヤ顔にはっきりと表れていた。
……まぁ。
「あべっ!」
ゲームはゲーム。現実は現実。
「あぐっ!」
いくらゲームの中で腕立てができようとも、そのステータスが現実の肉体に還元されるような甘い仕様は存在しない。
腕を曲げた瞬間、陽奈の体勢はあっさりと崩壊して顔面ダイブ。何度やっても無惨に床とごっつんこするハメとなってしまった。
「菱川さん。大丈夫ですか……?」
「顔と心以外はだいじょーぶです……」
教師の呆れと心配が入り混じった声と、自分の力のなさに対する無力感。
そして、周囲のクラスメイトから漏れ聞こえるクスクスという笑い声。
これら三つのコンボにより完全にメンタルをブレイクされた陽奈は、準備運動が終わるとすぐさま友人二人の胸に飛び込むのだった。
日野渚は160後半のポニーテール女子。
陽奈と奏の友達で面倒見がいい姉御肌。
しかし考え方が単純なせいで、あまり助けにならないのが欠点。
月島奏は150前半のおかっぱ女子。
陽奈と渚の友達で冷静な性格をしているからか、単純な二人のブレーキ役を担っている。
二人に振り回されることが多いが、それが好きでもある。
二人の共通特徴は胸がデカいことで、陽奈曰く安心を与える安らぎの場所。




